城郭探訪

yamaziro

古屋敷館    近江国(甲南)

2014年09月28日 | 居館

 

お城のデータ 

所在地:甲賀市甲南町市原字城  (旧甲賀郡市甲南町市原字城)   map:http://yahoo.jp/a-3hNJ

別 名:市原城

現 状:竹林

区 分:居館

築城期:鎌倉期

築城者:

城 主:

遺 構:曲輪・土塁・横堀

目標地:西願寺・美須美神社

駐車場:杣川に注ぐ滝川の川岸

訪城日:2014.9.27

水田の中にポツンと竹林があります。竹林の中は藪状態ですが、土塁がコの字状に残り、外側に堀跡らしい窪みが残存。

お城の概要

古屋敷館は、市原集落の北はずれ、杣川に注ぐ滝川が西辺で接している。すぐ北方では滝川を挟んで目と鼻の先に杣中城が対峙する。
「甲賀郡志」では、ここが「市原城址」としている。

現在残る遺構は、概ね北半分だけと推測され、竹林に覆われている。

縄張は大半を占める主郭Ⅰは南側を除き25mの土塁で三方囲み幅9m・高さ2mが残存、土塁で区画され一段低い曲輪Ⅱは三角形が設けられ、それぞれが土塁に囲まれている。土塁の外側にはの横堀が幅8m、深さ2~3mにもおよぶ、さらにその外周には土塁がめぐり守備している。

南側は田地として開削・消滅しているため、垣根がされている。

 

「太平記」には、正平15年(1360)仁木義任率いる伊勢・伊賀の軍勢が、佐々木高頼の籠もる市原城を攻撃したことが見える。ただこの市原城が、市原地区に所在する市原Ⅱ城や市原城の可能性もある。

曲郭Ⅱ

竹林の外、北隣に井戸(危険)

東側土塁

南側から曲郭Ⅰへ

駐車スペース川岸

北は滝川を挟んで目と鼻の先に杣中城。 市原集落の北はずれ、杣川に注ぐ滝川が西辺で接している。

古屋敷館遠景

西願寺(東・・・直線150m)

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、甲賀の城、日本城郭体系

             本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!! 


市原城  近江国(甲南)

2014年09月28日 | 平城

お城のデータ 

所在地:甲賀市甲南町市原字城  (旧甲南町市原字城)   map:

現 状:工場・田地

区 分:平城

築城期:鎌倉期

築城者:

城 主:

城 域:

遺 構:城郭・土壇

目標地:和晃技研の工場地

駐車場:路上駐車

訪城日:2014.9.27

お城の概要

市原城は、市原集落の東北東、杣川西岸の緩やかな段丘上に位置する。現在は地表面に遺構は全く残っていないが、明治時代に作製された地籍図からこの地が比定されている。田園の中にポツンと建つ和晃技研の工場地の南半分、その南側の道路付近で、工場を東側から見ると少し高くなっているのは城の名残りかも知れない。
地籍図から市原城は、約50mの四方に堀をめぐらせた単郭方形と想定される。

 

歴 史 

 「南山巡狩録」には、正平15年(1360)9月、石堂利部頼房は仁木三朗義任を総大将に率いる伊勢・伊賀の軍勢2000余騎が近江国に打越、甲賀郡葛木山に陣をとる。佐々木大夫判官高頼の籠もる市原城を攻撃したことが見える。

 佐々木方は目加田・楢崎・儀俄・平井・池田赤一揆を一手とし、青地・馬淵・伊庭・三井・三上黄一揆を一手とし左手の河原に陣を・・・佐々木は吉田・隠岐・黒田・鈴村を初として宗徒の者を馬廻にひかへて備えたり・・・云々

「太平記」延文五年(1360)、佐々木高秀方が守る。

ただこの市原城が、市原地区に所在する市原Ⅱ城や古屋敷館の可能性もある。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、甲賀の城 、 日本城郭大系

             本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!  


新宮城/新宮支城 近江国(甲南)

2014年09月28日 | 丘陵城

お城のデータ 

所在地:甲賀市甲南町新治  (旧甲賀郡甲南町新治   map:https://yahoo.jp/gAp3nc

             新宮支城                    map:https://yahoo.jp/TRWNk9

現 状:山林

区 分:丘陵城

築城期:室町期

築城者:服部氏

城 主:服部氏

遺 構: 土塁・堀・碑・説明板

標 高:208m  比高差:20m

目標地:善願寺・新宮神社

駐車場:登城口下 路上駐車

訪城日:2014.9.27

お城の概要

甲賀郡中惣遺跡群(寺前城,村雨城,新宮城,新宮支城,竹中城)の一つとして国指定史跡となっている。

新宮城は磯尾川の西岸にあり、北東へ伸びた尾根に築かれている。谷を挟んで南には新宮支城がある。

新宮城は南西端の最高所に主郭を置き、北東へ伸びた尾根に曲輪を展開する。 主郭は方形で高土塁が巡り、南西側は深い空堀で遮断し土橋が架かる。虎口は北と東にあり、北虎口は北下の堀切に出る。東虎口は二郭へ通じ、二郭は鈎状に屈折した虎口が付き、さらに北東下の段へと続く。二郭の北下には両側から土塁状の伸びた空間があり、池なのか虎口なのかよくわからない地形がある。麓付近には大きな平段がいくつか展開している。

