チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

.着物が繋ぐもの 274

2019年12月30日 15時07分15秒 | 日記

寒くなると着物にマントという組み合わせが好き。「こんにちは」と言ってすぐ脱げるから。気が短いのではなく相手を待たすのが嫌

マントとかショールは暖かくてすぐ外せるから良い

羽織の着こなしが全くダメなので冬は往生する。道行も似合わない、道中着も同じだが裾を長くしているので少しはさまになっているかもしれない。母たちの世代はどんな人も羽織が似合っていたーどういうわけだろうか?

 

マントはヨーロッパの形がいいーやはり歴史だ、肩から背中に沿って美しいカーブを描く。しかもこれは着物にぴったり

ヨーロッパに行くたびにマントを購入した。特にウイーンの神父さんのマントはいまだに愛用、着心地がいい。素材は綿ビロードが多く暖かい。毛皮もあるが、最近は動物愛護協会の目が厳しい。ヨーロッパでもそうらしい

 

毛皮を処分しようと思って友人と質屋に行ったら「お金いただければお預かりします」と言われた。それでマフを作ったりコートの裏に毛皮をつけたりしたがやはり毛皮は暖かい。

 

毛皮といえば、北海道で海豹の草履を見つけたときはびっくり。この世にこんな可愛くて温かいものがあるのかと迷わず購入し、雪の降った東京の街を用もないのにウキウキ履いて歩き回った。アザラシは水の中にいるので雨や雪を弾き足を守ってくれる

 

大昔かすかに覚えているのだが、家に綺麗な女性が現れ、かのぞのきていた「外套」はあざらしだと言って姉たちが大騒動をしていた。あれが生まれて初めてみた毛皮だ。訪問の内容は知らないがあざらしあざらしとそればかりが印象に残った。そういうこともあってアザラシの草履をすぐゲット

 

日本にも良いマントがある「角巻」と言って、川端康成の「雪国」にも登場する、雪国の女たちの外套だ。着物の上に羽織る長方形のマントで、首の周りに犬の毛皮をつけていたー近年はウサギやミンク。これはウールでつくr雨ので暖かい。もうふをきたようなあたたかさ

 

着物に一番しっくりするかもしれない

ボツボツマントの出番

 

 

 

 

 

 

 

 

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.着物が繋ぐもの 274

2019年12月30日 14時38分22秒 | 日記

寒くなると着物にマントという組み合わせが好き。「こんにちは」と言ってすぐ脱げるから。気が短いのではなく相手を待たすのが嫌

マントとかショールは暖かくてすぐ外せるから良い

羽織の着こなしが全くダメなので冬は往生する。道行も似合わない、道中着も同じだが裾を長くしているので少しはさまになっているかもしれない。母たちの世代はどんな人も羽織が似合っていたーどういうわけだろうか?

 

マントはヨーロッパの形がいいーやはり歴史だ、肩から背中に沿って美しいカーブを描く。しかもこれは着物にぴったり

ヨーロッパに行くたびにマントを購入した。特にウイーンの神父さんのマントはいまだに愛用、着心地がいい。素材は綿ビロードが多く暖かい。毛皮もあるが、最近は動物愛護協会の目が厳しい。ヨーロッパでもそうらしい

 

毛皮を処分しようと思って友人と質屋に行ったら「お金いただければお預かりします」と言われた。それでマフを作ったりコートの裏に毛皮をつけたりしたがやはり毛皮は暖かい。

 

毛皮といえば、北海道で海豹の草履を見つけたときはびっくり。この世にこんな可愛くて温かいものがあるのかと迷わず購入し、雪の降った東京の街を用もないのにウキウキ履いて歩き回った。アザラシは水の中にいるので雨や雪を弾き足を守ってくれる

 

大昔かすかに覚えているのだが、家に綺麗な女性が現れ、かのぞのきていた「外套」はあざらしだと言って姉たちが大騒動をしていた。あれが生まれて初めてみた毛皮だ。訪問の内容は知らないがあざらしあざらしとそればかりが印象に残った。そういうこともあってアザラシの草履をすぐゲット

