チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

近代易学

2024年08月17日 08時28分28秒 | 日記
「KOSMOS」という季刊誌を発行していた時期「近代易学」という運命の羅針盤を作り上げた
大江安正さんが安岡正篤先生の易学を学び、ロケット博士糸川英夫さんの未来占星術、細密占星術を統合して、中谷比佐子さんに教えてくれた
これは「ゼロ学」とも細木数子さんの「六星人」とも同じようなものだが、このお二人の元の研究が「運命の羅針盤」に込められていて、更に手を入れて「KOSMOS」で発表をするとき「近代易学」と付けた

天体とその人の生まれた時の計算が主となるのだが、これがなかなか味わいい深い。人生の四季がわかり、その季節ごとの生き方が出てくる。12年周期で訪れる様々な出来事をどのように解決できるか

糸川先生の「逆転の発想」などもこの中の思想に含まれているし、64卦の易の解説も内蔵されている

当時この雑誌は1万部出ていたのだが、その中で「近代易学」の愛好者も多く、月日がたてばたつほどこの十二年周期の過ごし方で幸せになっている人が多いと連絡が来る

ここまで素晴らしいものであることを当時のチャ子ちゃん先生は認識していなかったので、大江安正先生にもっと深く師事しておけばよかったと思うが、今はもう後の祭り

若いときというのは本当の宝石を磨くことをしない、いやそれはチャ子ちゃん先生だけかもしれないがーー悔みますなあ

それでもいつもどこかに「近代易学」があり、それを遂行しているうち、さすが安岡正篤の思想哲学の根本がこの近代易学に潜んでいることに気が付く、陽明学も朱子学もそして葉隠れ武士道も日本人が求めた「魂」を磨く生き方、「誠」を尽くす生き方、それが見えて来る
結局一言でいえば「愛」なのだけどーー

毎月の第四日曜日静かに「近代易学」の講義をさせていただいている。熱心なお二人に、時々一人二人と増えたりしている
そして私自身も新たに学んでいる「お三人」の師匠に感謝



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台風来るくる来る

2024年08月16日 09時11分06秒 | 日記
予定がすべてキャンセル
台風が来るからだという
しかも楽しい予定だったのでちょっとがっかり

確かに台風はこちらに向かっている
転ばぬ先の杖を用意してくれている
みんなみんな失敗を恐れ未然に防ぐことに力を注ぐ
それがよくないとは言わないが
人は失敗から学ぶものだ
失敗があるから人は進歩する

失敗を恐れてうずくまっているとどんどん恐怖だけが大きくなってくる
恐怖は更に人を脅かしてくる
この悪循環に早く人は気が付かなければいけない

嵐の前の静けさの中で、恐怖を煽るあらゆることに思いを馳せる、人が恐怖を持つとその通りになることを昔の人は知っていた
集合意識の怖さだ

その恐怖の集合意識がいかに世の中を破壊するかという実験をした人もいる
恐怖は恐怖を呼び
喜びは喜びを生む

雨を降らし
風を起こし
大掃除に余念のない台風
台風銀座に育ったチャ子ちゃん先生、台風の怖さも、ありがたさも知っている
有難いと思えるような日常を送ることが、台風銀座に住む人たちの智慧だ

自然に歯向かわないこと、それは山の木をいたづに伐採しない
国有林を増やさない、国有林は逆に木を伐採できないので草が生えず獣が住めない、だから里に下りて来る
山を削らない
海を汚さない
海の砂を取らない
自然を守ることが自分たちの生活の安泰につながることをみんな知っていた
日本人は本来賢い

台風がくるくるというニュースを聞きながら、新宿では日差しをあびながら考えてみた
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79年目の夏

2024年08月15日 10時11分29秒 | 日記
いままさに戦後のような時代がこようとしているとき
私たちの先人たちの智慧やその行動に感服する
誰を責めるでもなく、ひたすら未来に向かって生きていた
多くの人が貧乏だった
貯金封鎖があり、新円切り替えで、貯金など紙屑だった
それでも明日に向かっていた
不在地主の土地は取り上げられた
知らない間に自分の土地は他国の人のものとなっていた
役所も焼け、檀家である寺も吹っ飛んだので
所有の証明すらできなかった
それでも人々は「未来」に目を向けて生きていた

