前堀・・・櫟野川
お城のデータ
別 称:五反田城
所在地:甲賀市(旧甲賀郡)甲賀町油日~檪野 map:
区 分:丘城
標 高: 比高差:20m
現 状:山林
遺 構:曲廓・土塁・説明板
築城期:室町期
築城者:滝川氏
目標地:檪野寺
駐車場:檪野寺参拝者用駐車場
甲賀市市史跡
訪城日:2016.2.14
お城の概要
城跡は尾根先端を削り込んで作られ、基本は甲賀の典型的な単郭方形の城ですが、主郭西側の堀切から帯郭状廓、東側のにも副郭のような削平地がある。主郭南側が櫓台になっていたのか高い土塁が残る。この南側土塁下に低い土塁で囲まれた池がある。高い南側土塁の外側は深い堀切が明瞭に残ります。なお、城の西側には滝川西城、北側400m先には滝川支城がある。
山の神
お城の歴史
滝川一益が居城したことから滝川城と呼ばれ、またこの地の名称から五反田城とも伝えられます。滝川一益は甲賀大原庄に生まれ、16才まで在住した後、織田信長の配下に加わりました。石山本願寺攻めや伊勢長島一揆鎮圧などに武勇を上げ、信長四天王のひとりとして数えられました。後には関東一円を支配する管領となりますが、元亀元年(1570年)に信長の近江守護六角氏追討と六角氏支援の甲賀武士を攻める大将とされ、故郷の親類・同胞を攻めることとなり、戦国時代の世の下克上と悲話を物語る城跡です。 <現地案内板より 甲賀町教育委員会>
大原荘の東部、櫟野一帯に蟠踞(ばんきょ)した滝川一族の本拠、『近江與地志略』に「瀧川氏居城の跡なりといふ」と見える。
東側の瀧川城が滝川氏の本城と伝わる。
市指定史跡。
一族から出て織田氏の重臣として活躍した滝川一益(かずます)のゆかりの城としても知られる。織田信長の四天王と称され、特に伊勢平定や関東進出に絶大な貢献をした滝川一益を輩出した滝川氏の本城と伝えられる。瀧川城は檪野川南岸の丘陵に所在し、滝川一益が一時居城したとも、生誕地であるとも伝えられる。
1570年織田氏の六角氏追討戦で一益の同胞の甲賀武士は瀧川城に籠城し、六角氏に味方した為、瀧川一益が甲賀武士を攻める大将として選ばれ、親族同胞と戦い瀧川城を落城させ甲賀武士団を壊滅させた。瀧川城は、戦国の世の習いを語り継ぐ悲話の城である。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城、日本城郭体系
本日も訪問、ありがとうございました!!。感謝!!