チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物を繫ぐもの 88

2019年01月31日 15時02分40秒 | 日記
画家たちとの旅行最後の都市はパリ
もちろんルーブル美術館から始まるのは定番
画家たちはもう宗教画は見飽きていてもっぱら印象派の美術館に足を留めている

そこでわかったことは印象派の画家たちは日本の浮世絵から刺激を受けていることであった
「ヒロシゲブルー」いまは「ジャパンブルー」と呼ぶことが多いが
当時の画家たちは
「ほらこれも、あれも」と言いながら浮世絵の中の何に影響を受けていたかを熱く語ってくれる

お一人お一人の説明が微妙に違うのだけど
日本の絵画に誇りを持っていることだけは理解出来た

美術の教科書に出てくるルノアールやセザンヌ、マチスなどは画家たちの説明を待つまでもなく
美術館に入ると日本の絵画の影響が強いということが手に取るようにわかった
音を聞きながら絵画を鑑賞するというのも日本人の「音色」という言葉を当てはめて説明を受ける

そうなんだ
日本人は虫の音(ね)、風の音(おと)に色を感じその色の重ねが着物の色重ねや柄色になった
極端に着物をバスローブのように引っ掛けた女の絵もあった
印象派の絵は日本を感じさせる

陶器を見ると伊万里のブルーがこの国に愛されているのを感じた

「ヒサコサンあなたの若さはすべての文化はヨーロッパからと思ってるだろうけど、実は日本の文化に多くの国の画家達が影響されていることをこの美術館で感じるといいね」
ナポレオンが各地から押収した美術品が収められているので各国の文化の成り立ちがわかりやすいのだという
日本は美術品を略奪されたわけではないが
江戸時代に鎖国であったにもかかわらず貿易は長崎で行われていた

そこから出ていったものに着物の打ち掛けがある
絹であること、柄の大胆さ、形がシンプルであること、色の美しさ また中に真綿が入っていて軽くて温かい
それがそのまま部屋着として西欧の女性たちに愛されその姿が絵画にもなった

浮世絵は陶器にくるまれた包み紙として西欧に渡ってきたけど
その絵の美しさ大胆さにときの画家たちは色めき立ったという

美術史をこういう形で見ることに深く感謝した
そして着物に対する悩みが消えて逆にもっと着物を奥深く理解するために勉強をしようと思ったものだ
日本の美術をただ異国情緒として見たのではなく
新しい絵画の表現の先駆者として見てくれていたことがとても誇りに思えた

「日本は素晴らしい、日本人でよかった!」
そう思った瞬間にわかに美容院に駆け込んでセットを頼んだのだが
日本人を初めて見るという美容師にとってどうセットしていいかわからず
上へ上へと髪を積み上げたようなセットにされて画家たちに爆笑された

「日本髪にしたかったのかな、そのままで食事に行こう」
笑ったのは日本人だけでパリの人たちは「トレビアン」と言ってくれた

#着物 #パリ #浮世絵 #ヒロシゲブルー #打ち掛け #チャコちゃん先生 #真綿 #印象派 #ルーブル美術館
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お相撲さんの帯むすび

2019年01月28日 20時43分41秒 | 日記
最近の傾向のようだけど
女物の博多を愛用している力士が多いな
その結び方も千差万別
関脇や前頭の上位の力士は羽織やコートを着ているので観察できない

昔は冬でも浴衣を着ていたが今は「ちりめん浴衣だ」粋だね
柄はほとんど女物で大胆な着物が多い
たまに大島紬や結城を紬を着ていて「いいお着物ね」と語りかけるとにっこり

帯結びは
貝の口、文庫が多いけど真横に結んだり、斜め前に結んだり結び目の位置は個人差が多い
変わり貝の口などいろいろ結び方を工夫している様子も面白い

自分で結んでいるので声をかけると喜ぶ
顔と名前が一致しない幕下の力士達もいづれは上に上がってくる

300メートルばかりの入り待ち出待ち花道は
若い力士たちにとってもちょっと華やいだ場所なのかもしれない

土俵での真剣勝負の顔とまた違った幼い表情が可愛い



# 力士#幕下#浴衣#縮緬浴衣#帯結び
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相撲鑑賞

2019年01月27日 21時46分57秒 | 日記
チャコちゃん先生の相撲見物は力士たちの着物姿の鑑賞だ
この業界は階級社会なので切る着物も決まりがある
しかしそこはタニマチのセンスもあり浴衣一枚がそれぞれの力士に微妙に似合ったりそうでなかったりで面白い

