今年最初の落語会は3月に入ってからになってしまった。
「いらち俥」(小鯛):△+
「乗り物が進化している」マクラ。
新幹線とリニアモーターカーのよくある比較。
新幹線で「富士山を撮る」というのであれば、
リニアで何か「撮れない」話を入れないと平仄が合わないだろう。
ネタは全体にリズム良く進んでいた。
若干流れているきらいもあるが、
間を詰めており、台詞そのもののスピードだけでなく
慌てている感じをよく出していた。
遅い俥屋は、特に最初に遅い様子を見せており、
後は(時に遅い部分を入れているが)そこまで遅くはしていない。
ずっと遅いとネタとしてのテンポは悪くなるので、
その方が良いだろう。
ただ、時に客のスピードに流されているところがあった。
降りた客が「新しいカツアゲ」と言うのは面白かった。
二人目の俥屋、
かなり激しくやって息切れしていた。
「しんどいから早く降りたい」といった客の言葉を演者と重ね合わせてウケをとっていた。
個人的にはあまり好みではないなあ。
元々が激しいので、
市電とすれ違う場面があまり引き立たなかった印象。
市電が来て客が「ワアワア」言い、「わあわあ言っております」のワアワア落ち。
「佐々木裁き」(出丸):△+
怪我の話、
選挙の買収の話などからネタへ。
まあ、普通にやっている。
特に雑でもなく。
四郎吉や子どもを特にクサくやっておらず、
それはそれで好感は持てるのだが、
全体に子どもっぽい口調のある人なので分かりづらいところはある。
四郎吉に「つは揃っていますか」と聞く
ちょっと憎たらしげな子どもが良かった。
親子の会話に佐々木信濃守の家来が入ってくる。
ここで年齢を訊くのに対して「四十二で」「子どもの年じゃ」の応対、
少し雑に感じた。
直前に子どもの名前を尋ねる場面があり、
家来はその流れで「子どもの年齢」を訊いているが
父親は「親の年齢を訊かれた」のギャップになる訳だが、
何故父親が誤解をしたのか?というところ、
或いは「父親の話がメイン」と思っているからそのまま自分の年齢を答えた
(だとすると、その直前の子どもの名前の回答はぞんざいであるだろう)のか、
そのあたりがざっくり流れてしまった気がする。
奉行所に呼ばれて佐々木信濃守と四郎吉のやりとり。
四郎吉にやり込められる度に佐々木信濃守が唸るのは
少しクサい印象。
「天王寺詣り」(雀三郎):○+
「暑さ寒さも彼岸まで」から天王寺の現在の紹介。
「様々な宗派が祀られている」話で
「そのうち幸福の科学も祀られる」というのは
個人的には好きだけど、客席全体としては引いていた感じ。
ネタは、やはりアホの造型が自然で良いのは当然だが、
この日はそれを受ける側(隠居?)の雰囲気の良さが印象に残った。
アホの突拍子もない言葉を受け止めつつ流しつつ、
「仕方ないなあ」と穏和に見守っている感じ。
そのあたりの普段からの関係の積み重ねが感じられた。
特に「あの犬、死んだんか」という(ごく何気ない)一言が良かった。
普段から可愛がっていた犬で、それが死んだ、という実感が籠っていた。
これがサゲの「むげっしょうにはどつけんもの」という
アホの台詞に含まれる哀感に繋がってくるのでは、と思う。
天王寺さんの中を回るところはごく普通に。
無論悪くないのだが、普段の雀三郎通り、という感じ。
裏手の見世物小屋は生き生きとしていた。
天王寺さんの宗教的な部分と裏腹なような一連のような猥雑さが感じられた。
ただこれも、特に良かった、という印象ではない。
単にこの部分で派手にやったり芸尽くしをやったりすれば良い、
という演出とは無論レベルが違うのだが。
引導鐘を突く坊さんの雰囲気が流石。
その雰囲気が「クワーン」から下げの「むげっしょうにはどつけんもの」まで
通奏低音になっていた印象。
「愛宕山」(出丸):△+
springは如何にも春らしい、といった話からネタへ。
「同意が得られないようですが」と言っていたが、個人的には賛同できる。
ネタはまあまあ、という印象。
無論噛むことも多いのだが。
京都の旦那と大阪の幇間の対照はよく出ていた。
特に最初の山の意地比べのあたり、
京都の旦那は別に特に強く言う訳ではないがそれに対して幇間が過剰に反応する感じ、
これも如何にも(若干の劣等感の裏返しもあって)大阪の幇間らしい。
