チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

依存症

2015年09月30日 10時07分28秒 | 日記
きものが売れない原因の一端が解ったような気がする
「本当のきもの楽しさ」を伝える人が少なくなっている
つまり「番頭っさん」が皆無といっていい
呉服屋さんに伺うと問屋さんから派遣された染織の先生
もしくは売りてさん

染織の先生も売り手さんも
ご自分の「商品」にかんしては詳しい
説明にも熱が入り感動を与えることもある

しかし全体的なきものの知識にかんしてはいかがなものであろう
正式には何を着ていくの
正式って?

色んな日常の中で経験豊かにきものを着た世代が少なくなり
きものの格式などをきちんとのべる人も少なくなった
こういうことは全て呉服屋の役目でもあった

其のお役を放り投げて
ただ商品の説明にだけ明け暮れている人が多い
其れではきものをどう着たら好いのかが皆目分からなくなる

かくしてきものはいい加減に着られるようになり
いい加減に着るから楽しくない
感動がない
それでだんだんきものから遠のいていく

着付け方にどんなに詳しくても
本来のきものの装いを楽しく語らねば着物に興味は湧かない

今からでも遅くない
其方を目指してきものを語っていこう

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歳は確認しない方が良い?

2015年09月29日 11時07分53秒 | 日記
チャコちゃん先生は今年1月6日まで自分の歳を忘れて居た
出雲大社で祝詞を上げて戴いたとき
歳を大声で宇宙に聞こえるように言われ
「エッ私のこと?」と腰が抜けんばかりに驚いた
しかも数えの歳だ

同行の人たちもいっせいに驚いた顔をしている
同行の一人はそれ以降みんなにチャコちゃん先生の歳を吹聴する
逢う人逢う人に教えるので
いつの間にかチャコちゃん先生自身がその歳を意識するようになってしまった

そうしたら何が起きたかと云えば

一気に顔が老けてしまった!

其れを龍言の女将に云うと
「そうよ今まで意識していなかったら一番好きな年齢でいられたのよ忘れなさい絶対に」
また心友は「私ひさこさんのとしなんて知らなかったわ、そううよ必要ないわ」
また別の先輩も
「ひさこさん年齢を意識した途端全てがソの年齢にふさわしくなってくるのよ」
とおどかす

「60歳過ぎたらもうみんな一緒楽しくやりなさい」
90歳の亡くなった姑がそう言っていた

確かに毎年歳を重ねる
その年と共に経験も積んでいく
経験を上手に生かして確実に死に至る毎日を元気に過ごしたい

そう決心したら
またもとの顔に戻り始めためでたしめでたし




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奇跡が起きた!

2015年09月28日 22時00分00秒 | 日記
昨日チャコちゃん先生は飯島の方に取材に出かけた
朝愛用の「アイパット」の電源が通じない
何回スイッチを押すが液晶の画面は暗いまま
何の合図か
「アイ」愛・藍・会い等色々考えるが一向にこの合図の意味が分からない
神様は常に私たちにさまざまな合図を送ってきている
時に勘違いの理解の仕方もあるが
「あれっ」と感じたとき
「これは何の合図?」と一歩とどまることにしている

さて行きの3時間はひたすら読書一冊は読み上げるよなこの時間
なにも次なる合図は来ない相変わらずアイパットは使えない
帰りの3時間
「あいかーーー」と深いため息をついていたら
自分がいかに両親に愛されたかを思い出した
其れなのになんとあまたの親不孝
そうだその親不孝を思い出して手帳に書いてみよう
あるはあるは次から次へと出てくる出てくる
たぶん親から見るともっとあるだろうがと思いつつ
小さな小さな嘘や口答え
そういう事も見つけ出して書き留める

朝はきちんと両親に挨拶しているが今日からは夜も感謝のあいさつをしよう
二人はもうこの世にいないのでもっともっときちんと挨拶をしなければ
とさわやかな気分になったところで新宿につく

そうだ「アイパット」ヨドバシカメラで見ていただこう
と試しにスイッチを押すがやはり液晶画面は真っ暗

ヨドバシカメラに行き最初に目があった店員さんにことの事情話すと
早速手に取って見てくれる
あらーーーなんとアイパットいつもの調子で動く

「あなたは何か霊力をお持ちね持っただけで直していただいたわ」
と伝えると大喜び
「亦ということもありますのでね、修理はフイルム館の2階ですよ」
と教えてくれる

本当のところは両親に心から謝罪したことで神様が与えてくれたこと
親のおかげで今日ここに私がいる
そのことを忘れてはいけない

ありがとう父はは
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お彼岸

2015年09月24日 11時25分36秒 | 日記
春と秋ちょうどこの日を境に季節が異なっていく
昼夜の長さが一緒という日でもある
春のお彼岸は陽光が強くなるせいか
何かこれからの楽しみの方に気が奪われる