復員してきた兵隊さんたちを近くに住む人みんなで歓待した
しかし彼らの無表情な顔、気持ちを切り替えた女たちになかなかついていけない表情でもあった

お金にさとい人たちはすぐ「闇市」を開きお金を稼いでいった
その時を成功のチャンス金儲けの時だと頭を切り替えることのできた人は、戦前までの貧しい生活の人たちだった
一気に立場が変わった
金を稼ぐ人が偉くなった
戦前の金持ちはそういう人たちを「成金」と呼んだ

子供の目にもその違いがはっきりと分かった
戦前と戦後の生活ががらりと変わたのだ

今世界の二か所で大きな戦争がさらに激しくなっているが
戦争の終結はどちらかがとことん壊されない限り終わらない、ドイツも日本もそうだった

しかしそれでも人は生きていく
そして新しい国づくりを始める
79年前の日本を思い返すと、未来にどう向かっていくかのヒントがそこにあるように思う
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今こそ!アインシュタインの言葉

2024年08月14日 11時54分35秒 | 日記

世界が揺れている
戦争が激しくなってきた
対岸の火と思わず、われ我日本人は日本人として生きなければならない
二発の原爆を落とされた国
住民を無差別爆弾で殺された国
敗戦国としてお金をむしり取られている国

それでも我が国は発展したそして人々は平和に暮らしている
なぜ
それは日本人の魂が美しいから
そのことを1922年(大正11年)日本にいらした、世界的な物理学者アインシュタインが、日本を去る時早稲田の大隈講堂で演説をしたといわれている言葉が残っている

あれから102年の歳月、日本人は変わったが、魂は変わってはいない。世界の戦争が終わる時そこに日本国民が生きていることが、世界の人を平和に導くことになる、とアインシュタインは言っている

前略「世界は進むだけ進み、その間幾度となく戦争にあけくれ、闘争につかれる時が来るだろう。この時人類は必ず真の平和を求め、世界の盟主を上げなければならない時が来るに違いない、その盟主こそは武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した世界で最も古くから尊い家柄でなくてはならない
世界の文化はアジアから始まりアジアに帰る、それはアジアの高峰日本に立ち返らなければならない
我々は神に感謝する
神が我々人類に日本という国を作っておいてくれたことを」

大正時代の心優しい日本人は少なくなっているけど、日本という国に生まれた私たちが日本人の魂を持っている限り、世界を平和に導くことができると信じたい

本日20時から「チャコちゅうぶ」
全文を読み上げます


















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浴衣の着付け

2024年08月13日 10時46分18秒 | 日記
夏になると浴衣を着たい人が増える
きものを着たいけどハードルが高い、浴衣だったら簡単に着られそう
そう思うらしい
しかしチャコちゃん先生は浴衣が苦手、むつかしい、さまにならない、なんだかやぼったくなってしまう
そんな感じで浴衣に手を出さないでいた
それと浴衣はお妾さんが打ち水して風呂上りに夕涼み用に着ている、この姿が究極の美しさ
他に
子供やお母さんたちが風呂上り花火に打ち興る時に着る
夏祭りの金魚すくいの時に金魚柄の浴衣を着る
旅館で着る(昔はホテルも浴衣だった)
盆踊りに着る
楽屋浴衣
お稽古の時の浴衣

確かにこう考えると浴衣を着る範囲はとても多い
浴衣もワンピースのような色や柄が増えて洋服感覚になった
しかし浴衣を着た姿は男も女も色っぽい
不思議な衣服だ

それで二日間着付け講座をした
自分自身が素早く着たいので、美しくきちんと着るというより、自分自身の体の骨や筋肉に気を止めて着ていくという方法をとる
帯結びもそう
いろんな形は自分が勝手に考案すればいい
しかしこの二つだけはしっかり覚えようという教え方
さらに紐結にも手首を返すコツがある
そういうコツは昔の日本の女はみんな知っていた
それを伝えているだけだが、教わる方に新鮮な驚きがある

頭で理解するのではなく
身体が動く、手が進んでいく
それが本来の着物の着方だとチャ子ちゃん先生は信じている









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聞くが宝

2024年08月10日 09時35分39秒 | 日記
現場取材をしていると「職人」は寡黙だ
その寡黙な口から話を引き出すには同じ空気を一緒に黙って吸う
だからノートなど持たない、もちろん録音もしない

そして質問をさりげなくする
そうするとぽつりとしゃべってくれる
そのぽつりの言葉を広げていく
広げるうちに「職人」は饒舌になり
自分の作ったものの解説を際限なくしゃべってくれる

