城郭探訪

yamaziro

上野城 近江国(甲賀)

2013年06月09日 | 丘陵城

 

お城のデータ

所在地:甲賀市甲賀町油日字山崎 (甲賀郡甲賀町油日字山崎) map:http://yahoo.jp/iShBB6

目標地:旧県道4号線沿い山崎信号

区 分:丘陵城

比高差:30m

現 状:山林

遺 構:郭・堀・土塁

築城期:戦国期

築城者:上野氏

駐車場:路上駐車

訪城日:203.6.9

お城の概要

土塁が見えたので、すぐに城域に到達したものかと思ったのだが、その土塁以外に周辺に城郭構造と思われるものはない。Aの部分は、結局は城内とは言えないような場所であったのだが、一種の虎口構造を成していた可能性はある。というわけで城はここではなく、離れた場所にあるらしい。見ると、台地は南側にずっと延びている。

 ならば城は台地の南続きにあるのだろうと想像し、南に向かって進んでいった。ところが、この部分がまた、ちょっとヤブ化していた。ここも晴れていればどうということもない程度のヤブなのだが、ここを進んだだけで、かなり全身が濡れてしまったのであった(xx)。まったく雨の日のヤブ漕ぎほど辛いものはないなあ。

 進んでいくとやがて、横堀が見えてきた。1郭周囲の横堀である。外側の土塁からの深さは2m程度の横堀であるが、その内側には鋭く高い城塁が見えている。この城塁を直登するのは、ちょっと無理そうである。

 ということで、北側に回り込んで入口を探してみた。結局虎口は東側にあり、虎口外側には出枡形のような郭が付属している。そのさらに下には二段の腰曲輪があった。

 1郭は円形に近い形状を成しており、長軸30mほどの規模である。甲賀の城としては、まずまず平均的な規模のもの、というべきであろうか。

 虎口は北側にもある。ただし、北の虎口を出た先は急斜面になっている。位置的にちょっと不自然な虎口というべきものだ。

 この城の北東側下には土塁で囲まれたかなり広い区画があり、これが城主の平素の居館の跡ではないかといわれている。となると、1郭というのは、居住用の施設というよりは、一種の詰めの城のようなものであったのかもしれない。

上野城は、杣川と五反田川の合流点に南北に突きだした半島状の丘に築かれている。

 上野城の縄張りは、結構複雑で7つの曲輪を配したものだ。 丘陵の最高点に土塁で囲繞された方形の主郭を置き、西に伸びる尾根筋を土塁状に削平した二の曲輪、その先端部を堀切って小規模な見張り台的な三の曲輪を配している。

 主郭北側には主郭腰曲輪、一段下にはこの城で一番広く、居館区画の曲輪とも云える四の曲輪、さらに北側に池を挟んで二つの曲輪がある。

 これらの曲輪群の遺構の中で、特に見逃せないのが主郭を囲繞する土塁と南側の横堀、四の曲輪虎口と土塁囲みの武者溜まり様の遺構など、見どころの多い城であった。

  県道から急な斜面を5mも登るとその後はゆるい斜面となり、すぐに主郭の土塁が見えてきます。主郭は岡の頂点にあり、甲賀の典型的な単郭方形の城という感じですが、滝川城・望月城並みの、規模の大きな、土塁も分厚いもので、土塁の外側を堀と、一部帯郭が巡っています。この主郭北側の帯郭にも分厚い土塁が残ります。さらに北側は10mほど落差があって、そこには運動場くらいの広い郭があります。西側には分厚い土塁、東側には土塁は低いですが、屈曲した土塁と食い違いになった虎口形状のスローブが確認できます。広い郭から主郭を見上げると、高低差と土塁の重なりでけっこう壮観な感じがします。

歴 史

 

「江州佐々木南北諸氏帳」・・・佐々木氏の時代の近江における城名と城主名を書き上げたもの「大洞弁財天当国古城主名札」と共に郡史のも引用される。「江州佐々木南北諸氏帳」にも

  上野城主 佐々木蒲生随兵    上野主膳守

   々         箕作随兵    上野十内左衛門 とあり

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 上野主膳守の城と!・・・・しかし、甲賀の一豪族の城の規模、縄張りとは少し違いが!

 L型状の食い違いながら突出する嘴状虎口。天正前半期の頃織豊系城郭の特徴がみられ、織田政権により改修か、その影響を受けて築城されたと見える。主郭は、甲賀の単郭にⅤ・Ⅵ・Ⅶは増改築された居住性を重視いた郭(昭和62のバイパス工事前にⅦ郭発掘調査で小穴、竪穴、17世紀食器等出土している」)
遠望 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城、日本城郭体系11

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