お城のデータ
所在地:甲賀市信楽町下朝宮芝 map: https://yahoo.jp/PJ97wv
区 分:丘陵城(平山城)
現 状:森林(元茶畑)
築城期:南北朝期
築城者:鶴見俊純(朝宮城を築き)
城 主:多羅尾和泉守・多羅尾平内」の名を『江州佐々木南北諸氏帳』に記す。
遺 構:曲輪・土塁・竪堀・虎口・城跡碑
標 高:230m 比高差40m
目標地:下朝宮の八坂神社
駐車場:下朝宮の八坂神社横の空地
訪城日:2017.12.23
お城の概要
八坂神社の社務所の背後の丘陵城。
社務所の背後の丘陵へ登ると城跡碑建つ、更に登ると近年茶畑として使用してようで茶木が残る曲輪跡へ。
曲輪の南側には、土塁・腰廓・竪堀を確認出来る。
西側の尾根を遮断するように堀切と土塁が残存するが防衛には、効果は乏しい。
街道を守備する役割分担をしていたのであろう。
お城の歴史
南北朝時代を迎えると鶴見氏は南朝の味方して活躍、暦応三年(1340)、鶴見俊純は朝宮城を築き、山城国和束の米山一族との戦いを展開した。この戦いに多羅尾播磨入道は鶴見氏を後援、合戦は鶴見方の勝利となった。このことから、南北朝の争乱に際して多羅尾氏は南朝方として行動していたことがうかがわれる。以後、多羅尾氏と鶴見氏は拮抗するかたちで並立、小川の地の統治は交互に行われるということがつづいた。http://www2.harimaya.com/sengoku/html/tarao_k.html
『江州佐々木南北諸氏帳』には、「甲賀郡 朝宮城主 佐々木隋兵 多羅尾和泉守 朝宮城主 箕作隋兵 多羅尾平内」の名を記す。
甲賀(こうか)市信楽(しがらき)町朝宮は、南北朝時代に郷名としてみえ、南北両軍の合戦があったという。
近世以来、茶の生産地として知られ、現在も宇治茶と同じ高級茶が栽培され朝宮茶として有名で、国道307号が通じ、裏山にはゴルフ場がある。
写真集:https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/966721256823783
https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/966720003490575
西側の堀切・土塁・竪堀
主郭部の虎口
八坂神社
八坂神社の由緒
当社は寛永十一年(1633年)当時の和束の地頭であった山口佐平太(多羅尾の出身)がその領地の一部である下朝宮の住民の安寧のため社殿を創始し、その後、元禄十三年(1700)に至り同じく地頭山口藤左衛門が社殿を再建次第に住民の崇敬を受けるようになった。
従来より本殿・拝殿・社務所・鳥居等一応の礼拝施設は整備されていたので、昭和五十一年十月の神社の設立、神社の規則の制定、承認等一連の手続きを了し、神社本庁統理の承認を受け、滋賀県知事の認証を得て登記を完了し、名実ともに宗教法人八坂神社(やさかじんじゃ)として住民福祉のため諸種の祭祀を執行している。』
参考資料:遺跡ウォーカー・武家家伝「多羅尾氏」・八坂神社の由緒
本日の訪問ありがとうございす!!