 

日本にも良いマントがある「角巻」と言って、川端康成の「雪国」にも登場する、雪国の女たちの外套だ。着物の上に羽織る長方形のマントで、首の周りに犬の毛皮をつけていたー近年はウサギやミンク。これはウールでつくr雨ので暖かい。もうふをきたようなあたたかさ

 

着物に一番しっくりするかもしれない

ボツボツマントの出番

 

 

 

 

 

 

 

 

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家系図行脚

2019年12月28日 10時04分58秒 | 日記
高額な着物を着て喜ぶ人が多かったのはバブル期だ
2000万円という値段のついた着物をいとも簡単に購入する人をしばしば見かけた
その作家の着物づくりの工程を知っているだけに「?」マークがついて回る
「人が着物を選ぶ」のではなく「着物が人を選ぶ」という。「あんた金持ってるからこの着物買って吐き出しなさい」と着物が言うのだろうか?

よくわからない現場にいて、さえない顔で立っているうち、チャ子ちゃん先生には「物売り」の仕事は皆無になった。それは正しい、できないもの。
その後「販売能力が全くない」と思ってどうしてだろうと家系図を調べてみた
そうすると「商売業」は先祖には皆無であった
売る技術など到底受け次いでいないことで心から安堵したものだ

口ばかり達者で作ることはできない、それも調べると家系に「芸術家や職人」はいない。農業と研究者、指導者が多いことがわかる家系図であった
そうやって家系図を調べていくと、自分自身の得意分野が明快になる。自殺者、戦没者がいないことも幸せだった。しかし父方の大叔父が自分の息子を養子に出したが、其の養子が「226事件」の若手将校で獄中死していた

其の養子の写真を見せてもらった大島紬を着ている若き青年当時22歳。軍服ではないので、初々しさが逆に命の尊さをしらしめている

まだ元気な親戚を姪と二人で家系図行脚をする。父は長男なのに家業を継がず、家を出ているので、親戚が一堂に集まるのは次男が戸主となった家、末っ子の私はなじみが薄い。次姉は親戚付き合いが上手だったのでその娘も顔見知りが多く助かった。

本家にはさすがに過去帳があり、それを見ながらどんなライフワークであったのかを話してもらう。その話の中から浮かび上がる「血筋の癖」この発見が面白い

日本政府は今は3代しかさかのぼれない戸籍謄本にしてしまっているが、その理由は「在日姓」をわからさないためと知人の新聞記者に聞いた

本家は先祖の墓を守り親戚一同に心を配る。そうすると均等に配分する相続税はおかしい。跡を継ぐ子供に厚くすべきだと思った。跡を継がなかった父は遺産放棄をしたと聞いて安心した。
家系図行脚は自分の血を知り今の自分に納得する旅でもあった


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着物が繋ぐもの 273

2019年12月27日 11時30分01秒 | 日記

着物から多くのものを学んでいるが、一言で言えば何?なのだろうと目が覚めた時頭をよぎった。そしてホットココアを飲んでいる時「そうだ命なのだ」と思った

蚕は命の全てを人間に差し出している

その命をもらった人間は一ミリも布を捨てない仕立てを考え、さらに着古してもなお布を使い切る知恵を育んだーもらった命を最後まで使い切ることが、命を差し出した生命体に対する恩返しなのだと信じた

その姿勢を貫いているのが日本の文化なのだ

今、命や神の存在、そして命の大切さを語るセミナーが大繁盛をしているという

そいう噂が耳に入ると体験しに一度入ってみる、そして人が何を欲しているのかを知る

先日もオーラソーマのテイチャー仲間であった方のセミナーを受けた

 

彼女も日本の色に対しての造詣が深くなっていて、やはり色を通して日本を再認識なさったのだと感動した

 

外国の知識が日本の知恵の前では幼稚に映ってしまうのだ。それは「命」に対する捉え方の違いだと思う

 