しかし秋のお彼岸は来し方行く末を考えたくなる
特にチャコちゃん先生母の味である「おはぎ」をつくるのを習慣にしているので
ツイツイ母との思い出をじっくりと味わう

生前の母とは「天敵」と思うほどやること云うことにすべて反発して過ごした
きものも「一生着ない」と公言しながら
いまや「きものを通して日本の文化を伝えたい」という気持ちになって居る
ソの日本の文化は
母が当たり前のように行っていた言っていたことから発生していることも
今になって解る
そのとき母はもうこの世にいない

「女が表で働くなんてとんでもない」
「妻が外で働くなんて信じられない」
などなど母が信じられない事をあえてしてきた結果
苦しみが多い
哀しみが多い

それはここに来て始めて知ったけど「分限」というのを越えていたからだと思う
其れを母は云いたかったのに
聞かなかった

しかしまだ生命が遺されているいま
今日からこの分限を実行していこうと思う

秋のお彼岸はやはり深いところで親との対話ができるのだと思う
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2015年09月18日 09時00分00秒 | 日記
気が付いたことがある
一日の内自分の顔を見るのはどれくらいであろうか
顔を洗う
お化粧をする
きものを着る
化粧直しをする
ガラスに映る自分のかををちらりと見る

そう言う時間をいくら足してもい時間はかかっていない
ましてやきちんと鏡と向き合ってもいる時間は果たしてどれくらい?

チャコちゃん先生の尊敬する普門寺の庵主さんは
「朝3分自分の目を見て」とおっしゃる
そうするとその日の自分の運勢が自然と見えてくる
全ては瞳に現れている

哀しい
怒っている
嬉しい
楽しい
ハズカシイ
なにもかも全部瞳に宿る

生まれて死ぬまで私達は本当の自分のかをを知らない
写真とか鏡に映る自分の顔
直に自分の顔を見ることはできない

そうすると自分の顔は人様のものだ
人が喜ぶのは相対する人の笑顔だ
それだったら自分は見えないけどソの笑顔によって人から笑顔をいただける

自分より人に顔を見せている時間が長いのだから
さっぱりした笑顔で一日を過ごしたら良い

顔はそのためにある
なーーんだ自分が幸せになることはカンタン
顔を大事にしよう

かがみから「が」を外すと「かみ」だものね
鏡に映る自分こそ「かみ」といっていいのかなあ
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行き先不明

2015年09月17日 21時07分41秒 | 日記
秋の長雨を見ていると
今のこの世の中を映し出していると思う
行き先が解らない
出口のないトンネルに入ってしまったような世の中
でも若い人たちの手で
何とか国を元気にしようという気運が高まっている

雨の中
明日の日本のために必死に訴えている姿が貴い
雨災害に遭われた人々も
有る企業の心ない行動の犠牲であったことが解ってきた

何かおかしいと思いながら
日々を過ごすのも辛い
先ず自分の軸をしっかり見つけて動かないといけない
自分の軸は何処にある
何を軸にするのか
そんなことから自分のなんたるかを考えるときがきている

温故知新という
先ずは自分の両親ソのまた両親その上の両親について
私達は何を知っているのだろう
ソの方々のお陰で今日自分が此の世にある
そこが先ず軸ではないかと考える
白いノートを持って
両親に対する思い出を綴ってみた

なくなってこそ
逆に両親の「愛」を感じる
天敵だと思っていた母に一番似ているのが私だった
書きながら思わず苦笑

今こそ母に会いたい

明日を見つけるためにーーー
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佇まい

2015年09月16日 11時57分21秒 | 日記
この言葉が好き
佇まいを人が宇宙と一体となっている感覚ではないかと感じている
六日町の龍言に行った
そこの蔵美術館に収められている
kosmosの表紙絵に逢いに行ったのだ

季刊kosmosはチャコちゃん先生40代唐50代に掛けての一番の仕事だ
自分から情報を発信したいという強い願望で始めた

ソの表紙は必ず秋櫻にして当代の有名染織家に製作して戴いた
創刊号が初代由水十久先生
季節が違うために花市場に行って秋櫻を見つけ勇躍金沢のお宅へ送った
その日以来由水先生は秋櫻とともに過ごし
「花びらが花心から落ちる風情が美しいわ」
と電話を寄越しまれに見る散り際の秋櫻を描いて下さった

「何も遺さない散り方が清い」
こすもすは芯が強くドンナ風にも倒れるかに見えても起き上がる
それでいて繊細で美しい
こういう花の姿に私は惹かれていたのだが
散り方も清いと聞いてそれ以来こすもすを見る目も変わった

