真鍮家文好(しんちゅうや ぶんこう)一門による盆踊りなどで一般的に親しまれている「棚音頭」
=棚音頭と座敷音頭の共演=
発祥の地として誇るべき郷土芸能「江州音頭」の魅力を再発見し、保存・伝承につなげようと、真鍮家文好(しんちゅうや ぶんこう)一門と桜川昇龍(さくらがわ しょうりょう)一門による「江州音頭」共演会が15日に東近江市池庄町の湖東コミュニティセンターで開かれた。江州音頭ファンら250人あまりが、江州音頭の真髄を楽しんだ。真鍮家一門は、盆踊りの時などにやぐらの上で楽器伴奏などをつけて歌い、地域の人びとが音頭に合わせて踊る、一般的によく知られ、広く普及している「棚音頭」を文好師匠と弟子が次々と披露。音頭に合わせた一般的な踊りのほか、傘を持っての傘踊りを披露すると、最後は観客も踊りの輪に加わった。桜川一門は、楽器伴奏などはなく、浪曲のような語りを中心とした聴かせる江州音頭で、滑稽話や人情話、人生訓などを織りまぜて聴く人の心を揺さぶり楽しませる「座敷音頭」を、昇龍師匠の「左甚五郎あいおい道中」と弟子の昇峰さんの「越後善吉米一粒」で聴かせた。かつてに比べると江州音頭を聴く機会が減り、演者が高齢化していることなどから、共演会の模様は映像記録され、市教育委員会がCD化して保存し、伝承・普及に活用される。
真鍮家文好一門による傘を持って踊る「傘踊り」
桜川
桜川昇龍一門による「座敷音頭」
桜川昇龍(さくらがわ しょうりょう)の「座敷音頭」
地元で生まれた伝統郷土芸能「江州音頭」を知り、郷土の誇りとして身近に感じてもらうことで、伝承・発展につなげようと、東近江市教育委員会と市文化遺産活用活性化実行委員会は十五日午後一時半から池庄町の湖東コミュニティセンターで「歌い継ぐ・語り継ぐ郷土芸能 江州音頭共演会」。
江州音頭は形態も屋外で踊りや楽器を伴うものや屋内で語りを聴かせるものなど様々に変化して今に伝わっている。
漫才や浪曲など大衆演芸にもつながるなど、芸能史の上でも重要な存在にある。
初開催となる今回の共演会は、市内で活動している多くの音頭取りの中から、真鍮家文好(しんちゅうや ぶんこう)一門による盆踊りなどで一般的に親しまれている「棚音頭」と傘を持って踊る「傘踊り」と、桜川昇龍(さくらがわ しょうりょう)一門による「座敷音頭」が登場し、江州音頭の真髄を披露。
江州音頭
江州音頭(ごうしゅうおんど)は滋賀県を中心に近畿地方各地で盆踊りに用いられる音頭。棚音頭と座敷音頭(敷座)の2種類がある。
独立した舞台芸としても行われる(こちらは「口説き(クドキ)」と呼ばれる)。「江州」とは、近江国の別称である。
沿革と概要
仏教の御経の節である声明を源流とし、山伏らによる民間布教手段として派生した祭文が一部で娯楽化し、次第に宗教色を薄めて遊芸としての祭文語りが独立した。浄瑠璃に近い説経節や、浪花節を生んだ浮かれ節などより下卑たものとされ、語りの合間に法螺貝を吹いて一同で「♪ デロレン、デロレン」という合いの手を入れることから、デロレン祭文と総称された。同様の成立過程を辿ったものには、願人坊主が事とした「阿呆陀羅経」や、「チョンガレ」(チョボクレ)、「春駒節」、「ほめら」などと呼ばれた諸芸(これらの一部は明らかに春歌に属する)などがあったが、テレビが普及した高度経済成長期を最後に継承者は絶えている。