日本では人に限らず、動物小動物、さらに植物、天地の全てを生きとし生けるものとして同等の命と見る、これからのAI 時代においても、この感性は人間として生きる上での基本のように感じる。もしこの感性を捨てるようなことがあれば、人類は滅びる。そういう意味で日本人は世界にとっても重要な立場にいることを認識しなければいけない

 

着物は命の尊さを着る人、仕立てる人、洗う人、染める人、織る人、糸を作る人、養蚕や素材作りをする人、それぞれに受け取らせている。着物だけではない「食」に関しても命の尊さの問題はついて回る。日本の生活の全てが「命」を愛するところからスタートをしているのだ

日本人のこの感性が芽を吹き始めているように感じる。それは「何かが欠けている」という思いを肌で感じ、着物を着てみようか、お茶をやってみようかと、日本の文化に振り向く人が出始めた

 

左脳豊かな男たちはそういう人をマーケチングの対象として論理的に導こうとするが、そうではない、今は「情緒」が大事一人一人とじっくり語り合うことが多くの人に伝わっていく。

命の繋がりはそう言うものだと思う

 

 

 

 

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着物が繋ぐもの 272

2019年12月26日 21時43分09秒 | 日記

今日はちょっと驚いた

着物が日本から消えしまう危険

経営者の女性たちでも、着物のことは全く気にも掛けないで何十年も過ごしてきた

母親は着物は着ない

おばあちゃんが着ていたので、おばあちゃんが亡くなった時、この着物をどうしようかと手に取って思案に暮れた

母親は全く関心がない。しかし手に取ると布の気持ちよさと色の落ち着き加減品の良さに引かれるものがある

 

洋服にリメイクをしようかと思っているけど、この着物がどういうものなのかを知りたい。そこで縁あってチャコちゃん先生登場

見せていただく「この生地は縮緬といってーーー」と生地の説明、色の和名、模様の意味などを一枚ずつ説明をする

「多分お茶席でお召しだったのかしら」「こちらは何かおめでたいお席の着物でしょうー訪問服と言うのよ」「これはお羽織ね、合わせていたのはこの小紋かな」

小紋という着物はね、江戸小紋というお侍さんがきていた裃から来たものと,駄洒落のような柄に染めたのがある。と一枚ずつ説明をしながら、時代の文化も一緒に話す

 

初めて聴く話だし、今それを聞きたいと潜在意識に突き動かされているようにとても素直に熱心にメモを取りながら聴いてくださる

結局リメイクするより自分自身が着てみるということに落ち着き、さらりと着付けたら「あら簡単なのですね、それに体が自由で開放感があります、へーこんなに気持ちのいいものなんですか?」

12時間のレッスンで15分で着付けられるようにしましょうねーとお約束

どの着物をどのように切るかも一回一回着物と帯を変えながら着付けを学んで行けば一気に着物のことを覚えられるとうれしさこみ上げた笑顔

とても考えさせられた1日だった

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メリークリスマス

2019年12月24日 20時09分11秒 | 日記

静かなクリスマスイヴ

町中にジングルベルが奏でられていた頃

異常に早足で歩いたものだった

急ぐわけではないのに忙しない心があった

しかし高揚感もあり

何かに期待していたようにも思う

その期待はなんであったのだろう

 

今年冬至が過ぎて「気」がガラリと変わった気がする

静寂な中に強いエネルギーを見る

そしてみんな落ち着いている

何かに向かっているようだがそれはきらびやかな先ではなく

力強い何かがそこにある

 

街に出ると大勢の人が歩きざわめいている

でもケーキを持った人たちとすれ違うこともない

いつもと違った

今までにないクリスマスイブが更けていく

 

この世の中は確実に変化した

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着物が繋ぐもの 271

2019年12月23日 11時47分21秒 | 日記
着物の色はどこから来ているのかを考えていたら
オーラソーマという色のカウンセリングをうっけてみたらと友人にい進められ青山のイメージメイキングと言う会社に出向いた。今から30年も前になるだろうか

