現在 東光禅寺の裏山が頓宮城
・所在地: 滋賀県甲賀市土山町頓宮851 MAPhttp://yahoo.jp/5TEso6
・遺構:石碑、説明板(駒札)、土塁、空堀
・城主:頓宮氏(甲賀武士53家の1つ、有力土豪)
目標地点:東光寺
・区分:丘城 ・比高:20m
・現況:山林・神社
・遺構等:郭・土塁・堀・碑
・時代/人物: 鎌倉期/頓宮氏
・最寄の駐車位置からの主郭までの所要時間:城址碑から5分
・訪城日:2014.2.14
東光禅寺参拝者用の無料駐車場を利用。
城址碑・駒札現地説明板(駒札)
頓宮城址は、鎌倉期には頓宮牧荘の中心部にあり、郷村制の成立と共に所を得て、土山地方における有力土豪として成長した頓宮氏の城(砦)である。
現在、その遺構の多くは失われているが、石碑より登り東西に伸びる一帯の台地は、城山と呼ばれており、南・西両面は、やや屹立した要塞をなし、後方東面に空堀を巡らし、西に大日川を隔て、北城および城の前と呼ばれる丘に続き、眼下は野洲川流域まで展望できる山塞である。
頓宮氏は、甲賀武士甲賀五十三家の一つに属しており、同じく甲賀武士として中世長享の役等で活躍した土山氏、黒川氏、大河原氏は、頓宮氏の一族である。
長享年間(1487年~1489年)頓宮治三郎正盛の子、頓宮四方之介利盛により音羽野城へ移住している。これにより廃城となった。
郭Ⅱ(現在は主郭南側下には平削地は戦没兵士(英霊)の墓碑が。)
右に登れば主郭です。
城址碑の所から丘に登りますと祠がある場所、主郭である。
30m×50mの四方程度の平坦地で東側からコの字の低い土塁。北側は自然の崖を切岸に、東側は空堀5m、高差5mにも及ぶはっきりと確認できますが、東側から北側に堀が巡っている。堀を隔てて東側にも削平地が確認できますが城域カ?。頓宮城丘陵周辺は、大茶畑です。土山茶は宇治茶の元の言われている。
また、頓宮池ノ谷城、頓宮舘跡が
縄張り図:甲賀市誌7巻「甲賀の城」より
主郭(虎口より)・・・奥に祠
手水岩のみ残っています
北側土塁
北東側土涙
東側:空堀
北東の土塁より、主郭
虎口手前も土塁・武者隠し
空堀の北東隅は、崩落でした。
虎口手前の土塁
頓宮城より、東海道・野洲川望む!
東光禅寺の墓地
参考資料;淡海の城、近江の城郭、甲賀市誌7巻甲賀の城・現地説明板
本日も訪問、ありがとうございました。