山登りはまあまあ。
肋骨骨折の影響かあまり激しく動いてはいなかったが、
それでも徐々に疲れていくところなど、丁寧にやっていた。
上がって食事、タバコの件はまあまあ。
かわらけ投げは、もう少し丁寧に見せるようにやっても良いかも知れない。
少し勿体ない。
小判投げに移るところは、もう少し幇間が挑発的に言った方が、
それに然程キレるまでもなく乗っかる旦那との対照が出て良いと思う。
小判を投げる具体的な動きはなく、
一八の視点で投げられる様子(投げ終わった後)を描くことになる。
ここは一八がもう少し驚いて見せる方が好み。
あと、個人的には「かわらけ投げ」のように1枚ずつ的を狙って投げていると思っているのだが、
何となく纏めて放っているようにも感じる。
飛ぶ場面はまあまあ。
戻ってきてからサゲまでは、少し流れてしまったように感じた。
「百年目」(雀三郎):○-
マクラは「つるっぱし亭」同様、「人を使えば苦を使う」の例で
若手で落語会に行っていた時と自分が芯で行く時の意識の違い。
細かく手を付けていた。
ネタは、若干、番頭や旦那の一貫性が弱い、と感じてしまう部分が目に付いた。
番頭であれば店の連中に小言を言っていく際の落ち着き方、
その後浮かれて花見をする、帰ってきて落ち込む、
最後旦那の話を聞く。
旦那については、特に最後番頭に話をしていく際の話し方に、
もう少し人物設定の通底する描写が見えた方が良かったように思う。
番頭は最初の小言は少し早目だが、まあ悪くない。
特に「自分が別家させてもらったら後を継ぐであろう」二番番頭への言い方について、
実際には「お茶屋」などを知っているが後で大きく叱るために
皮肉っぽく尋ねていくところが良かった。
店を出て幇間。
この幇間や屋形船での女連中は、如何にも色街の雰囲気が出ていて良かった。
そこに基本的には堅い番頭が混じり、
酒を飲むうちに徐々に崩れていく、
最後は陸に上がって騒いでしまう、という流れが良かった。
ただ、もう少し陸での騒ぎを派手にした方が、
後の旦那と玄白老の「静」との対比が出て良いと思う。
旦那に見つかり頭を下げる。
あの場面、番頭はもう少し旦那の顔を見ているのでは、と感じる。
けっこうすぐに顔を下げて「ご無沙汰しております」になることが多いのだが、
意外な人に会った時に一瞬目では見えているのだが誰か(頭には繋がらず)分からない、
それが誰か分かって焦る、という流れをもう少し見せた方が良いと思う。
やり過ぎるとクサくなるのだが、ここをやっておいた方が、
最後に旦那が「妙なことを言っていたな」と転換する際に突拍子のなさが軽減され、
聞く側としてスムーズにサゲに向けて頭を切り替えられると思うし。
着替えて店に帰って布団に入る。
旦那の「薬では間に合わない」は皮肉として作っているように聞こえた。
個人的には旦那は皮肉でないが番頭には皮肉として聞こえる、
というギャップが良いのでは、と思う。
番頭が脱ぎ着する。
タンスの一番上の引き出しから風呂敷を出して開けっ放しにしており、
後でそこで頭を打つ、というのは初めて見たが面白い演出。
「閉める余裕がない」印象を強めるし、
頭を打った後の「(痛みで)涙が出るわ」という台詞が物理的な痛みだけでなく、
長く勤めていて最後に失敗した、という嘆きも含めているように聞こえる。
この場面できっちりウケていた。
着ていく場面、脱いでいく場面を徐々に短くしていく(早く転換していく)のが
リズムとして重要なのだろう。
あとはちょっとした感情が湧き出る捨て台詞。
旦那の咳は少し大袈裟かなあ。
ここも先ほどの皮肉同様、
ちょっとした咳が大きく番頭の胸に堪える、という作りの方が好み。
旦那が番頭を呼んでの法談から昨日の話へ。
この場面があまり良くなかったと思う。
全体に間が詰まって早い。
また、法談の意味も伝わりづらかったのでは、と思う。
店の仕組みとして「内」と「店」があることが伝わるように、
そして番頭が「内らでは南縁草だが店に出たら赤栴檀である」というのが分かるように
(若干クサくはなるのだが)説く必要があるだろう。
その後の「昨日はお楽しみ」の転換も、
やはり旦那は旦那としての一貫性をもう少し見せた方が良いのでは、と感じた。
トータル40分足らずの「百年目」でした。