そこには美しい色のボトルが並べられていてそのボトルは色が二層に分かれていて心惹かれた。色をこのお湯に見るのは初めてであった
そっから四本を選び、カウンセリングを受ける。その時の内容は全く覚えていなくて、これは平安時代の重ねの色目とどう違うのだろうかとそればかりを考えていた

イメージメイキングの社長野田幸子さんがチャーミングで引き付けられ、その色のコースを受けることにしてしまった。「色は言語」「色はあなた自身」

日本の場合色数はとても多いが色を言葉としてきちんと確立された研究所が乏しい。日本は口伝の民族であり、日本の色は多すぎる

学ぶのは先生は外人なので英語の勉強も必要、もちろん達者な通訳もいらっしゃるが、そのほとんどの方が「和尚」所属の方々でその世界に疎いので容姿に驚いたりしたが、内容は素晴らしいものだった

仲間も楽しい人が多くあれよあれよとテイチャーコースまでいきついにテイチャー
として教える立場になった。

教えていて学んだことがある。それは日本の色彩心理描写がすごいということ。その顕著な例が源氏物語の「玉鬘の巻」光源氏がお正月、自分と関係のある女性たちに晴着を送るシーンがある。重ねの着物だ
この女性は静かに理知的で思いやりが深く自分をしっかりと持っている、という明石の君に紫と地紋が透ける白絹の重ねをおくる。これはオーラソーマの言語解釈と全く同じ、方や1000年以上の歴史の中の色判断、こなたイギリスでまだ産声を上げたばかりの色の言語。これはもっと深く日本の色を学ばねばと思った。

日本人の色の合わせ方は自然を見て無理のない気持ちの良い調和を求めていることもわかり、またまた日本の色に深い思いを持つに至った。着物の色は世界に類のない色の合わせ方で私たちを楽しませてくれるし、その時のその人の心模様も表している。着物って学びの宝庫だ



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今日は冬至

2019年12月22日 09時07分06秒 | 日記

冬至から後の日は畳一目ずつ日が伸びていく

と昔の人は言っていた

今日は昼が短く感じ夜が長い。太陽の光の足は長いけど熱は弱い

太陽が新しく生まれる日ということで持統天皇までは冬至の日が新年であった

天武持統天皇に追って日本は方向づけられてきたが暦もそうだ、持統天皇は立春の日を正月とした

 

さて冬至一陽来復、陰が極まってようになる。本当の令和が始まる人も言われている

一陽来復は人間の活動の始まりであるとともに自然の活動も始まる

冬至の日が日曜日という好機ゆっくり「いま」を考える日に当ててはいかが

 

農耕民族にとって太陽は生命を育てる力、それは人にも言える。その太陽が黄色であることから、カボチャを食

べゆず湯に入る習慣ができた

 

カボチャはポルトガルからの輸入品なのでこの習慣はそれほど古くはない

奈良時代からの風習は「小豆粥」を食べるということ

節分の豆と同じように、豆には霊力があり悪霊を退治するという言い伝えがある

この時期に多い風を退治するということだろうか

 

この日のゆず湯は体の血行をよくし、肌の細胞を生き返らせるという

今年はゆずが大当たり、湯船にたくさん浮かして子供たちに日本人の冬を過ごす知恵を伝えて日本を好きになってもらいたい

 

ゆず湯は「ゆうずう」を利かすという語呂合わせもあるとか

日本人って好き

 

 

 

 

 

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着物が繋ぐもの 270

2019年12月17日 12時52分40秒 | 日記
このきものどうせ3000円で買ったから、いいの汚れても濡れても 「着物に対して失礼だろう‼」と怒鳴りたくなるこういうセリフを最近よく耳にする 
着物を作る現場に行くことが多いちゃこちゃん先生精魂込めさらにこの仕事が大好きという感じでもの作りをなさっている人が多い その労力を考えたときたとえ時間給をゼロにしても、その作品が手元から離れるときは「万」という数字になる。現地問屋を通り、問屋に行き、小売店の手に渡るときっと0が多くなる。これは当たり前の流通経済だ。 しかし昨今はこの流通手数料が上がりすぎ、生産者直接の売買も見かけるが、やはり着物は「語り」や「フォロー」も多く販売のプロに任せたほうが双方安心で気持ちよい 