初場所は冬なので浴衣だけという力士は少ない
横綱と大関はいきなり車で詰所に行ってしまうが
関脇以下は「入待ち」の長い道を通って楽屋?に入る

部屋が近い力士は歩いて入門してくるが遠い力士はタクシー。しかし幕下は電車だ
総武線ではこの時期鬢付け油の匂いが車内に漂う
力士が乗っていたなと思う

着物のおしゃれなのが隠岐の海
防寒ゴートは角袖だがとても仕立てが良い
今日は羽織袴。前頭で袴をはくなんていいのだろうか?
大体がお対の格好だが袴は関脇どまりの筈

大関昇進がかかっていた貴景勝は細かい絣の白大島のお対がよく似合っていた「お似合いですね」と声をかけたらにっと笑っていた

着流しの力士の中では女物のちりめんを上手に着こなしている人も多く
帯の結び方にも一工夫をしていて
中々興味が尽きない
土俵の勝負よりチャコちゃん先生は入り待ちで街につい足が向いてしまう

そして今日の優勝は玉鷲、34歳だそうだご苦労様。その上今日は第二子の男の子の誕生だという
二重の喜びオープンカーでは笑顔が弾けていた

相撲は神事
「神送り」の儀式にしっかり参加
神様もおかえりになった国技館を後にした
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死について

2019年01月26日 20時08分17秒 | 日記
昨年ある占星術の先生に「会社を倒産させるかあなたが死ぬか」そういう切羽詰まったことを言われた
会社もそのまま
チャコちゃん先生も生きたまま
しかし「死」に相当する試練にはあったしそれは今も続いている

死をこう考えている
「今までの自分を変える」「今までの自分を消す」
長く生きているとこれが難しい
たしかに今までの自分を脱ぎ捨てるのは「死」を意味するものだ

変革の時代過去の自分に固執していては苦しい
新しい自分を認めるのも時間がかかる

断捨離というのはモノだけではないとつくづく思う

大坂なおみちゃんが全米、全豪で優勝!
世界で初めてのこ‼️
こういう快挙をやってのける!
ひたすら集中するからできることなのだろう
宇宙のエネルギーと一体になって自我を全くなくすからできるのだろう
本当に自分の好きなことを楽しんでいるからできるのだろう

その勇気と心の強さを参考にして「変態」を遂げよう
それは「死」を乗り越えることになるかも知れない


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訳がわからない胸騒ぎ

2019年01月25日 21時07分32秒 | 日記
何となく何かが起きそう
自分ではなく世の中で何かがーー
こんな気持ちになる事がたまにありそして地震が起きたり、とんでもないニュースを耳にしたりする

木々が風もないのに揺れていて
それをいいなと思える時と、何かが起きる前触れかな?と思ったりする

胸騒ぎを打ち消していいことしか起きないと言い切ることが大切だという

アガサクリスティーの本にはこの胸騒ぎから事件が発覚し冷静に解き明かすポアロが出てきて事件が解決する

そういうことを感じながら千葉船橋に仕事の打ち合わせに出向いた
打ち合わせが終わった後その相手から
「今後世界はこういうことになるらしい」というYouTubeを見せられた

それは全てが愛の方向になっていくYouTubeだったので私の胸騒ぎは「いい方の躍動」だったらしい
そうか今後は何かざわついていると感じた時は「愛」を思えばいいのだ

溢れるような愛を出会う人すべてに与えられれば
人は絶対に争わない
いまにそういう世界になっていくようだ
間に合うかな?
私が生きている間にそういう世界を見たい!

