太山寺(たいさんじ)の遺構
お城のデータ
所在地:高島市(旧高島郡)安曇川町中野大山寺 map:http://yahoo.jp/Gs9jjR
現 状:山林
区 分:山城
築城期:室町期
築城者:
遺 構:郭・土塁・堀切・
標 高:277m 比高差:72m(太山寺集落)
目標地:中野太山寺集落
駐車場:太山寺集落入口に路上駐車)
訪城日:2016.4.2
太山寺城、太山寺の遺構 地形図(明治28年2万分の1) | |||||
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お城の概要
太山寺城跡は、比良山系の最北端に位置する阿弥陀山(標高453.6m)の南側中腹、切り立った舌状尾根上の標高290~320m間に段築され、12か所の削平地を有する。視界の点では、高島町の横山集落から直線距離で2.2kmも奥まった谷間の支尾根上にあるため、平野部への見通しは不良である。・
・・太山寺の遺構は、太山寺城の城道ある。阿弥陀山への登山道と進むと尾根にでる。尾根に【太山寺城跡へ】案内板あり、左下へ進むと「遺構を上部から全体」を見ることできる。П型の山道を下りると、太山寺城跡の説明板がある。
【太山寺の遺構】は、「太山寺城の支城?出城?の遺構」であろう!
太山寺城、太山寺の遺構 地形図(現在 国土地理院地図より) | ||||||||
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お城の歴史・・・(太山寺城)と同じ
元々、天台宗高島七ケ寺のひとつの太山寺があったと。そのを周囲の勢力である横山氏・田中氏・朽木氏のいずれかが城郭に改修したもの考えられますが、詳細は不明。
天台宗の古代寺院・高島七ヶ寺
『近江輿地志略』には、長法寺、世喜寺、松蓋寺(田中城(上寺城))、太山寺(太山寺城、米井寺、大慈寺、酒波寺と記す。
此山を阿弥陀山と号するは往昔此山上に寺あリ、阿弥陀山大山寺と号す。高島七箇寺の一院として比叡山延暦寺の末寺也、信長公のために焦士となり、今は唯山名存するのみ。
『高島郡誌』には、長法寺、世喜寺、松蓋寺(田中城(上寺城))、太山寺(太山寺城)、清水寺、大谷寺、酒波寺と記す。
中野村に在リ。往昔阿弥陀山に大山寺あり。織田信長公の為に烏有となリ、僅に其旧跡として聖徳太子の小堂一宇を山麓八町(※1)を建立す、今の地是也。
地元では「御屋敷」または「寺屋敷」と呼ばれ、同地が小字「阿弥陀山」に属すること、天台宗寺院の立地条件の特徴を備えていること、最上段の曲輪には寺院の堂塔の基壇を思わせる石積み状遺構が存在すること、周辺には平安時代後期の陶器片が散布することなどから、創建時の太山寺が在った可能性が極めて大きい。
一方、遺跡全体の構造は、中世城郭の連郭式に分類でき、堀切・竪堀・土塁・帯曲輪など山城の縄張リとしての特徴も顕著である。
したがって・太山寺城は古代山岳寺院の遺構を利用して、戦国時代になって山城に改築されたものと考えるのが妥当と思われるが、築城の主体者については、田中氏・朽木氏・横山氏の領界付近にあることから、3氏いずれかと考えられるが現時点では決め手にかける。
右上部が【太山寺(たいざんじ)の遺構】