北東の山塊の中には城跡が2つ存在する。
近世城郭である小堤城山城(築城者:永原重秀)と、中世山城の古城山城(岩蔵城とも、弥勒寺城)である。中世山城の古城山城は六角氏が築き、家臣の馬淵氏が守備したと伝えられ、六角氏の端城であった。
『永原軍談』では、文明年間(1469-86)に永原城の出城として築かれ、田中氏が守備したとあるが信憑性はない。
各曲輪の前面に石垣を多様していることから、築城時期は中世であったかも知れないが、現在残る形は戦国末期の技法が色濃い。 規模の上からも、六角氏の直接的な指示があり、甲賀作戦の一翼を担う位置付けが想定される。
小堤山城縄張り図
ガイドさんの歴史説明中
熱心に聞き入る参加者の皆さん
主郭の上、櫓台カ、東の星ケ崎城・東山道・下街道が一望できる
小堤山城の現地説明板
小堤城山城跡案内図(現地説明板)
縄張り図が有れば、石垣の多用の様子が・・・残念です!
堀切・土橋
主郭の石垣
主郭の石垣
ふんだんに石垣が使用された見所の多い遺構群。
ふんだんに石垣が使用された見所の多い遺構群。
ふんだんに石垣が使用された見所の多い遺構群。
古城山(岩倉城・弥勒城)さんへ
虎口付近の石垣
祠には、携帯電話が1つお供え
ノミの跡が上4つ、下に1つははっきりと
(石工の仕事http://www.ishikumi.com/about.html)
唯一、コイワカガミは咲いてました
池は桜本池という池があり、底なし池で日照りでも枯れないらしいです
小堤城山城より先に築城された城、西側10m超の大土塁。
主郭は山頂ではなく、山頂より東側の一段下がったところが主郭(40m四方程度の平坦地)です。主郭の西側に小尾根があり、これが大土塁となっています。斜面の上には土塁がL字に残る郭があります。主郭の北から東側には土塁が巡ります。さらに南側に細長く平坦地が延び、東側は土塁が続きます。この細長い郭の西側は池で南側と東側に虎口があり、南側虎口には石垣も残ります。南側の虎口を出て少し進むと土塁で桝形状になっているような箇所があり、ここは南側の防衛ラインでしょうか?。また、主郭東側虎口を出てすぐ左の斜面を進むとこの先端の虎口にも石垣の痕跡がありました。
また、落城時に、この池に金の唐びつを投げ込んだとか、元旦の朝に馬の蹄の音が聞こえるなどの言い伝えがあるとの事です。最近、地元の有志で説明板が設置されていました。これによると、戦前までは小さな神社があり、江戸期以前には寺があったようで、城跡はこれの改変があるかもしれません。古城山城は、正安2年(1300)築城の岩蔵城、もしくは応永8年(1401)築城の弥勒寺城のいづれかに該当するものと考えられる。どちらであっても六角氏が築き、家臣の馬淵氏が守備したと伝えられ、六角氏の端城であった。
山桜
シハイスミレ?
ジョウジョウバカマですネ。
二ノ滝(落差50cm)
一ノ滝(落差80cm)
希望ヶ丘の【上高地】、砂防ダムに!
シダの新芽だ!7本?丈比べ!
田虫葉の花も今年はもう最後です(モクレン課)
しんがりの中江さん
ガイド・機関車役の山脇さん
ゴールのアンケート提出!
駐車場から城山の遠望
わずか280m(標高差170m)の低山ながら、花崗岩の砂道と急斜面の登り、降りに閉口してしまった。