それには言葉つまり「言霊」が最も人の心に影響を与える
言霊で世直しができる
大きなことをしようと頑張るのではなく
人の心を明るく元気にする言葉を口にすればいい

船橋からまた1時間今度は元気になる言葉をあれこれ思い出していたらいつも上機嫌だった母親の顔が浮かんできて身体中が暖かくなった!
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着物が繋ぐもの 87

2019年01月24日 16時35分14秒 | 日記
マドリッドではプラド美術館に入り浸りだ
旧約聖書や新約聖書に精通していないとわからない絵が沢山
また中世の権力の構図を理解しないと絵の価値がわからない

そういうことでぼやいていたらグループの画家の一人が
「日本の浮世絵をとことん研究すると日本人の暮らし方や美意識がよく理解できるよ、また、日本人の神様は一人の神様ではなく、生きとし生けるもの、また目の前にあるもの、自然がすべて神様という捉え方なので、観察の仕方が丁寧なんだよ。日本はそういう意味でもプラドの絵画に負けてはいないよ」
(日本に帰って言われたとおり浮世絵の勉強をしていたらそこで湯文字に出会いますます湯文字の尊さを知ることになった)

またさらに別の一人は
「ここの肖像画のような精密な描写は日本の着物の柄を思い出させてくれる」
「日本画家の中では着物の絵柄を書いて生活をしている人も多いんだよ」
(着物の仕事をしているけどいま壁にぶち当たっていて皆様の仲間に入れていただき目的もなく絵を見ていると話してある)

ローマでは毎日一人行動していたので画家の皆さんとお話する機会がなかったが
マドリッドでの朝食の時みんなが優しく絵画の説明をしてくれるので大いに勉強になった
その中の有志と中世の街トレドで一泊しようと話がまとまりでかけた

トレドに行く途中にも数々の美術館に入り絵の鑑賞、今度は専門家がそばにいるので色の重ね方などの話は実に参考になる
おかげで色のコーデイネートの勉強ができた
つまりこの色にこれを足していくと全体がクールになるとかウオーム系になるなど
その後帯合わせ小物合わせにどれだけ役立ったか

さてトレドの街に入る前ロバの行列に出あった、そのロバたちの首にターコイズの首輪がかかっていてなんとも愛らしい
車から降りてロバを調教している人に日本語で「この首輪分けてもらえませんか?」とお願いするとなんと通じたらしく、おじさんは私の首に首輪をニコニコしてかけてくれた
お財布を取り出すと「いらない」と手を振る、持っていた扇を渡すと喜んでロバを促し去って行った
(この首飾りはいまも私の大好きな帯留めの一つ)

皆さんがトレドに来た目的は「エル・グレコの家と絵画」だったそして中世の町並み
プラドで一番心動かされたのがエル・グレコの宗教画だったのでグレコの住んでいたと言われる家に入ったときには戦慄を覚えた

16世紀の人なのだがアトリエ、居間、寝室、応接間、台所などが20世紀入って改造されていた。
プラド美術館で見たグレコの宗教画でグレコが使う色特にターコイズブルーに惹かれていた
(続く)

# エル・グレコ  #プラド美術館 #トレド #マドリッド #ターコイズ
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着物が繋ぐもの 86

2019年01月23日 18時11分52秒 | 日記
50年の着物との関わりの中でずいぶん壁にぶっつかった
連れ合いに
「もう着物の仕事はやめる」
「どうして?」
「だって着物を着なくても生きていけるし、着物は日本文化を代表しているって言っても誰も耳を傾けてくれないもの、それより如何に売るかにみんな必死よ、何だか自分がドンキホーテみたい」
「竺仙のおやっさんはあなたになんていったの?」
「着物が嫌いになったら全く着物と関係ないことをしてみたらいいって」

そういえば一水会という画家の集まりがあり一ヶ月ヨーロパを回ってスケッチ旅行するらしい。そのグループに潜り込んだら?
と提案され10人の画家たちに混じって生まれて初めてヨーロッパに出かけることになった

