葛木城 別名 葛城城 滋賀県甲賀市甲南町葛木
石碑はここ:http://yahoo.jp/m2qwJB
お城のデータ
別名 葛城城
現 状:森林
区 分:山城
築城期:室町期
築城者:葛木氏
城 主:葛木丹後守
遺 構:堀(池)、曲郭・土塁・物見櫓
目標地:西川ローズ工場・ミヤコカッター
駐車場:路上駐車
訪城日:2014.10.9、2014.10.12
西川ローズ工場の東側に碑・裏説明板
お城の概要
葛木城は、甲南町葛木のうち、集落の北方円通寺の参道の西の丘陵の舌状部に残存する。
堀(池)、土塁に囲われた曲郭50m×40mの確認できる。
ただ比定地は、北側に広がる丘陵地の麓にも曲郭跡の残存、腰郭、物見櫓はハイキングコースとして改変が激しい。
丘陵上にあった詰城に下屋敷。至近距離の葛木館と関連か。
円通寺の参道石碑・・(ミヤコカッターの東=ここの空地に駐車)・・・県道127号線沿い。
葛木城(遠景)
歴 史
在地土豪である葛木氏の居館だとされる。
『太平記』にみえる、正平15年(1360)近江佐々木勢に対抗するため、伊勢・伊賀勢の仁木義任が陣取った「葛木山」がこの一帯にあったとする説もある。
甲賀五十三家の一つに、葛木丹後守名が見える。葛城家 甲賀市甲南町葛木 字が異なりますが同義語。
近江の地誌『近江淡海温故録』によると、甲賀武士は、累代本領を支配し、古風の武士の意地を立て、過奢を嫌い、質素を好み、大方小身故に地戦計りに出つ。然れども一分一並の武勇は嗜み、故に皆今の世迄相続し、家を失わず、国並みの家々とは格別の風儀なり。世に甲賀の忍の衆と云うは、釣の陣に神妙の動あり。日本国十の大軍眼前に見及び故、其以来名高く誉れを伝えたり。元来此の忍の法は、屋形の秘軍亀六の法を伝授せし故なり。其以来、弥鍛錬して伊賀甲賀衆誉多し、甲賀五十三家の目あれど、其家詳ならず伝々。
甲賀は都に近く情報が入りやすわりには、山間部にあり、そして常に合戦に関ってきた経験は、後の世に「甲賀者」呼ばれる、「忍者」に発展する素地を備えていたものと思われる。
曲郭跡
円通寺(無住)
参道の西脇の廃屋・・・この西隣に曲郭跡
腰曲郭
目標地のミヤコカッター・・・舗装道(円通寺参道)を北に500m
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、甲賀の城 、 日本城郭大系
本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!