それなりの ノタリ

地域活動がそれなりにやることがあって、かと言って、多忙というほどでもなく、ノタリの生活。

得したメロン

2013年08月03日 | 再開(雑記)

父の買い物サポートで、スーパーに行ったときのこと。
父 : 「果物でも買って行ったら?」 ときたので、では夕張メロンでもと、
30~40個くらいを棚に山積みしてあるコーナーへ。

どれでも1個@980円の小ぶりなメロンだ。贈答用の立派なメロンは
ちょうど今が時期だけに、別の広いスペースに調味料やビールなどと一緒に
陳列されている。そこにあるメロンは1個3,000円とか2,500円くらいする。

ところで、山積みコーナーのメロンだが、1個だけ大きいのがあった。
変だなと思いながら、買い物カゴへ。
レジに行くと、「お客様、このメロンはどこにありましたか?」
ボク:「山積みのコーナーから探して持ってきたんですが・・」

「ちょっとお待ちください」と言い置いて、山積み場所に走って行き、
戻ってくると「ハイ、980円でございます」とのこと。

家に帰ってから、このスーパーの【夏ギフト】という冊子を見たら、ありました、
ありました。2個箱詰め、お持ち帰りで5,980円と。
だから2,000円ほど安く手に入ったことになる。

生真面目な人なら、返しに行くところだろうが、面倒くさい。
結局そのまま【得したメロン】としていただくことに。

どうしてこんなことになったのか?
でも余計なことは詮索しないことに。

味ですか? そりゃ、形もいいし、味も滴たり落ちるような甘くて瑞々しい。
日頃の行いの成果が出たんでしょうねぇ。


贈答用メロン


山積みのメロン

翌日、スーパーで確認したら、夕張メロンではなく、富良野産の【鳳凰メロン】という
品種だった。最近では夕張メロンのほかに、道内のいたるところでメロンの生産が
されている。中玉で夕張とその他とでは、1個1,000~1,500円ほどの価格差がある。

 

 


【孤族の国】 を読む

2013年08月01日 | 再開(読書)

珍しい言葉だが、『孤族』というのは、もちろん造語です。
朝日新聞取材班が執筆したドキュメンタリー。2012年5月発刊。237ページ。
孤族という言葉は以下の説明で理解できる。(本書からのパクリ)

単身世帯の急増と同時に、日本は超高齢化と多死の時代を迎える。それに格差、
貧困が加わり、人々の「生」のあり方は、かつてないほど揺れ動いている。たとえ、
家族がいたとしても、孤立は忍び寄る。

個を求め、孤に向き合う。そんな私たちのことを「孤族」と呼びたい。
「家族」から「孤族」へ新しい生き方と社会の仕組みを求めてさまよう、この国。

「孤族」の時代が始まる。

いろんな年齢層、男と女の違い、3.11の被災で家に戻れないでいる人、などに
いろんな側面から取材している。目次から引用すると、 

・誰にもみとられず、ひとり死んでいく
・餓死した39歳。「助けて」と言えなかった。
・老いた親と二人きり。介護する息子たち
・引きこもりの長期化、追い詰められる家族
・身元保証から葬式までを家族代行業
・親孝行、代行します
・3.11から 集落の支えも断ち切られて
・縁故避難の限界
・「元気な人」と「落ち込む人」の差が広がっていく  etc.

この本は地区センター図書館からお借りして読みました。

悲惨な生活を余儀なくされて生きている人の多いことにまず驚愕させられた。
自分もそうなのだが、家内と二人だけで一日中一緒に家の中に閉じこもっていると
具合が悪くなる。 できるだけ、外出して複数の人と会って話をする。
孤族化が進むこの時代にあって、これ(交流とか交わり)はとても大事なことだと思う。

現役の頃は多忙だし、多くの人と毎日、コミュニケーションとってきたから、
引退後は静かな環境を望んでいた。しかし現実にはヒトはいろんなヒトとの
交流の中で生かされている。家族より孤族に支えられることの方が多いかもしれない。

孤族は社会の歪みの結果、必然的に生じるもののようにも思うが、
決して自分はそうならないように生きて行きたい。
孤族と孤族が絆を形成する場合もあるだろう。結構なことだと思う。