城郭探訪

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横山半喜長隆の墓(余呉)

2013年05月12日 | 武将

 【横山半喜長隆の墓】

高月町横山出身で前田利家の家臣。前田軍が戦わずして戦線離脱した際、殿をつとめ、敵に包囲されて吉祥院の境内で自害した。

名称:横山半喜長隆の墓

所在地:長浜市余呉町中ノ郷  map:http://yahoo.jp/yUtuxG

区 分:墓

時 代:天正11年(1583年)3月~4月

訪城日:2013.5.9

 

天文8年(1539年)美濃国多芸郡の豪族横山時隆の子として生まれる。多芸郡直江郷の杉弥左衛門の婿養子となる。清水城主稲葉良通(通朝)に仕えるも、同僚と争い、相手を殺害して越前に逃れる。大野城主金森長近に仕えた後、金森家を退き、越前府中で閑居して半喜と号す。

 

天正10年(1582年前田利長出仕し旗奉行となる。

 

天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いに出陣し殿軍を務めて戦死した。享年45。

 

  前田利家が、賤ヶ岳ノ合戦の折りに戦わずして戦線を離脱した時に、その殿を勤めていた武将です。

 

 利家達とは一緒に退く事ができず、敵の秀吉軍に包囲されて自害してしまいました。
 自害した余呉町の長谷山山麓にある吉祥院で、遺骸は丁重に葬られ供養されたそうです。このお寺が菩提寺となりました。 後に加賀藩主となった前田家により、半喜の子長知は重臣となり、加賀八家・横山家三万石の祖となりました。 数年前に余呉町教委の方々に吉祥院に案内して頂き、山の斜面にある半喜長隆のお墓にお参りさせて頂きました。遠く金沢で作られて持って来られたものだそうです。 その横には、維新後に男爵となった十二代目の御子孫が同時に建てた石碑もあります。

 

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。


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