江戸時代末期、武蔵国のデロレン祭文の名人万宝院桜川雛山の弟子の西沢寅吉が、歌念仏・念仏踊りを祭文に採り入れた独特の節回しを考案し、話芸を踊りと融合させた新たな音頭を作り上げた。これは祭文音頭と言われ、当初は近江国神崎郡八日市(現在の滋賀県東近江市)で踊られた。更に、寅吉と親交のあった奥村久衛左門(初代真鍮家好文)の協力で演目などを整備し、明治初年に近江国愛知郡枝村(現在の犬上郡豊郷町)の千樹寺で踊りを披露したのが、江州音頭の始まりとされる。その後次第に滋賀県内各地に広まっていった。
寅吉は祭文語りの芸名を桜川歌寅と名乗っていたが、師匠桜川雛山の許しを受けて初代桜川大龍に改名して宗家となった。明治末に大龍の門弟らは大阪千日前界隈の寄席にこぞって進出し、落語や音曲と並んで人気の演目となった。また、大阪府三島郡味舌村(現在の摂津市)の音頭取り出身の漫才師砂川捨丸や、従来の三河萬歳を修めた中河内の江州音頭取りの玉子屋圓辰の大成功を追って一部は漫才、浪曲などの舞台芸に転じ、今日の演芸の源流のひとつにもなった。古い漫才の名跡である『砂川』、『桜川』、『荒川』、『河内家』といった苗字は江州音頭取りから派生し、『松鶴家』は歌舞伎俳優から俄に転じた者が多かったところから派生した。
近江商人兼業の音頭取り達が東海道・京街道・伊賀街道など商用で訪れた土地の人々に余暇として江州音頭を伝えたことが基となり、河内音頭の成立にも多大な影響を及ぼした。また、江州音頭が河内音頭と並んで興行として演じられるようになってからは、浪曲や、江戸中期以来大坂で盛んに演じられ人気を博した即興喜劇である俄(にわか)などの諸芸と融合し、近江とは別のスタイルで大阪でも独自の発展・変革を遂げた。
流派と新風
江州音頭を成立させた2人が立ち上げた次の2つの流派が源流とされる。いずれも、「♪ ヨイト ヨイヤマカ ドッコイサノセ」の合いの手の他、音頭の途中に「♪ デロレン、デロレン」の一節を唱和する形を継承しており、江州音頭がデロレン祭文の系譜にあることを主張している。
- 川北派(桜川派) 宗家 初代桜川大龍(西沢寅吉)
- 真鍮家派 宗家 初代真鍮家好文(奥村久左衛門)
明治中期に京街道沿いに伝播したとされる河内の江州音頭の流れを汲む、初代桜川唯丸(1995年引退)は、昭和末期から平成初頭にかけてロック・ジャズ・ファンクミュージックの要素を盛り込んだ伴奏に合わせて音頭を歌い、従来の枠に入らない江州音頭の新境地を開拓した。
発祥地
江州音頭の発祥地とされる場所は2か所あり、両地に石碑が建立されているが、どちらが真の発祥地とも言い難い。
- 延命公園 滋賀県東近江市八日市松尾町(桜川大龍が江州音頭を考案した場所とされる)
- 千樹寺 滋賀県犬上郡豊郷町下枝(初めて江州音頭を披露した場所とされる)
桜川大龍の出身地である犬上郡河瀬村(現在の滋賀県彦根市南川瀬町)法蔵寺にも石碑がある。また発祥地以外にも、桜川大龍の石碑は滋賀県内各地に点在している。
音頭の出だし節回し
地域差により若干相違するが、以下のものが代表的
音頭取り「♪あ、こりゃどっこいせ~」
囃子「こら、しっかりせ~」
音頭取り「ええみ~い~な~さ~ま た~の~み~まあ~す」
囃子「そら、どっこいしょ」
音頭取り「あ~これから~よ~いやせ~と声~掛けた~の~み~ます~」
囃子 「あ~よいやさあ~のせの~どっこいさあ~のせい」
音頭取り「え~さては~この場~の皆さんや~」
囃子「あらどしたい」
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