壬申の乱古戦場
スタート前に、190名(スタッフ込)にノルディックウォーキングのストレッチを実施しました!(甲賀市での広報活動)
梅垣城跡
城は多喜北城の西の丘陵に築かれている。
城はやや丸みを帯びた方形で周囲に高土塁が巡り北側に虎口を開く。南側は帯曲輪のような平坦面で南東部に土塁が残る。
西側の尾根にある堀切を越えて登って行くと更に堀切のようなものがあるが、縄張図にはなく切通しでは。
【現況・訪城記録】
民家の庭先から登ると虎口の分厚い土塁が正面に見えます。甲賀の典型的な周囲に土塁が巡る単郭方形(方形と言うよりこの城は丸いですが)の館城です。近くの多喜城や多喜北城よりは一回り小さな城です。郭内は雑草が生い茂り、土塁にも草木が生い茂っているため写真を撮っても土塁という感じにはなりません。以前5年前(2000年の頃)に訪れた時は民家の庭先ではなく、裏手の谷状のところから登ってみましたが、こちらも草木が多く閉口した記憶があります。
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所在地:甲賀市甲賀町滝 map:http://yahoo.jp/8VsH_m
旧:甲賀郡甲賀町
区 分:丘城
標高:217m 比高:20m
現 状:畑地・山林
遺 構:土塁・(井戸)
築城期:室町期
築城者:多喜氏
訪城日:2013.5.9
【歴史】
この城は多喜氏の城と伝えられています。多喜氏は多喜彦太郎家継が祖とされます。多喜勘八俊兼は長享元年(1487年)の鈎の陣<栗東市>で戦功があったと記録されています。俊兼の叔父の由旭は油日神社の再建運動に尽力しました。
<現地案内板より 甲賀町教育委員会>
ササユリ
梅垣城跡(遠望)
今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。