~こころに吹く風~

1952年生まれの みよです。
人生の花野に遊びたい。
心躍ることも心塞ぐことも綴ります。

飯山寺町のカフェ

2013年06月17日 | 旅行・お出かけ・散歩
土曜日、長野で迎えた朝は深い霧が立ち込めていました。
山越えをして町に降りる途中、あまりの濃霧で少し怖かった。
まっすぐ東京へ帰るのは勿体ないので、以前通った時に気になってナビに地点登録してあったカフェへ行く事にしました。
そこはお寺が沢山集まっている場所。昔からの道なのでしょう、趣のある街並みが懐かしさを呼び起こします。

「風の蔵」というお休み処は、大聖寺の足元にあります。
ランチをお願いしたのですが既に売り切れで、ワッフルをいただきました。
ボリューム満点、キウィジャムが美味しかった。




「お食事の代わりにしては甘すぎますね」
と胡麻豆腐を付けてくださいました。とても美味しくて・・・
ここのランチは精進料理なんだそうです。


折角だからと、大聖寺さんを散歩させていただきました。
裏に墓地があり、江戸時代の墓石が苔蒸して、杉林に囲まれて佇んでいました。






シトシトと雨が降っていましたが、紫陽花はまだ咲いていませんでした。


雨の菖蒲園

2013年06月12日 | 家族
雨の中、母を連れて東村山市の北山公園菖蒲苑へ。
ここは狭山丘陵を背景にした自然公園です。
歩けるかな、ベンチは雨で濡れているし・・・というこちらの心配をよそに、ちょうど良い具合に咲いた色とりどりの花を喜んでくれました。



紫陽花の後ろの柵の向こうは西武線の線路です。
となりのトトロの舞台となった七国山のモデルでもある八国山の裾野を2両編成の電車が走る光景はのどか。


カンゾウが咲いています。この花を見ると 夏が来たなぁと思います。


真っ白いヒツジグサが見事です。


池の雨紋が美しい。


優しいむらさきと緑に 雨が似合います。

88歳のブラウス

2013年06月11日 | 母の記録
借家にしている自宅は庭が狭いのに、敷地の隅に柿の木があります。
枝が伸び過ぎるとご近所迷惑なので、伸び具合を見に行って、紫陽花を摘んできました。(只今空家)
この家に住んでいた頃は仕事仕事で、庭に咲く紫陽花を活けたこともなかったなぁ。

それからしまむらへ。

長野で母の旅行支度を手伝っていて、ブラジャーが1枚しかないと気付いたのです。
義妹に言ったら
「そう言えば、お母さんのブラジャー洗った事ないよ」
というわけで、ワイヤーもパッドも入っていないブラジャーを探して、フロントホックのを買いました。

「こういう店、いつもは来ないから」
と、下着や洋服を楽しそうに見ている様子は、やっぱり女なんだなぁと思います。
白地にピンクのレースが付いたパンティーと、白黒のストライプ、ラメ入り、フリルが付いたブラウスを買ってなんだか嬉しそう。


母のこと・私のルーツ

2013年06月10日 | 母の記録
長野からの道中、母の若い頃の事をいろいろと聞いてみました。
私の両親は二人とも日系二世。母は6人兄弟の5番目としてアイダホで生まれました。

BGMはドリス・デイ。母と同い年のアメリカのシンガー。母と同じ時代を生きた女性です。


母の父 亀太郎(私の祖父)は若い頃アメリカへ移民しました。詳しい事は知りませんが、集団ではなく、一人でアラスカからアメリカへ入ったのだそうです。アラスカで馬の蹄鉄を直す仕事をしていました。

数年後、亀太郎は故郷から妻を迎えました。写真見合いです。
同郷とは言え、会った事もない人のもとへ写真を頼りに太平洋を渡った私の祖母の覚悟はどんなだったんでしょう。

話しはう~んと飛びますが、
第二次世界大戦が始まる直前、母が18歳の春に、カリフォルニアでレストランを開いていた亀太郎一家8人は長い船旅をして日本に戻りました。
開戦の兆しでも感じたのか、その辺りはわかりませんが、もし帰郷していなければ強制収容所に入れられていたこと必至です。
日本に戻り、日本語もままならないまま田舎に身を寄せた母は、日本の生活レベルの低さに驚き、生まれ故郷アメリカが恋しくてたまらなかったようです。

父と母の出会いは・・・
戦後、日本の映画や芝居は全て進駐軍の検閲を受けていました。
父は進駐軍の下で日本の脚本を英訳する仕事を、母はその部署の米軍人の秘書をしていました。
母はお弁当持ちでしたが、父は仕事場で飯ごうでご飯を炊き、七輪で魚を焼いたりしていたと母は言います。
そして父が暮らしていた浅草の下宿みたいなところで二人の生活が始まりました。炊事は大家さんの家の台所を借りていたのだそうです。そう言えば、幼い頃「浅草のおばさん」の家へ連れて行かれた記憶がうっすらとあります。

父の父 長三郎も単身アメリカに渡ってカリフォルニアで農園をやっていた人なので、長三郎と亀太郎は気が合っていたのだそうです。
亀太郎はがっちりとした体格、長三郎は華奢。
亀太郎は夫婦喧嘩をしてやりこめられてもじっと黙って我慢していたこと。
長三郎は優しい人だったけれど、妻に言い返していたこと。

たった今 トイレに行った事も忘れてトイレばかり行ってる母ですが、昔のことは思いつくままにいくらでも話します。
持病はあっても年齢のわりには健康な母。
それでも一緒にいると、年をとって身体能力が落ちて尚生きることの大変さを感じます。
私が母のようになった時、息子達は私をどうするのだろうとふと思います。

緑溢れる季節の野沢温泉

2013年06月09日 | 旅行・お出かけ・散歩
母を迎えに信州へ行ってきました。
義妹が学生時代の友人たちと旅行へ行くために、今頃の季節に母を預かることが恒例になっています。

年に何度か母を連れて来るために信州を往復する時には、いつも何か自分の楽しみを追加することにしています。
今回は志賀高原か野沢温泉か迷いましたが、小布施PAで休憩していると雷雨になりました。
これでは志賀高原は雨か霧・・・レンゲツツジが咲いているかもしれませんが、霧で何も見えないかもしれません。

千曲川の堤を野沢温泉へ向けて走りました。
道路は視界が開けていて、右には広い河原の向こうに千曲川。
ドラマティックな雲の下には緑の山々が連なります。多分カヤノ平のあたりでしょう。
その間になだらかに傾斜する田園が続き、心地よい風が吹いてワクワクします。

野沢温泉は鄙びた温泉街でした。
思っていたよりも沢山の温泉宿がありました。
観光地ではありますが「観光化された」という印象ではありません。
この寂れ具合が私の壺にはまりました!








お土産屋さんに蔓細工が並んでいて惹かれました。でも高くて~その何十分の一のお値段の木製のフォークを買いました。
そこでお店のおばさんと、たまたま荷物を届けにいらした宅急便のお兄さんとで、雪に埋もれて花開いたフキノトウの話しで盛り上がり、棚田風景が美しい場所を教えていただきました。




今回は温泉街も棚田も下調べ程度でさ~っと通り過ぎただけだったので、温泉街が様変わりしないうちに是非また行かなくては!