2日目の午後、まずは恐山へ。
女人禁制の場所以外は家内と一緒に歩ける。散策路は地獄に始まり、極楽で
終わる。 荒々しい岩肌のところが大半を占めるが、極楽の場所はたまたま、
日が照ってきたので、宇曽利山湖と併せて素晴らしい景観だった。
寺社の手前にこんな湧き水が流れていて、必ず口を付けるだけでいいので、
と言うので一口だけ口に含んだ。何しろヘリコバクター・ピロリ菌を心配しながら。。。
これは山門 本殿はその奥
山を背景にした、奥に見える建物が【本尊安置地蔵殿】 所謂、本殿だ。
本殿に向かって左の方が地獄谷。
ガイドさんが、「ここで写真を撮るのは控えめにしてください」と警告する。
よく帰ったあと、写真にしてみると、不気味な手や足、顔などが写るときが
あるのだそうで、そうなると旅の楽しさ半減だからだそうだ。
この風車は何かな? こうした小山は境内の随所にある
他界した子どもがいる親ごさんが立てて供養するものらしい。
風車は【寺務所】で販売している ま、水子供養に似たものだろう
次は恐山から大間岬まで行く。
大間というところは、一本釣りのマグロ、本州最北端で知られ、現在も
原子力発電所の建設が行われているようだ。
何かと複雑な地域なのである。最終処理場の実験施設も近くの六ヶ所村に建設
している。函館市は大間町から17kmしか離れてないので、建設続行に
猛反対している。原発問題は両方の利害が対立する場所になっている。
大間から函館まで17KMしか離れてない。大間の人たちは病院・買い物に行くといえば、
船に乗って函館に行く。1時間半だから。多分、時間も料金も得なんだろう。
以前はすごく仲のいい町同士だったが、今は対立している。悲しいことだ。
ボクは反対も賛成も、両方理解できるので、何とも言う資格がないが、
原発全廃ということになれば、電力各社の損失で済まず、国の繁栄か
没落に繫がるのではないかと思っている。だからと言って即賛成というわけではない。
環境整備が足りなかったし、お金で地域を誤魔化すやり方はどう見ても賛成しがたい。
ただ、最終処理場も決めずに踏み切ったのはまずいなぁと思う。
六ヶ所村は試験施設であって、日本中の最終残留物を処理できる
わけではない。やっぱり【開設】のことより、【閉鎖(廃棄)】の方が大事。
話が関係のない方向に向かって申し訳ない。
【本州最北端】と言われてもピンと来ない。
日本最北端の稚内の納沙布(のさっぷ)岬があるからだ。
しかもプーチンは場合により、条件次第で北方4島の半分、返す姿勢を示している。
日本はいつまでも4島返還に拘ることなく、柔軟に対応してもらいたいものだ。
そうなれば、日本最北端も場所が稚内から国後(くなしり)島に変るだろう。
こんなどうでもいいことを【碑】にまで昇華するのは如何なものだろう。
日本人は【碑】が好きで、この隣りには石川さゆりの【津軽海峡 冬景色】の碑。
さすがにカメラには収められないでしょ。
この日は下北で一番と思われる【ホテル ニュー薬研(やげん)】というホテルだった。
施設、温泉、食事、アメニティに問題はなかった。
結果、団体旅行としては、料理も移動手段も申し分なかった。
もっとも、この旅行代理店では、初めての企画商品であったらしく、
かなり気合が入っていたことは事実。しかもお金がかかってるなぁと感じた。
添乗員もガイドさんも大変なベテランで、バスの中で飽きることはなかった。
【ニュー薬研ホテル】の夕食だが、ホタテとウニの炊き込みご飯が【売り】だったようだ。
さっぱり身体を動かさないのに、朝昼晩とこうした感じのものが出てくるので
やや食傷気味だったのは事実。しかもお品書きつきで、続々と出てくるのだ。
それだけに二人で10万円ほどもかかった。津軽海峡があるとは言え、隣の県だ。
沖縄でも行ける料金で、割高感のある、しかし満足感もあるツアーだった。
要するに何でもお金次第ということなんだねぇ。
3日目
下北半島左側の脇野沢というところから、津軽半島の右側の蟹田(かにた)まで、
むつ湾を右から左へと横切ること1時間。小さい船だが、
大型バスも乗れるれっきとしたフェリーだ。
湾内なので揺れることなく、これにバスごと乗り入れて、1時間後には蟹田に着く。
蟹田というのは青函トンネル(約54km)の函館への青函トンネルの入口。
青函トンネルの海底の下100mを掘って作り、海底の距離は29kmだそうだ。
最近、話題になっている古いインフラの改修だが、このトンネルだと
生半可な金額と思えない。すでに開業後、20年以上は経っている。
札幌まで、新幹線の延伸が決まっているが、こうした公共工事による
施設劣化をどうするのだろう。疑問だらけだ。
旅程としては、津軽半島の先端にある竜飛(たっぴ)岬に行って、再度、蟹田に戻り、
蟹田からJRに乗って札幌に帰るというものだ。
竜飛岬灯台 海霧でぼんやりしている
とにかく、15日の午後4時40分に家を出て、帰宅したのは17日の22時前だった。
睡眠時間が足りなくて、バスの中ではグッタリしていた。
もう海外旅行は無理だなと悟った旅でもあった。
追 記
この辺に珍しい国道があるという。
車の通れない国道で、歩き専門でしかも、それこそ339段ある徒歩で登る国道なのだ。
迂回路はもちろんあるから不便しないが、如何にも不思議だ。日本にはここだけの国道。
しかも国道は339号線。階段の数と同じでシャレている。
以上、2泊3日の旅、紹介しました。
御夫婦で旅行を楽しまれましたね。
下北半島には学生時代の一人旅を含めて3回ほど行ってますが、当時の記録は写真だけ。
このように几帳面に記録されてるとありがたいです。
3度目に行った時、とてもよいお天気だったので、大間から対岸の北海道側の半島が(名前は忘れましたが)直ぐそこに見えましたよ。
恐山で亡くなった母親に会いたいと切に思いましたが、イタコさんは青森県人で津軽弁、同じ東北訛りでも私の母は郡山弁、想像しただけで信じられないような変な気持ちになりやめました。
竜飛崎のあそこ。
「これで国道~~?」ってみなさん驚きますよね。
話のタネ、おみやげ話になります。
二泊三日だと旅行した気分になれますよね。
奥様にもさぞかし喜んでもらえたことでしょう。
ので、津軽方面には小学1年生の頃から数えると10回以上は
行ってます。
ただ、下北方面には行ったことがありません。
八戸は蕪島、それに当時、支店があったものですから、
行ったことがあります。
そうですか。 3回も行かれたのですか。
当時の交通機関を考えると、大変だったことでしょうね。
函館側の半島は【渡島(おしま)半島】といいます。
西は松前町、東は椴法華(とどほっけ 現:函館市)村
に跨る大きな半島です。
高校生の頃、五所川原から金木、中里まで、津軽鉄道
に乗ったとき、地元のおばあさんと話をしましたが、
3回同じことを聞いても理解できずに、4回目はただうなずいていました。
津軽弁は外国語ですね。