着物は高いというフレーズをよく聞く そういう時「何と比べて?」と聞く、そうするとほとんどの人が黙る ただ漠然と着物は高いと思っているので、古着屋さんに行って「3000円?」安いとなる 蚕が糸を吐き繭を作りその繭から糸を取り布にして染めたり、糸を染めて織ったりと手間をかけたのち着物が誕生する。この工程を3000円でできる? 

古着の中には美術品もある。もうこれから先できないだろう技術のものもある。安価な値段で多くの方に手を通していただくのもいい。しかし、売る人は手渡すとき、それがどのようなものなのかをしっかり説明をし,誇りをもって着ていただけるよう自信を植え付けてほしい。そうすれば着物も満足するだろう。

 着物はただ黙ってなすがまま、しかし愛されれば着物自身が着る人を輝かせてくれる。3000円という値段は本来の着物の価値ではなく、「あなたの懐に合わせただけ」だから作った人に感謝してほしい。その感謝の気持ちがあなたをより美しくすると思うから。


古着をまとめて購入する人の中には一枚一枚丁寧にみて思いをいただきながら購入の手筈をする人は少ない。十パひとからげ、二束三文で持っていく。着物にロマンがあることをみんな忘れてしまうから、「どうせ3000円だから」という言葉が出るのだろう。考えさせられた一言だった
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着物が繋ぐもの 269

2019年12月16日 10時42分34秒 | 日記

着物を持っていても

着付けが自分でできていても

着物を着るのが面倒だという人が多い

そうかと思うと、着物を面白おかしく着くづすのがいいと思っている人たちもいる

 

まだ大内順子さんがご健在の頃、順子さんの家の近くである絵画館前で行われた花火大会を二人で見に出掛けた。Tシャツの上に浴衣、浴衣の裾をたくし上げスカート状に着てサンダルばき、襟を大きく抜いて革のベルトを帯がわりにした人、いろんな姿の浴衣着装を見ながら花火を見た

 

終わって

「いろんな着方があってもいいわね、そうやって着物に親しんで貰えば、いつか正当な着物姿に落ち着いていくわよねきっと」と順子さん

それを受けて私「なんとも言いがたし、まず素敵ではなかったもの、奇をてらう時はそこに美も欲しい」

「比佐子さんらしい、そんなこと言ってたら着物着る人いなくなるわよ」

まさしく順子さんのいうとおりの展開になっている

この頃

大内順子さんは国道246号沿いに住んでいたので「246」という着物ブランドを計画し発表をしたばかりだった

着物に陰りが見え始めたので、洋服界のデザイナーや評論家に着物の 柄のデザインと、コーデイネートの提案をして頂こうと、問屋やメーカーに働きかけて企画を通した

大内順子さんには「縞紬」をテーマにスーツ感覚の着物姿を提案していただき、これは十日町の紬メーカーにお願いした

着物を普段に着るという習慣がなくなっていたが順子さんの名前もあってまあまあの売れ良き、そこから一気に洋服デザイナーブランドが登場ー着物業界は瞬時活気付いた

 

思いもかけない着物作りを彼らから提案されて職人さんたちは新たな技術に挑戦し、伝統と斬新さの融合を図った

 

そういう中で大内順子さんと私は「着物を守る会」を立ち上げた

この会の運営に順子さんはストレスで髪の毛が抜けたりもした。真面目に真摯に考え、まっすぐに突き進む方なので、本当に見習うことばかりだった

 

この会は三年続いたが

「比佐子さんもうやめようよ、もう手に負えない、依存する人ばかりだもの」

「おつかれさま」

という言葉しか出なかった

あれから35年たった!

 

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