日夏城の平時の居館
妙楽寺古屋敷遺跡の現地看板・説明板
お城のデータ
所在地:彦根市日夏町 map:http://yahoo.jp/bz5C4O
別 名:泉城・泉古屋敷
現 状:荒神山公園
遺 構:案内板 (地割溝・掘建柱建物等出土)
区 分:居館 (集落)
築城期:室町期
築城者:日夏氏
城 主:日夏越前守
廃 城:元亀4年の近江侵攻で、信長の安土城下へ強制的移動で廃城(新・彦根市史第一巻)
目標地:荒神山公園
駐車場: 荒神山公園に第4駐車場
訪城日:2014.8.20
お城の概要
泉古屋敷は、荒神山東側を山裾に沿って流れる宇曽川と荒神山に挟まれた一画にあった泉村という集落跡。「荒神山公園」南端付近。
現在は荒神山公園となっている南端付近で、公園整備以前の昭和60年(1985)に発掘調査が実施、中世商業集落遺構の一部が発見された。各屋敷ごとに石組み溝や道路・土塁などによって大小に区画されており、掘立柱建物やカマド・井戸、方形石組み、川に面した2ヶ所には石段(城郭遺構)が確認された。
調査から日夏8ヶ村の一つ、妙楽寺の古屋敷があったところと伝承されていました。調査の結果、16世紀中頃の商業集落跡が現れた。石組み溝(堀)や道路などによって区画され、掘立柱建物やかまど、方形石組み施設などが城郭遺構発見された。
歴 史
日夏の地を本拠て あったと推測されますが、 土豪化し、城を築いて戦国大名に従化し、戦国大名に従 うよになったのでしょう。
『 江州佐々木 南北 諸士帳』 には 、「日夏庄泉城主 佐々木随兵 日夏越前守」と記されて ます。
地元に残る古文書は、 永禄2年(1559)の「 肥田城水攻め」や、翌年野良田表合戦」に勝利した浅井長政の重臣 磯野員昌が、その勢いで六角方日夏氏を攻めました首尾よく抗戦して難を逃れたこと。その後、 浅井長政配下なった。日夏氏は元亀4年(1573)の織田信長による小谷城総攻撃により、浅井一族ともに討死しやがて日夏城没落たこなどが記されいる。
泉古屋敷は、荒神山の北尾根上にあった日夏城の城下に築かれた平時の下屋敷であったと考えられる。日夏城は、江南守護六角氏の分流日夏氏が代々城を構えて六角氏に仕えた。
説明板で、発掘調査の成果、遺跡の図面や調査時のカラー写真。
後に見える山は、日夏城です。
遺跡の場所は、荒神山北東の麓にあり、子どもセンターがある公園の南の端。
遺跡の調査は昭和60年に実施。彦根犬上広域廃棄物投棄場に伴うものでした。
妙楽寺のご先祖が住んでいた場所、この地を訪れた方が、妙楽寺古屋敷のことに気付いて。村の跡に設置されたこの投棄場、その代償として提供された経費で、日夏の人たちが苦労して建てたヴォーリズ建築である日夏村役場の建物を保存活用するのでなく不要として放棄し、新しい町民会館を建設しようとされているそうだ。
遠景:荒神山城(荒神山古墳)
参考資料:彦根市教育委員会文化財課、滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、近江の城郭
本日も訪問、ありがとうございました!!!感謝!!