種村城跡に建てられた石碑
種村城は大同川にかかる木代保橋の北東、現在は田圃となっている一帯とされ、橋の横には城址を示す石碑が建てられている。
大同川を堀として利用するような形で築城されており、この地域には垣見城や伊庭城・小川城など、川を堀として利用している城郭がいくつもあり、地域の特徴が出ており興味深い。
木代保橋から東へ40mほどにある細い道が当時の城門跡だといい、この周辺には「大開き」,「小開き」といった小字名が残っている。(地元にお住まいの種村氏末裔の方から情報を頂きました)
種村城の前を流れる大同川(堀)
六角政頼の次男、伊豆守高成がこの地を領して種村氏を称し、種村城を築いた。
所在地:東近江市種町 (旧能登川町種)
築城期:室町
初代城主:種村伊豆守高成
区分:平城
遺構:堀・石碑
種村城 石垣・堀→
造られたとき:1350年代「室町時代初期」
造られた場所:種の小字藪下「このため藪下城とも呼ばれていた」
当時の様子
鉄砲もなく弓矢とやりや刀での戦で、よろいや甲は全て鉄板で作られていたから身軽には活動することもできなかった。だから、鉄砲が使われ、鎖や皮で作られたよろいを着けた時代、お城である彦根城や長浜城のような物ではありませんでした。
種村城の城主
種村城の城主は佐々木家から種村姓を名乗りました。種村城はわずか三代で終わっていますが、その子孫はその後もその土地で生活をしてきました。
お城の門は東に向いていて、その前は、今も「大開」と呼ばれ、その横側の小門の方角は「小開き」と呼ばれています。そして、兵隊たちを集めた場所は「木代保」と呼ばれています。
種村城は、1350年代に種の小字藪下に、造られました。(そのため藪下城とも言われました)このころは、鉄砲もなく弓矢とやり、刀での戦で、鎧や甲はすべて鉄板でできていたので、身軽には動けませんでした。
幅1m80cmほど・深さ60cmぐらいの堀に囲まれた、普通の家よりも少し大きめの建物だったそうです。お城の門は東に向いています。そのまえは、今も「大開」と呼ばれています。そして、兵隊たちを集めた場所は「木代保」と呼ばれています。
種村城の城主は、佐々木家から種村の地に分家して、種村姓を名乗りました。木代保の家には、佐々木家の紋章があります。これらは、神崎郡史稿などにも記載されています。近くを流れる大同川の横の草道には、石碑があります。
1350年代は、室町時代の前期です。
和田山城の西
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