織田淡水墓石 供養塔(正面)
墓石の表面には「織田淡水府君墓」と刻まれ、側面や背面には一之の事蹟などが述べられています。
織田淡水墓石(側面)
織田淡水墓石(背面)
所在地:東近江市野村町(旧・八日市市野村町) map:http://yahoo.jp/x0X50Wttp
織田淡水の墓(供養塔)
滋賀県には、安土城をはじめ信長に係わるものは数多くあります。ところが、その子孫となるとどうでしょう。ほとんどの人がその名前すら知らないでしょう。
信長のひ孫にあたる人物。 信長の七男に信高、その子高重の時に旗本寄合となり、近江国神崎郡に約2千石を与えられました。その場所は現在の近江国(現在・東近江市)神田町・野村町・外町にあたります。高重を継いだのは一之です。
一之は淡水と号し、元禄8年(1695)6月12日に亡くなっていますが、その墓が東近江市野村町の陽泉院境内にあります。
墓はもともと境内にあったものではなく、八風街道に近い林の中にあったものが、数度の移転を経て陽泉院に置かれるようになったと。
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陽泉院境内には、織田淡水の墓とともに「鳩塚」なるものがあります。これは、旧陸軍によって飼育されていた伝書鳩の墓のようです。軍隊によって用いられていた伝書鳩のことを「軍鳩(ぐんきゅう)」とも言い、日本には明治年間に入ってきたそうです。
野村町に隣接する沖野には、かつて旧陸軍の飛行場があったことから、その関係で陽泉院境内に「鳩塚」が建立されたのでしょう。
この「鳩塚」ですが、わかりにくい場所にあります。
なお、彦根市にある護国神社の境内には、軍によって使われた馬や犬・鳩のための慰霊碑が昭和60年(1985)に建てられています。
鳩塚
集落・家並みは続いてますが、神田町です
陽泉院より徒歩数分のところに神田町公民館がありますが、その敷地に太鼓櫓が建っています。太鼓櫓とは、太鼓の打ち方によって火災や水害・集会の知らせなどに使われた、合図のための施設です。旧八日市市内には、こうした太鼓櫓が7基残っているそうです。
参考資料:滋賀県文化財保護協会HP
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