縁起でもないタイトルだが、昨晩、町内会の人が亡くなって、通夜に出席したので、札幌のお葬式について触れたいと・・・。
北海道は広いし、歴史的にも浜の地域(函館とか小樽、釧路など)は本州に近い形態をとることが多いので、あえて「札幌の・・・」とした。
この地区には4つの葬儀場が、直径500mほどの狭い中に点在している。
10年ほど前までは、葬儀委員長が必ずのようにいて、その大半が町内会長が務めとしてやり、近所の人たちはお手伝いに行くというのが当たり前だった。
また現役の人が亡くなった場合は、会社の上司がやるものと決まっていた。
私も人事部長のとき2回、若手行員の突然死による葬儀の委員長をやった憶えがある。
また、結婚式では仲人を5回やらされた=頼まれ仲人というやつ。
しかし今や、家族葬なるものが一般的になって、受付、司会、故人の経歴紹介など全般にわたって葬儀屋さんが取り仕切るのが当たり前になっている。
葬儀委員長が指名されるのは、新聞に黒枠でお知らせするような大型の葬儀だけになった。
これも高齢化の影響によるものだろうが、90歳前後の人が多くの人と人間関係を築いているわけもないので、小型の葬儀になる。
北海道はパイオニア精神で発展したと言われるが、はっきり言って、極貧の中で森林を開拓し、畑を作ってきたのが実際である。明治の最初はコメが育たなかったので田圃はなかった。
そうしたことから、隣近所の互助精神が養われ、会費制の結婚式が生まれ、仲人のいない式となり、葬儀の香典も香典返しも質素なものが一般的だ。
昨晩は、町内会長が都合で参列できなかったので、代理で出席したのだが、参列者は結構いたものの、やはり万事を葬儀屋さんが仕切っていた。
通夜振舞いは近親者だけで執り行う。
父の実家の通夜のような、豪華な食事やお土産というようなものはない。
多分、香典返しのこの箱の中身は海苔だろう。
高齢化と核家族化、年老いた親は子どもに迷惑をかけたくないとの思い、老夫婦二人だけの世帯(うちもそうですが・・)、健康寿命と寿命の乖離(男で10年、女で13年と言われる)等々の要因が重なっているのだろう。
昔のように親の面倒を子が見る、なんて発想はなくなってしまったかのようで、やや寂しい感を持ったお通夜でした。
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