【探訪】戦国大名浅井氏の菩提寺・徳勝寺のルーツを探る【長浜コース】
徳勝寺(長浜市平方町)は、戦国大名浅井氏の菩提寺。浅井氏の滅亡後、秀吉によって長浜に移され、寛文12年(1672)の浅井長政100回忌にあたって、現在地に寺観を整えました。
寺伝などによれば、徳勝寺はもとは医王寺といって、応永年間(1394~1428)に浅井郡山田村(長浜市小谷上山田町・下山田)に創建されたといいます。そして、小谷城に浅井氏が勃興するに及び、永正15年(1518)に初代亮政によって小谷城清水谷(長浜市小谷郡上町)に移され、亮政没後に徳勝寺と寺号を改めたといいます。
ところが、そうした寺伝などとは矛盾するごとく、秀吉時代に至っても徳勝寺とかかわりの深い医王寺が堀部(長浜市堀部町)に存続する一方、小谷には医王寺跡(下山田)や育王寺跡(上山田)、また上述の小谷城清水谷のほかにも徳勝寺跡(長浜市小谷丁野町)と伝える寺跡が知られ、そのルーツは謎につつまれています。
1日目:平成25年3月24日(日) 【探訪・長浜コース】 9:00~12:00
長浜駅から・・長浜城・琵琶湖
長浜城は、豊臣秀吉が初めて領地をもらい築城した城です。
また、山内一豊が初めて大名になった城としても有名です。
場所は、JR北陸本線長浜駅の西側です。
「長浜町之絵図」
ユルキャラのお見送りです。
米川(外堀跡)
【長濱ロマンビール】
舟板塀
米川(外堀跡)
ヤンマーミュージアム
徳勝寺・・・浅井三代 墓所
浅井三代 墓所
慶長11年(1606)内藤信成が長浜に封ぜられた際、いったん田町(現長浜市朝日町)に移されたが、
寛文12年(1672)浅井長政の百回忌に際し、彦根藩主井伊直孝により現長浜市平方町に移され現在に至っている。
現徳勝寺には浅井氏三代の墓所や、夫婦像・一族の位牌・過去帳などがある
延長坊万年寺(徳勝寺旧跡)
伊勢神楽に遭遇
長浜 曳山まつりの「山車」庫
400年以上の伝統を誇り、日本三大山車祭りの一つ
長浜別院 大通寺
湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。 慶安4年(1652年)に現在地に移転する。
伏見城の遺構とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる。
妙法寺(伝羽柴秀勝墓)
北国街道(武者隠れ道
北国街道と、長浜城から東に延びる大手門通り(美濃谷汲街道)との交差点は、江戸時代に高札が立ち、現在でも「札の辻」と呼ばれています。古くから長浜の中心だったこの辻に、明治33年(1900)第百三十銀行長浜支店(6年後に明治銀行となる)が建てられ、壁が黒塗りだったことから「黒壁銀行」の愛称で親しまれました。
和洋折衷の重厚な建物は、その後さまざまな変遷を遂げ、平成元年(1989)、「黒壁一號館・黒壁ガラス館」としてオープンしました。
外堀跡
豊臣秀吉は天正元年(1573年)~天正4年(1576年)に長浜城主であったが、当社は長浜町民が、秀吉の3回忌に当たる慶長5年(1600年)、その遺徳を偲んで建立したものである。江戸時代に入ると、幕府の命により秀吉信仰が禁じられ、社殿も取り壊されたが、町民によって祭神は町年寄の家へ移され、その後、恵比須神を祀る神社の奥社で密かに祀っていた(現在の豊国神社で事代主が一緒に祀られているのはこのため)。明治維新後には「豊国神社」の名が復活し、秀吉の三百回忌に当たる明治31年(1898年)に拝殿が再建された。
豊国神社(長浜恵比寿宮、加藤清正像)
長浜駅前の『出逢い』の像・・・木下藤吉郎(秀吉)と石田三成(佐吉)
三杯の茶(三献茶)
鷹狩りの帰りにのどの渇きを覚えた秀吉が近江国長浜の観音寺(伊香郡古橋村の三珠院という説もあり)に立ち寄り、寺小姓に茶を所望した際、最初に大振りの茶碗にぬるめの茶を、次に一杯目よりやや小さい茶碗にやや熱めの茶を、最後に小振りの茶碗に熱い茶を出した。
まずぬるめの茶で喉の渇きを鎮めさせ、後の熱い茶を充分味わわせようとする寺小姓の細やかな心遣いに感じ入った秀吉は彼を連れ帰り、それが後の三成であったとされる逸話。
JR長浜駅で解散長浜駅西口・・・
本日の歩数 14,807歩 2時間28分 10.3km
消費カロリー 508.3kcal 脂肪消費量 72.6g
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