城郭探訪

yamaziro

逢坂二丁目周辺の遺構 近江国(大津)

2017年03月26日 | 陣所

お城のデータ

別 称:長等山陣城の砲台地か?

 所在地:大津市逢坂二丁目  map:http://yahoo.jp/yEp-xr

立 地:長等山 山腹。

現 況:山林

築城期:織豊期後期(1600年)

築城者:西軍(豊臣方 立花宗茂と毛利軍) 

遺 構:平削地

標 高:200m 比高差駐車場より70m(大津城より110m)

目標地:長等不動明

駐車場:長等不動明

訪城日:2017.3.23

お城の概要

長等山陣城。 今は、長等公園に、整備されています!
此処から、大砲で砲撃されたか!

お城の歴史

関ヶ原の戦い前哨戦...
参考資料:近江の城郭探訪より

【大津城の戦い】

大津籠城は慶長五年(1600)9月4日から始まり、家臣の妻子をよんで兵糧米の確保や、塩や味噌、醤油も城内の蔵に入れ、防御を堅固にするため城のまわりを14時間もかけて焼き払いました。

この籠城に対して、西軍の立花宗茂と毛利軍の率いる一万五千の大軍は大津城を包囲し、大津城が非常に見やすい、城の南西にある長等山(ながらさん)の山腹に陣をはりました。西軍の総攻撃は9月6日からはじまり、城外の前線陣地は全滅となりましたが、城内の守りは堅く、一進一退の攻防が続きました。そ こで西軍は、

長等山に大砲を据えて、城内に向かって砲撃を開始いたしました。

この攻撃ぶりを京の町衆も手弁当をもって見物にきていたといわれています。
城内はこの攻撃にも開門の様子なく、6日目を迎えましたが、西軍 の外堀を埋める戦略により、より激しい攻撃が行われ、9月14日、秀吉と親しかった 高野山の僧、木喰応其(もくじきおうご)と新庄直忠が本 丸に入り、和睦開城を申し入 れました。.
参考資料:近江の城郭探訪より

逢坂二丁目周辺の遺構(砲台地か?)

此処まで

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査9、さきろぐ、近江の城郭探訪

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