会社名も秋櫻舎にしたがこれはギリシャ語の「美の伝達者」英語の「宇宙」という意味が気に入ったから
また花の佇まいも美しいと思った

佇まいという文字
何かおとなしくて優しく細々としているけど
しっかりと芯が通っていて軸がぶれない
こういう事を言うようにチャコちゃん先生は思う
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きぬ(絹・鬼怒川の怒り)

2015年09月14日 11時24分00秒 | 日記
水の被害は局地的に大変大きかった
特に鬼が怒るとこうも恐ろしいかと鬼怒川の大暴れ
昔からこの川はよく暴れるので鬼怒川という名になった
と初めて結城紬の取材に行ったとき今は亡き奥順の前々社長からお聞きした

その頃は桑畑も多く河川は鬼を鎮めるために桑の木を植えたのだとも
しかし今は―――
人間は自分が効率の良いことしか考えない
川に機嫌よく流れてもらうためには川の流れをどうするかという知恵が浮かばない
昔の人々は
常に自然の法則をまず考えてその法則から外れることを嫌った

それが明治に入り「近代化」を邁進するようになって
自然を切り崩しすべて「生きている人が便利なように」という視点になってしまった
便利、便利を追及していくと結局は
人が動かなくて何もかもが周りにそろうことを欲求するようになる

「我」以外何物でもないのだが
人はそれに気が付かない
「我」はしこりだから体に影響をしてきたら「癌・や腫瘍」など余分なものができる
さらに血液の循環も滞る
これはいまもっとも自然の循環が滞っている状態でリンパ系の病が多いのもうなずける
結局はそれが命取りになる

病気になる前に
まず人間関係に問題が起き
それを解決しないと
お金に苦労するようになり
間違った解決をしていると「病」になり死んでいくのだそうな

まずは人との「和」自然との循環の中で生きていくことが大事
聖徳太子もそうおっしゃっている

蚕に対する人間の仕打ちを見ているとつくづく人間は無知と思う
「きぬ」鬼怒はこわいよ
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火と水 かみ

2015年09月11日 10時49分55秒 | 日記
今年は噴火洪水が多い
火と水が私たちに何を知らせているのか
火と水は「かみ」とも読める
ー神ー髪ー紙ー噛みー上ー守ー加味ー咬み
自分自身に照らし合わせどの言葉が今の自分に合うかを探す
そうするとこれからの自分自身の事がよくわかる

神を知りたいと思う
神の意志を知りたい
神の意志のままに自分を動かしたい

その神は宇宙神であることは言うまでもない
ここまで自然破壊が進み
神が最も嫌う調和が乱れ争いの波動が世界に満ちている

何もかも火でもやし
水に流して私たちは再生をしなければいけないのかもしれない
日本列島すべてを巻き込んだ野分けおよび停滞低気圧

自然の循環を取り戻さない限り
このたびのような事故が続く

山を美しく元気にすれば水は清く美味しい
その水は田畑を潤し私たちを育ててくれる
海に流れた水は海の生き物の成長を促し
水蒸気となって雨や雪になりまた山を豊かにする

こういう循環が今途絶えてしまっている
一人一人が土にかえるものを使う事から始めないと
火と水は今後も私たちに教訓として破壊を促すかもしれない

土が隠れた都会は特にご用心
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雨下駄

2015年09月10日 13時46分55秒 | 日記
8月26日から本日まで2日ほど間が曇ったり晴れたりしたけどずっと雨
36度もあった猛暑から突然19度などと云う気温になり
体温調整もままならない人も多い
そのために風邪が流行ったり腸炎を起こしたり

でも一つ好いことは炎天下の水やりをしないで済むこと
これは有がたい
しかしながら植物との会話ができなくなりチョット寂しい

この雨天の中毎日出かける用事があるが
有り難いことに歩いている間は小雨という恵まれ方
雨下駄を履きすぎて爪革のゴムや緩みそこから雨が入って来て足袋をぬらす
この気持ち悪さに耐えかねてついに素足で下駄を履くことに
小さなタオルを持参して伺った家に着く前に足を拭き足袋をはく

その内其れもめんどくさく
ツイツイその素足のママお邪魔することになる
長いこと歩いていて終に足の甲の皮がむけ痛いのなんの
鼻緒にあたらないように歩くので下駄の音が高くなる

電車に乗ると異国の方は先ず比佐子さんの足下を見る
雨下駄が珍しいらしい
そうかこう言う形の履き物は日本にしかないか
と改めて自分の足下に目を落とす

先人が考えた実用的でありながら美しい形
東京は嬉しいことに真っ直ぐの雨この雨下駄が実に美しく見える
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