彼の親しい友人がローマにいて早速連絡をっってくれた
「着物は着ていくなよ着物のことは忘れて歩いてくるといい。ローマのOさんはバチカンの壁画の写真を撮っているのでいろいろ案内すると言ってるよ」

その旅はローマ、マドリッド、パリにそれぞれ10日ずつ滞在し、画家たちは美術館を巡ったりスケッチの小旅行をしたりと各自が自由で、朝食のときだけ顔を合わせるという旅だった。

当時はベトナム戦争の真っ只中南回りで30時間余の長旅
ベトナムの空の上を飛行するときは「日の丸」をしっかり見せるということで飛行機は低空飛行ドンパチの赤い火が肉眼で見えた
下で戦争、私は自分の生き悩みの解決に目的もなく飛行機に乗っている
自分の悩みが急に陳腐なものに思えてきた
だからこそ何かを掴んで帰ろうと固く心に誓う

ローマについて荷を解くのももどかしくO夫妻の案内で早速バチカンへ
ミケランジェロに圧倒されそれから10日の間カラカラ浴場でのオペラあちこちの美術館イタリアの食文化など
自国の文化を大事にする人々の姿に感動
また一流店でのギャルソンたちの客への応対の優雅さ、自分の国を誇りに思っている若い人たち
そしてその若い人たちから日本の神話の質問に答えられない私がいた。東京の歴史すら満足に答えられなかった

O夫妻の都合がつかない日私は一人で列車に乗ってアテネへ行った
ポンペイ遺跡をめぐり博物館で時間を過ごしていると
ターコイズ色の美しい形の大きな壷に目が釘付けのなりその場をなかなか離れられなかった
素焼き色の壷の中でひときわ際立った美しさ

「日本人が好きな色ですね、日本人は心が静まる色に反応しますね」
と片言の日本語で話しかけてきた学芸員
日本人は江戸時代は華やかな色だったのに明治に入って暗くなったねともいう
なぜそうなったかを答えられない私 
日本人として恥じ入るばかり (つづく)

#ベトナム戦争 #ローマ #バチカン #アテネ #ポンペイの遺跡 #チャコちゃん先生

比佐子つれづれは26日土曜日 13時30分から 会費無料

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着物が繫ぐもの 85

2019年01月22日 14時28分31秒 | 日記
竺仙おやっさんの続き

仕事を着物に絞って三年365日を着物を着て過ごす実験を始めた(それは20年続いた)
江戸小紋だけでなく、また生地から染めるものだけでなく
取材に訪れたそれぞれの産地の着物を身につけるようになり
着物で自己表現の多様さを楽しみ
着物を通して日本の文化を語れるという一端の着物研究家に育ったと自負していた

ある日
私はワイんカラーのウールのマントを着て竺仙に行く

「なんだ?その赤ゲットは!」
「温かいのすぐ脱げて便利よ」
「その考え方はそれでいい、しかし比佐子さんらしくないね。人の目を意識して脱ぐ、着る、というのが日本の着物の原点だから」
「だって、このスピード時代に肩から滑らしてえー脱いでえーーたたんでえーーーご挨拶。なんてまどろっこしいわよっ!」
「立場があるでしょう?立場ガーーー比佐子さんの立ち居振る舞いが、これから着物を着る人のお手本にならなければね」
「そんな風に思っていないわお手本だなんて!」
「それが嫌だったら。もう雑誌に原稿を書いたり。テレヴィに出たり、講演をしたりするのはやめなきゃあね」
と厳しい口調で諭す

「ふん、私楽でいたい、もうサンプルはいや、お手本だなんてとんでもない考えよっ!」

ジーーと私の顔を覗きこんでいたおやっさん
「ちょっと待ってて」
といって奥に入り ややあって

「これ、今まで頑張ったご褒美、うちの会社のPRもずいぶんやってもらったし、ハイこれで着物に全く関係ないものを買いなさい」

ずっしりと思い封筒を私の手に乗せると、晴れ晴れと笑って、私の両肩をポンポンと叩く、その表情はやんちゃな娘に対する父親の表情であった

押し返そうとする私を制し、封筒をすばやく私のハンドバックに押し込んで
もう帰りなさいと言わんばかりに立ち上上がった

おやっさんの姿が涙でかすみ、ぼやけておやっさんの姿が消えても呆然と座り込んでいた

毎日着物を着て生活をするのに私は疲れていた
着物を通して感じる楽しみ方を忘れていた
若くして「先生」と呼ばれその重圧にも負けていた
殻を破るのに「反抗」という態度になっていたのだ

