させぼ moonlight serenade

自身の取扱説明書です
きっと

シアワセハ バラノ ツボミガ ヒラクトキ

2016-05-27 08:49:59 | 日々のこと


次の日だから

ま、いいか。



ワタシが

安直なキモチ



ブログに

書いたものですから

昨日も

たくさんの方に

ご来店いただいたり

お祝いのメッセージを

いただきました



申し訳ないやら

有り難いやら



そんななか

常連且つ

マスターの

同級生である

N女史から

ものの見事な

40本の

薔薇の花束の

贈呈式が

行なわれました






流石に

マスターも

ふざけるコトもなく(笑)

この時ばかりは

感慨深げでした



N女史も

バードモナミと

同じくらいに

ヒトツの仕事を

ずっと続け

たくさんの

顧客の方々から

多大なる信頼を

得てこられた

偉大なる

プロフェッショナル



マスターとは

冗談を云い合ったり

美味しいレシピを

交換し合ったりの

気心知れた友人である



同時に

同じ時代を

闘い抜けてきた

朋友

とも



傍らで

見ているモノとして

ふたりを

尊敬していますが

とても

羨ましくも

想います



いまは

みんなトモダチ!

なのに

なぜだか秘密主義

みたいな

浅く狭い

関係性を

何処か

好む。

のに

望んでいるワケではない。

厄介な時代

だけれど

先輩方の

本気度



本音度



目の当たりにすると

なんだか

胸がスカッと

するのです



時には

まぁまぁ・・と

宥めたり

制したくなったり

するくらい

純粋だなぁと

想うコトも

ありますが


「このヒトなら 理解してくれる!」



そう

想い合えるヒトとなら

それぐらい

剥き出しの関わりで

いいのかも



秋には

引退される

N女史



きっと

自身の生き様



バードモナミ



重ねられ

贈られたような気がして

ピンクの薔薇の

花言葉を

調べてみたら




「誇り」



「感謝」




ありました




参りました!




さて

マスターは

秋には

N女史に

何色の薔薇を

何本贈るのかしらん



・・たのしみです

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母の味

2016-05-27 08:04:50 | 日々のこと



最近

母の味。



食べていないなぁ・・



B型獅子座同士

マメに

連絡取り合うワケじゃないし



なんとなく

心地よい距離感が

これだから

仕方ないけど



昔は

なんでも

手作りしてたっけ


新潟出身だからか

見た目は地味でも

しっかり

素材の味が

際立っていたり

旨みが

引き出されていたっけ

そう

まさに

あとは

白米さえあればいい

そんな

煮物中心の食事が

多かったな



父が他界して

自営の

寿司屋を

閉めてからも

ずっと

母は

飲食店で

働いてきた



性に合うのだろうね



ワタシも

見事

その血筋だけど




いまは

俵町にある

安兵衛さんに

ずいぶん長く

お世話になっている




揚げ物



炒め物

担当みたいで

どんどん

細く白くなっていく

腕には

結構

火傷の跡が

あったりして

それは

不器用で真面目に

生きてる証。

みたいで

それを見ると

少し

鼻の奥が

ツンとする



昨日

お届け物がてら

久しぶりに

安兵衛さんに

出向いた



帰り際に

必ず

芋天を

3パック持たせてくれる

のが

笑っちゃうけど

母らしくて

スキだ



帰ろうとしたら

同僚の方が



「はい、お母さんの味。よ

この焼きそば

お母さんが作らしたけん

食べなさいよ」




持たせてくださった




予定外の

ひと足早い昼食に

また太るじゃん・・

なんて

独り言を呟きながら

食べてみると

たしかに

安兵衛さんの

焼きそば

だけれど

たしかに

母の味。



した



野菜の端

ギリギリまで

大切に使い

食感を楽しむ

ギリギリの

硬さまで

しっかり炒め

ソースが

どちらかというと

控えめだけど

トータル

食べ終えるまで

飽きない

味濃さ加減



そして

なにより

母の匂いが

鼻先を掠めた様な

刹那さまで

振りかけてあった

ようだ



食べ終わって

してもらうコトばかり

足りないモノばかり



気を取られ

勝手に

淋しさに

浸っていた

自身が

恥ずかしくなった



自分で

生きていくために

自分で

働き続けている

なんと素晴らしい

お手本を

甘えさせてくれないからと

云って

キチンと

見ていなかったのは

ワタシの方だ



母の在り方


親子の在り方


家族の在り方




それは

実体験が

ベースとなるし

まさに

ヒトの数だけの

ケースバイケース





きっと





ワタシ



与え合う

関係より

気配を感じつつも

それぞれの場所を

大切にする

それが

親子のカタチ

なんだと

捉えていると

想う



もちろん

それは

元気なうち。



前提だけれど



母の味

母の匂い



それは

もう

きっと

ワタシの中に

すっかり

沁み込んでいて



時々

そう

ほんの

時々

関わり合えるだけでも

再確認できる

強い絆の

ようなモノ

だろう



ワタシも

母が

保ってくれた

自立心



自律心



持ち合わせた

存在に

なれたら

いいな



いつか

子どもたちに

とって



愛するモノに

とって









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