近江 丸山城(丹羽砦)織田信長の重臣、丹羽長秀の陣城堀切
主郭で城守 2013.3.26
お城のデータ
所在地:彦根市小野町 map:http://yahoo.jp/FS4WCr
別 名:丹羽砦
築 城:織豊期 元亀元年(1570)
築城者:丹羽秀長 ・初城主:丹羽長秀
区 分:砦
現 状:山林
遺 構:曲輪・竪堀・堀切
標高:264m 比高差:135m
目標地:小野集落・名神高速をくぐる「彦根25」のトンネル
駐車場:トンネル近くに路上駐車
訪城日:2013.3.26
お城の概要
幾つも小さな尾根が入り組み、どの山なのか非常に特定しにくいが、名神高速をくぐる「彦根25」のトンネルから登ると間違えることはない。骨塔横から高圧線メンテナンス用の道を登ると10分ほどで高圧線鉄塔に出る。ここが丸山城の主曲輪にあたる。
途中に「百々某」の骨塔が建っている。 おそらくは信長公記にも「百々屋敷」と出てくる百々氏のものであろう。百々屋敷はこの位置ではない、
南北に曲輪を連ね、北の曲輪には土橋らしき痕跡が認められる、南には三段の曲輪が設けられているが、削平は不完全である。西側には竪堀を1条確認する。正面には、当然のことであるが佐和山を望む。
お城の歴史
元亀元年(1570)の姉川の合戦後、浅井の重臣・磯野員昌が佐和山城に籠城した際に、信長が佐和山城に対して築いた四つの付城(佐和山包囲網)のひとつで、東の付城とされる。
---------以下、信長公記の抜粋--------
夫れより佐和山の城、磯野丹波守楯籠り、相拘え候へき。直ちに信長公、七月朔日、佐和山へ御馬を寄せられ、取り詰め、鹿垣結はせられ、東百々屋敷御取手仰せつけらる。丹羽五郎左衛門置かれ、北の山に市橋九郎右衛門、南の山に水野下野、西彦根山に河尻与兵衛、四方より取り詰めさせ、諸口の通行をとめ、同七月六日、御馬廻ばかり召し列れられ、御上洛。 ------------------------------------
信長公記に百々屋敷とされているのは、丸山城より1kmほど北の鳥居本町本町にあったとされ、丸山城は佐和山の監視、百々屋敷は中山道の押さえとして機能していたのか。
信長公記にも「百々屋敷」と出てくる百々氏のものだが、百々屋敷は佐和山の東鳥居本にある。
御所谷・北谷から攻め入る10ほどで鉄塔に出る。ここから北の鉄塔に向け急坂?自然【切岸】を登ると丸山城の主曲輪。
南北に曲輪を連ね、北の曲輪には土橋が、南には三段の曲輪いるが、削平は不完全。西側には竪堀を1条確認。西には佐和山を望む。
佐和山城を睨む(監視)!
堀切
北西に釜刃城佐を望む
手元に縄張り図があるのだが、著作権で掲載できません!(申し訳有りません)
ここに下山。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、
消費カロリー 135.4kcal 脂肪消費量 19.3g
今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました