お城のデータ
所在地:大津市苗鹿2-7-11(法光寺) map:https://yahoo.jp/Pz_rT7
別 称:小塚山城
現 状:山林
区 分:陣所
築城期:
築城者:
改築期:織豊期
改築者:浅井、朝倉軍
遺 構:平削地(本陣)、土塁・
標 高:138m 比高差:50m(旧西近江路より)
目標地:西光寺(大津市苗鹿2-7-11)
駐車場:西光寺
訪城日:2017.4.20
お城の概要
大津市苗鹿町の法光寺の裏山に位置する。
城址は、西光寺の西側に林道があり、西光寺の本堂の高さに土塁が残る。
遺構は、林道を挟んで東西に存在していたようである。
お城の歴史
『來迎寺要書』一 真雄和尚
元亀元年坂本合戦時、当寺什物悉ク手・・・・
- 一、九月十八日、浅井備前守長政、朝倉左衛門義景、其勢二万八千余騎ニテ、江州志賀郡江打出、小塚山ヲ為本陣、苗鹿、雄琴、乳野、仰木、飯室、絹川(衣川)、堅田辺迄取陣也、此時宇佐山之取出森三左衛門可成五百余騎ニテ志賀表ニ人数ヲ伏置、・・・・云々
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法光寺 (大津市)
法光寺(ほうこうじ)は、滋賀県大津市苗鹿にある天台宗の寺院。
歴史
仁寿元年(851年)小槻今雄に対し同寺の建つ滋賀郡雄琴・苗鹿(現滋賀県大津市雄琴・苗鹿)の地が与えられ、同寺は小槻氏の氏寺として貞観5年(863年)今雄により創建されたとされる。一説には今雄以前に延暦寺の末寺として最澄により開基され、那波加神社の別当寺であったとも言われる[1]。この地は小槻氏とつながりが深く、地名の「雄琴」は今雄の名に因むとされる。一帯には氏神として、今雄を祀る雄琴神社や小槻氏祖・於知別命を祀る那波加神社が残り、当寺とは神宮寺・鎮守社の関係にある。
中世には法光寺領の雄琴荘・苗鹿荘を巡り小槻氏と妙法院門跡との間で訴訟が起こっている。この際には小槻氏の領となったが、小槻氏が壬生家と大宮家に分裂すると両者の間で再び相論となっている。壬生家領となった法光寺領はその後戦国時代に六角氏の支配下となり、六角氏は壬生家に80石(実際には50石)を上納することとなった。
境内
往時には堂舎24宇・支院僧坊30余寺あったと伝えるが、元亀2年(1571年)織田信長の比叡山焼き討ちの際に焼失し、延享3年(1746年)再興が図られた。現在は数棟の堂宇が残るのみで、本堂は1916年建造。
- 石造宝塔(伝小槻今雄宿禰墓)
- 苗鹿地蔵堂
- 苗鹿地蔵は最澄が彫ったとされる「坂本六地蔵」の1つで、境内の地蔵堂の中に立つ。街道沿いにあったが当寺内に移転した。移転前、堂前で大名が落馬したという故事から「すべり地蔵」とも呼ばれ、足腰を守ると言われる。