~こころに吹く風~

1952年生まれの みよです。
人生の花野に遊びたい。
心躍ることも心塞ぐことも綴ります。

母のこと・私のルーツ

2013年06月10日 | 母の記録
長野からの道中、母の若い頃の事をいろいろと聞いてみました。
私の両親は二人とも日系二世。母は6人兄弟の5番目としてアイダホで生まれました。

BGMはドリス・デイ。母と同い年のアメリカのシンガー。母と同じ時代を生きた女性です。


母の父 亀太郎(私の祖父)は若い頃アメリカへ移民しました。詳しい事は知りませんが、集団ではなく、一人でアラスカからアメリカへ入ったのだそうです。アラスカで馬の蹄鉄を直す仕事をしていました。

数年後、亀太郎は故郷から妻を迎えました。写真見合いです。
同郷とは言え、会った事もない人のもとへ写真を頼りに太平洋を渡った私の祖母の覚悟はどんなだったんでしょう。

話しはう~んと飛びますが、
第二次世界大戦が始まる直前、母が18歳の春に、カリフォルニアでレストランを開いていた亀太郎一家8人は長い船旅をして日本に戻りました。
開戦の兆しでも感じたのか、その辺りはわかりませんが、もし帰郷していなければ強制収容所に入れられていたこと必至です。
日本に戻り、日本語もままならないまま田舎に身を寄せた母は、日本の生活レベルの低さに驚き、生まれ故郷アメリカが恋しくてたまらなかったようです。

父と母の出会いは・・・
戦後、日本の映画や芝居は全て進駐軍の検閲を受けていました。
父は進駐軍の下で日本の脚本を英訳する仕事を、母はその部署の米軍人の秘書をしていました。
母はお弁当持ちでしたが、父は仕事場で飯ごうでご飯を炊き、七輪で魚を焼いたりしていたと母は言います。
そして父が暮らしていた浅草の下宿みたいなところで二人の生活が始まりました。炊事は大家さんの家の台所を借りていたのだそうです。そう言えば、幼い頃「浅草のおばさん」の家へ連れて行かれた記憶がうっすらとあります。

父の父 長三郎も単身アメリカに渡ってカリフォルニアで農園をやっていた人なので、長三郎と亀太郎は気が合っていたのだそうです。
亀太郎はがっちりとした体格、長三郎は華奢。
亀太郎は夫婦喧嘩をしてやりこめられてもじっと黙って我慢していたこと。
長三郎は優しい人だったけれど、妻に言い返していたこと。

たった今 トイレに行った事も忘れてトイレばかり行ってる母ですが、昔のことは思いつくままにいくらでも話します。
持病はあっても年齢のわりには健康な母。
それでも一緒にいると、年をとって身体能力が落ちて尚生きることの大変さを感じます。
私が母のようになった時、息子達は私をどうするのだろうとふと思います。