母が文字通り倒れて、救急車で病院に運び込まれたのは去年の
1月5日のことだった。
1ヶ月間ほどは生死をさまようように、意識不明の状態だった。
3ヶ月間は急性期病院に入院していたが、一応の病名である糖尿病が落ち着いたとの判断で、
追い出された先が今の病院(療養病棟群)である。
だから通算して1年と7ヶ月になるのだが、
血糖値はいつまでたっても安定せず、これが糖尿病なのだと思わされる。
したがって、退院はとても覚束ない状態だ。
しかし稀に1週間ほども安定することもあって、そのような時は体調もいい。
今日がその日であって、食事制限が厳しい中、医師から許可が出て、
本人が一回でいいから、食べたいと言っていた寿司を実現することができた。
本人は歯が良くないし、いつも病院で食べやすいものを食べているので、ちょっと心配だったが、
食べたのは、真だち、うに、大とろ、真ぞい、ひらめ、牡丹えび、白つぶ、それに岩海苔の味噌汁だった。
もちろん一貫ずつ。ちょっと食べすぎの感があるが、次、
いつ来れるかはっきりしないなか、この辺が良かったのかも知れない。
本人も満足したし、「ちょうど良かった」と言っていた。
その後、話があると言うので、これも入院して初めて我が家に立ち寄った。
幸い我が家は、バリアフリーではないが、手摺りや捉まる所が充分で、
体調の良い日、すんなりと居間にたどり着く事ができた。
話は新潟弁で言うと「もうぐれている」、言わば「呆けた話」で紹介するに足りないが、
本人としては真剣で、こまってしまったが、早々に病院に戻ることにして、送り届けた次第である。
わずか3時間弱の、母親介護であるが、楽でない。
毎日こうした介護をしている方の苦労が身に沁みて分かったような気分になった。
ボクの好きな五輪橋通り。深緑が眩しい。
大好きなお寿司が食べられる…きっとまた元気になられますよ。
ご高齢ですもの、話がかみ合わないのは仕方のない事だと思います。
不思議と昔の事はよく覚えてるんですよね。
うちのじいちゃんもそうでした。
たぶん…シンさんのお母さんよりもボケてたと思います。
少しずつ自分だけの世界へ入っちゃうんでしょうね…。
うんうん、って聞いてあげるだけで良いと思います。
それでも元気なうちは少しでも幸せな気分で過ごさせてあげたいですね。
札幌もすっかりの濃い緑になりましたね。
今日も暑かったですか?
2時間が限界だなぁ、一人で対応するってのは。
母が呆けたトンチンカンな話をしだすと、父は全否定するんだよね。
だからボクも見習って、聞かない振りしてだまってしまう。
相槌打ってやるとか、ハイハイと聞いていると、もっとボケるんじゃないかと心配でね。
やっぱり、其れが正しい対処法なのかな?
今度からそうしてみます。
今日も31度を超えました。湿気もあってまたエアコンのお世話になってました。
日曜日は地区センターに行っても、知り合いがいないので、家で昼飯も食べずに、神社会計の総括をしてました。終了時刻6時。明日の午前に完全終了。と言っても、中途経過の終了と言う意味です。これから延々と続くかと思うとちと、グレーな気分でやんす。
お年寄りになると、特に食べることが楽しみみたいだもんね。他のことはなかなか叶うのは難しい状況だもの・・・
シンさん親孝行だわ。普通男の人って、そういうことめんどくさがったりして、奥さん任せにする人多いって聞くから。
>「もうぐれている」
木の葉地方では、「もう非行に走ってる」っていう意味だよ。言葉って面白い。地域によって全然違う意味になるんだね。
うちの家内は家内で、自分の母親の面倒見るので、結構と忙しいので仕方ないっす。
「もうぐれてる」は「もう、ぐれてる」でなくて、一本調子でハイ「もうぐれてる」(抑揚はつけません)です。~~~何をおバカなこと、どっちでもいいようなことで揉めてんだろう。