お城のデータ
所在地:滋賀県近江八幡市牧町 http://yahoo.jp/X9roqe
別 称:牧館
現 状:集落、宅地
区 分:居館
築城期:南北朝期(明応七年(一四九八年)
築城者:九之里三郎右衛門高雄が伊賀守形部少輔
遺 構:
標 高:87m 比高差:-
目標地:五社神社・牧町バス停
駐車場:五社神社前駐車場スペース
訪城日:2016.2.18
お城の概要
蒲生郡牧村は琵琶湖岸にある岡山はかつて水茎内湖の湖中に浮かぶ島だった。昭和19年に干拓が始まるまでは、内湖はほぼ絵図のままであった。岡山の南東1kmの位置し、小さい集落に五つもの寺院がある。歴史の重ねた集落。
お城の歴史
蒲生郡牧村は琵琶湖岸にある岡山はかつて水茎内湖の湖中に浮かぶ島だった。ここに南北朝時代建武3年足利尊氏が六角時信に湖上交通の監視所を儲けさせて以来、織田信長の近江侵入まで、島全体が佐々木六角氏の支城であった。
「九里」という名称は古く鎌倉時代から、当地(現・近江八幡市金剛寺町)に住んでいた豪族で九里氏より付けられたと言われています
九里(くのり)氏は藤原氏の流れと伝えられ享徳二年(一四五二年)東大寺文書に記録では伊庭氏の又代官九里冶任の名が残っています
明応七年(一四九八年)金剛寺居館の佐々木六角の臣九之里三郎右衛門高雄が伊賀守形部少輔と名乗り岡山村牧の岡に移封されたが当地の館はそのまま所領となる
大永三年(一五二三年)牧の岡城にいた伊庭九里の両氏は佐々木氏反抗同年十二月二十日佐々木の居城である観音寺城に進まんとしたが城兵が黒橋に出て防ぎ両軍血戦の結果、伊庭氏九里氏(九里三重朗)は戦死いたが九里村が残りました。
牧村を含む一帯は六角氏の重臣伊庭氏の支配地、明応8年(1499)伊庭氏の被官九里氏が、新封地として入部し牧館(牧村城)を築いた。
永正5年(1508)京を追われた足利11第将軍義澄は伊庭氏と九里氏を頼り、これを迎えるために岡山城の本格的築城がなされた。城主は九里氏(城番だったか?)この城で足利12第義春は産まれ、善澄は病死した。伊庭氏の反乱などいろいろ絡み伊庭・九里連合軍は何度か戦い、ついに滅びた。
牧村周辺での「浅井」の記録
江北では、天文年間に佐々木京極氏から実質的支配権を奪った浅井亮政は江南の六角と対立していた。浅井軍は大永5年(1525)伊庭氏の要請で船路旧伊庭領に進出し六角軍を挟撃を謀ったがならなかった。浅井軍は島村に上陸した。
島村長命寺の「殻屋寺」(天台宗)は1547年頃春庭市慈尼の開山(浅井亮政の姉妹)で、浅井長政の三女小督が徳川秀忠室だった縁で徳川幕府との関わりも深かった。
牧村の位置は、現・牧町の位置と同じかが不明だ。近江国は今まで何度か大地震と大水害に襲われている。文禄5年(1596)の大地震で琵琶湖水位は1.5mも上昇し、生活面も移動したかも?。津田内湖この際に形成された。
野洲川宮が偲ばれる五社神社
下照姫命と思兼命を祀る五社神社~かつて「野洲之宮」と呼ばれる宮があった!
- 今から160万年前、野洲川周辺に「野洲の宮」と呼ばれた宮があったという。 昼子姫(稚姫君神・下照姫)が夫の思兼命とともに天之忍穂耳尊の養育にあたられた場所である。
同時に『秀真伝(ほつまつたゑ)』でいう天之誓約が昼子姫と素盞鳴命の間でなされた場所である。
天之誓約の場所には2ヶ所ある。
神が人体をもって現れる前の天之誓約の場所と、人体をもって現れたあとの天之誓約の場所だ。
五社神社を「野洲の宮」というには野洲川から位置的に離れていると思うが、「下照姫命と思兼命」を祀っているところを見ると、五社神社の創祀に神代の記憶が想起されてきているのかもしれない。
遠い神代の記憶を偲ぶ姿勢に霊線が通るものだと思う。
比定地は畑が営まれている
水茎岡山城 近江八幡市牧町 187m
当地域は万葉集にも謳われる景勝地で古くから多くの人々を魅了してきたところです。
室町幕府の将軍争いにより、都を後にした11代将軍の足利義澄(よしずみ)が地方の武士であった九里浄椿(くのりじょうちん)に助けを求めたことから、当地に城が築かれることになりました。
現在は干拓され陸続きとなっていますが、以前は周囲が湖に囲まれていたため浮城でした。琵琶湖を知り尽くした彼らは、数に勝る幕府軍の攻撃を撃退し、逆に京都へ攻め上がる計画を立てていましたが、義澄の急逝などの不運もあり和議を結びましたが、後に、奇襲攻撃に遭い篭城の末、落城しました。
命を救われた九里でしたが、落城から2年後、当地で生れた亀王丸(足利義晴「よしはる」)が12代の将軍に就いたことを知り、思い残すことはないと自刃しました。
将軍に忠誠を誓い戦国の世に散った悲運の武士の舞台となった岡山城は、歴史的にはわずか13年の短い城でした。昭和57年に地元有志により供養塔などが設置されました。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、近江八幡市の牧町の歴史、遺跡ウォーカー
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!