新発見の城の城 仮称)江龍奥1~4の城郭群
お城のデータ
所在地:米原市下丹生 江龍奥 map:ttps://yahoo.jp/neEv3Y
現 状:山林(山頂)
区 分:山城
築城期:南北朝期?
築城者:土肥氏?・江龍氏?
遺 構:土塁・段築曲輪
標 高:3817m 比高差:230m
目標地:下丹生古墳
駐車場:林道脇空地
訪城日:2017.12.2
写真集:https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/965496030279639
https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/965497063612869
お城の概要
江龍奥1城は:標高321.4mの城「横たわる長大な土塁、多数の段築、一部石積みあり、多数の郭を配した巨大ななしろ城」
江龍奥2城は:標高約320mの「巨岩を利用した南北朝期の城郭を思わせる険しい山城」
江龍奥3城は:標高:375.6mの城「坂田郡の屈指の優れた縄張技巧、二重堀切を誇る驚くべき構造の城」
江龍奥4城は:最高峰、標高:381.3mの城「陣城と推定される構造。仮称)枝折本城から続く林道から300mの切岸や横堀を構成する。」
この林道は上丹生や京極氏の隠れ城梓河内へ続き重要な間道と言える。
この江龍奥城:四城は長谷川博美氏・田畑喜久雄氏・末永清司氏・門川夫妻の城郭現地調査で確認された、新発見の城である。
お城の歴史
土肥六郎左衛門実勝とされ、源頼朝の家臣土肥次郎実遠の末葉で、足利尊氏の世に近江・美濃の野武士を平定して功があり。 箕浦庄の地頭として下向した御家人とされ、番場・多和田・醒井に分住し、箕浦庄の三土肥と称した。 『土肥八人衆・土肥八軒衆』は、醒井(醒飼)氏・野瀬氏・江籐氏・野勢氏・池田氏・ニ国氏・籾居氏・堀氏の八軒を云う。
根本地頭職土肥氏とその被官(家臣)江龍氏等が割拠した城郭群の可能性。
米原町下丹生小字江龍・江龍前・江龍奥の名がある。土肥氏の被官で土豪江龍の根幹地と推測される。
地頭土肥氏の敵対勢力の、京極政経の山岳城郭河内梓城・男鬼城・桃原城を意識した城郭群?
・『滋賀県中世城郭分布調査6 旧坂田郡の城 P115・P300』に、旧米原町下丹生 江竜に 城郭関係地名57-元城
江龍奥4城
12月2日も見学会は、6城でしたが、・・・実に、仮称)小町谷城・仮称)江龍奥1城も隣の頂部で違いは、長谷川博美氏の資料、解説があっても解かり難い?此の丹生谷の山上曲輪は驚き!
参考資料:城歩会現地見学会説明資料『滋賀県中世城郭分布調査 旧坂田郡の城』
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