そして一カ月後

エルメスの単衣仕立てのコートをきて(いまだに着ている)ピンヒールを穿いておやっさんの前にたった
「ホー若々しいね輝いてるよ、初めて比佐子さんが洋服から着物に変わった頃の初々しさを思い出すね、いいねえ。」と絶賛

それからは着物の壁に当たったら仕立てのいい洋服を着て着物から遠ざかってみる
そうするとまた着物が新鮮に映ってくるのだ

これがおやっさんの教えだった



#チャコちゃん先生 #竺仙 #エルメス #トンボメガネ #着物
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今日は満月

2019年01月21日 19時55分52秒 | 日記
古事記の中でツキヨミの命の活躍ぶりが余り出てこない
ここのところ気がついたことがあって
全て三位一体、三という数字が日本を動かしていると感じる

天地が割れて始めてお出ましになった神様は「あめのみなかぬしの神様」そして「たかむすび、かみむづび」の神様とご三神。天地の始まりはまずこの三神様からだ

そして馴染み深い天照大御神様にはつきよみのみこと、すさのうのみことのご三神
三という数字は数秘学でも重要に解説されているけど
そちらは詳しい資料もあるのでおまかせして
三という数字が日常生活の中で色々取り沙汰されることが面白い

月を眺めながら三にまつわる「三人寄れば文殊の知恵」「三本の矢」「三度目の正直」などなど思い出しながら月とともに歩く

それにしても冬の月の冴えている事
体は冷えるけどこの神々しい月の光をいっぱいに浴びる夜としたいと
ひたすら歩く

ツキヨミの神様
私の潜在意識に光をください

今日は大きな太陽が西に沈む時を眺め
そして早々と現れた月を愛でることができ幸せを感じている
有難や

http://honmaru-radio.com/ts-director0003/

ラジオも聴いて下さいまし
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着物を繋ぐもの 84

2019年01月19日 20時38分19秒 | 日記
浴衣が苦手
浴衣が似合わない
浴衣を着る場所がわからない

ある時
「私浴衣がとても苦手です。なにか着こなせない」
竺仙で浴衣を見ながらつぶやいていると
「比佐子さんどういう風に苦手なの?」
「体がシャントしないんですよ襟元も腰も決まらないのです。さらにこの半幅の結び方がどうも手に負えない
帯の位置が定まらない感じがして、裾がすぐ開いてしまうのも不安材料
襟がどこまでもぼんやり開いていくのも落ち着かない」

いろいろと苦手材料をぶち曲げていたら
「浴衣を品よく着こなすことができたらもう着物はなんだってすてきにきられる。比佐子さんはまだそこに到達していないのかもしれないね」
魚釣りが鮒に始まって鮒に落ち着くというように
着物も浴衣に始まって浴衣に終わるのかもしれないなと思った
(そして今もまだ浴衣が苦手きものの途上人間だ)

そしてそれからしばらくして
「むかし縮緬浴衣というのがあってね木綿の浴衣を着ない階級の人が着ていたの」
「その階級って上流階級ですか?」
「いや芸者さんやお妾さん」
「これは絽縮緬だけどこういう感じの浴衣を素肌に着ていた時代がある」
「これ素敵普通にも着られますよね」
「普通に着ないのが粋なんだよ」
「わおー」

早速絽縮緬に越後型を染めていただいて素肌に着てみたが気持ちの良さは格別、帯結びは文庫にしたら似合わず片流しにして初めて落ち着いた

このときの感触があるので最近は麻の着物を素肌に着て片流しの帯結びで浴衣代わりの着方をしている
それにしても昔の人はなんとおしゃれ(つづく)

# 浴衣 #絽縮緬 #妾
 


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