「ちょっといいところに行こう」
と誘ってくれる

ここからが本当の取材になるのだが、それでもノートは持たない
ただひたすら聞いて、ときどき合の手を入れる、この時は核心に触れる合の手だ、そうすると「わが意を得たり」と話が飛躍していく

この瞬間がいい
この時を至福に感じるので「現場取材」が好き
本人の生きた年月、かかわったモノとの対話を努力もなく聞いていく身分は捨てがたい。これで人間勉強が山とできる

作り手は「哲学者」であり「思想家」だといつも思う
生きた本人からの体験経験思いをとことん聞けば、自分自身の人間力にもなる。人間力が付くと少々のことには動じない

モノづくりの人を商業的に祭り上げ、有名にしてその人のモノの値段を上げ、結局はその有名モノづくりの人を、つぶしてしまう光景をたくさん見てきた

人は金で動く、そして金でつぶれる
昔の金持ちはモノづくりの人たちを育てることに邁進した。絵画や什器、建築、農業、もちろんきものも芸術品として後世まで残る

いいものを作りたい!と渾身な力を持ってモノ作りする人が、いい暮らしができる世の中こそが本当の平和

第一次産業こそが国の基礎
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お墓参り

2024年08月09日 09時59分50秒 | 日記
お墓は必要ないよという方が多くなった
墓じまいをする家族も多い
今日は長崎に原爆が落ちて79年になる
終戦の時に生まれた赤ん坊も立派なシニアだ

昭和19年と20年はもっとも人口が少ないという。その後人口はわっと増えて、団塊の世代と言われ「数が」モノをいう時代に、何もかも大量生産向にかった

お寺もお墓の敷地を開拓するために山を切り崩してお墓山ができた。今は墓の数よりソーラー版の山々が多くなったけど
さてお墓の話
風水では人が生活している家を「陽宅」亡くなった人が鎮座しているお墓を
「隠宅」してより良き人生が送られるように、両方を同じように整える

特に日本でも土葬が主であった頃はお墓は大事だった
火葬になってしまったら「お墓になんて誰もいないよ」とばかりお墓を軽視する家族が増えた

自分が死んだら子供たちが大変な思いをするからお墓はもういらない、散骨して終わり

子供を産み育て親は子供のためにたのしみももらったが、寂しさや苦しみも同じように経験している、そしてなお死んでからも子供の世話になるのを良しとしない人たちが増えてきた

お墓についての考え方にその人の生き方を見る
「家に仏壇があるからそこで先祖に感謝する、だから遠くのお墓に行く必要はない」
という人もいる

一族のお墓を守っている本家にお盆のころ行くのが楽しみだった
従妹やはとこ親戚の人たちが集まり、あったこともない亡くなった先祖の人たちの話を聞く、お坊さんがいらしてお経を唱えた後みんなで料理を囲み、大人たちは酒を酌み交わす
先祖自慢を子供に話して聞かす叔父さんがいたり、細かく書いた家系図を見せてくれたりする人もいた
血のつながりで結束しそこに考え方の類似点を見る
お墓を中心にしたコミニテイーだ

今年も両親のお墓参りに行く
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絹のきものは心底涼しい

2024年08月05日 10時05分47秒 | 日記
やっと気が付いた
この猛暑の中絹のきものはその力を発揮する
王侯貴族が競って絹を身に着け、絹の通る道こそが文化の道となずけた「シルクロード」いやはや合点がいく

日本の場合夏は湿気が多いから麻が快適、と信じていた
確かに素肌に麻を着ると涼しい、しかし麻の下着を着て、麻の着物を着てとなるとこれ意外と風を通さず熱がこもる
去年からチャ子ちゃん先生はどんな高価な麻でも浴衣風に着ることで暑さを排除している

昔の女たちが夏のきものは麻を素肌に来ていたのを思い出す。昔も暑かった。しかも冷房という文明の利器はないので、水をシュシュっと布に噴き当てながら麻の着物を着ていた姿を思い出す

袂は短く身八つを深く開け、くるぶしが見えるきもの丈にし、襟も細い棒えりだから首回りもあきができて涼しい、つまりどこからも風が入りやすい仕立てにしていたのだ。帯の生地も羅とか紗で風通しがいい