東麓の県道49号線沿いに道標があり、山道が付いている。山上の宅地側からも道がある。

県道49号線、新宮神社参道入口にある善願寺の隣に「新治の七城」と題した案内板が設置されており、ここに縄張図が記されている。

新宮支城との二城連結の甲賀特有の城郭であるこの新宮城は、丘上の主郭と麓にかけての段状郭で構成される、主郭は30m四方で周囲を土塁で囲み
北と東に虎口を開き、空堀も使用し防御している。
麓にかけての段状郭には進入路を屈折させた桝形虎口を使用し敵の侵入を阻む構造を設けている。

この新宮城と谷を挟み隣合わせに存在する新宮支城は現在史跡として整備されており、比高も低い為手軽に訪城することができる。

 新宮城・新宮支城

お城の歴 史

中世後期、甲賀の小領主たちは、同じ名前を名乗る一族同士で血縁的な結合を強め、同名中惣を組織していた。

 永禄から元亀の頃になると、その連合が甲賀全域に拡大し、甲賀郡中惣が結成された。

同名中惣内部では、総領家を中心としながらも、その力は絶対的なものでなく、分家に当る庶子家の自立度は高く、それぞれに城を構えていた。 そして、他所の一揆衆との間に争乱が起これば、一味同心に合力して戦うことなど、有事の際の具体的な行動が、 一族内の取り決めとして定められていた。

同規模の武士団が連合し合った郡中惣という枠組みの中では、甲賀郡を一円的に掌握する突出した領主は現われず、そのため同じ規模、 同じ形の城が、多く造られたものと考えられる。

新宮城、新宮支城もそのような甲賀郡中惣の城の一つで、 服部氏の居城とされる。

甲南町新治の磯尾川沿の丘陵地に所在し服部氏の城と伝わる。

新宮城は中世甲賀武士の組織、甲賀中惣の城の一つであり、有事には総領家を中心とし同規模の武士団が連合し共闘した。

新宮支城登城口

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀の城、日本城郭体系、近江の城

             本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!  


探訪【近江水の宝】杣(そま)の里をゆく—矢川神社・矢川津—

2014年09月28日 | 探訪「近江水の宝」

◆日時:平成26年9月27日(土)   13時〜16時15分頃

◆詳細:
古代から甲賀の地域支配の拠点として、また物流の集積地として重要な役割を果たしていたのが、杣川の水運と矢川津です。
川の名前となっている「杣(そま)」は、古代には樹木を製材し平城京や東大寺などに供給する杣山として利用されていた事に由来します。切り出された木材は、現在の甲南町矢川橋付近の川辺にあったとされる「矢川津」と呼ばれる川津に運ばれ、そこから川伝いに琵琶湖に一旦流され、後に瀬田川を下らせて奈良へと運ばれました。山から川、川から湖、そして再び湖から川へ。まさに近江水の宝にふさわしい情景といえます。
今回の探訪では、忍びの里こうなん・観光ボランティアガイド部のガイドと県文化財専門職員が同行案内し、甲南駅周辺の文化財を詳しく訪ねます。

◆集合:JR甲南駅13時(受付開始12時45分〜)

◆距離:約8km(アップダウンあり・実標高差50m・延べ標高差390m)

◆持物:健康保険証(コピー推奨)、水筒、ウォーキングできる服装とトレッキングシューズ等(暑さ対策を万全にお願いします)

◆行程:
甲南駅⇒浄福寺⇒甲南ふれあいの館⇒地蔵堂⇒矢川神社⇒矢川津(写真なし)⇒地蔵堂⇒古代の埋もれ木⇒新宮神社表門⇒甲賀郡中惣遺跡群(新宮城)⇒
伊賀街道常夜燈⇒湖南支所⇒甲南駅

◆定員:80名

◆費用:50円(ガイド料)

県教育委員会専門員本日のガイドさん

ありがとうございました! 

本日の歩行数 14,415歩

歩行距離    10.8km

実歩行時間  2:17:28

消費カロリー 449.7kcal

脂肪燃焼量  64.2g

  本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!