自然に逆らわず、自分自身の心地よさを優先することで、その日も機嫌よく生活する

絹はそういう中で上流階級の方々がお召しになり、また庶民のよそいきっだっただろうけど、織り方に工夫をしているので布がすける、絽織や紗織りが中心で体の各所に風が通る

家屋も風が通るように障子やふすまを取り払い、御簾を垂らして風を通す、風鈴の音が涼を呼ぶ
日本人って四季折々の暮らしを衣食住のすべてで楽しむことのできる民族だった

今は電車も家屋の中もすべてキンキンに冷房を利かせて居る
そういう中でわが身を守るのは「絹」だなあとつくづく思う。保温と保湿、乾燥と温度に合わせてスイッチしてくれるのだ

灼熱の太陽の下でも絹を着ていると体に入ってくる風が涼しくなる。そして冷房の冷え冷えの中では体に入る風を温めてくれる。こういう繊維を残して呉れた先人に頭が下がる。ありがとう

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シルク伝道師養成講座

2024年08月04日 05時55分32秒 | 日記
昨日と今日「シルク伝道師養成講座」の四期生養成を神田で行っている
この四期生を加えると養成講座を受けた人は50人を超える
そして講座を受けた受講生たちがこの11月1,2日に、大田区の池上本門寺の会館で研究発表を行う

一期生と二期生で「シルクと時空を超えて」の上映会を今年2月日比谷図書館のホールで行い大成功を収めた

シルクを考えるとそれは日本の国の在り方に通じる。よその国にいい顔をするために生産量を減らされたり、輸入量を増やしたりする国策に、私たちはようやく気付き、日本を守るためにはまず身の回りのことから整え、繋いでいかなければならない

それが私にとってはシルクだが、他にもお米、野菜、魚、木綿、大麻、林業、建築など数え上げれば両手両足の指を使っても足りない

シルクという言い方にも抵抗を感じていたので、シルクという言葉がどこから生まれたのかを調べたら、それは「満州語」であった
満州の場所は「柞蚕」という蚕の養蚕が盛んで、「しるけ」というような発音だったらしい、それがシルクロードを手繰って西と東に進み、西でシルクとなり、東で絹となったと古い書にあった

日本には古事記にも蚕のことが出てくる、天皇陛下の代替わりである「大嘗祭」には絶対に大麻と絹の布が必要なのだ
この二つの繊維がいま日本から消えようとしている
どうして?
石油繊維を使いたいからに他ならない
だれがそれをのぞむ?
なぜ?

明治維新からの近代国家の立役者は「蚕」であった
蚕の吐く「生糸」蚕の卵である「蚕種」がこの日本を支えた
このことを多くの人に知ってほしい
更に「絹」がいかに人間の体を守り免疫を高めてくれるかということ、このようなことを学ぶ「シルク伝道師養成講座」


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お金の御本

2024年08月03日 07時50分48秒 | 日記
若い若い友人から
「読んでみたら面白かったしお金に対する意識が変わりました」
と言って本とお菓子を送ってきた
「お金持ちスイッチ、押しちゃう?」森瀬繁智著 マキノ出版
著者は貧乏だったけどお金に対する意識を変えたら、どんどん収入が伸び、今は月半分の仕事であとは家族と海外旅行に行ったり、豪華なホテルで遊んだりしていると書いてある

この手のコンサルタントは多い、そして必ず出てくる旅先がドバイ、ハワイ、バリ島、月1000万円くらいカールク稼げるよ、という意識改革がわかりやすく書いてあった

チャ子ちゃん先生は会社を小さくして一人社長になったとたん、会社の負債を払う責任が生じ、個人的に大変貧乏になった。その話を時々人に話すのだが、それを心配して若い若い友人が送ってくれた本
謹んで読んだ

おかねもちとおかねづかいをこんどうしていない?
しあわせとせいこうをかんちがいしていない?
やりたいこととできることはちがうよ?
おかねのうつわおおきくしようね

投資などの金融のお勉強をしようとかではなく、自分自身の生き方意識を変えることの方が大事というのはとてもわかる

幸せな金持ち
不幸せな金持
幸せな貧乏
不幸せな貧乏
というのがあるという

30項目の幸せな金持ちの意識の問いかけがあって、それをチェックしたら1個だけ「コンビニのトイレに入ったらあとをきれいに拭く」というのが×だった。だってコンビニにトイレがあること知らなかったもん

そして分かったのは
「幸せな金持ちから幸せな貧乏になった」という本書こうか知らんと、その友人に話したら
「そこからまた幸せな大金持ちになる」
というのはどうですか?ときた 
やろかな


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