明治天皇がお隠れになってちょうど昨日が100年目だった
明治45年(1912年)7月30日 61才(満59才)
14才で122代目の日本国の天皇陛下におなりになって45年の在位
京都では未だに「天子様は江戸に逗留中」という解釈
本来は京都の御所が住処だと未だに思っている人が多いという
今日から江戸に下がるという言葉も使う
東京という言葉は京都の東という意味だと京都の方に教わった
京都人は並々ならぬ誇りが有り
「天子様の留守を預かっている」という感覚である
東京は田舎者と決めつけられたこともある
其れはともかく
昨日は明治神宮が輝いていた
サチコさんとチャコちゃん先生は明治神宮にとてもなじんでいて
20年来月に一度は誘い合わせて早朝散歩をしているが
年の初め100年式年祭があると云うことで
明治天皇の絵物語がパネルで正参道に長く長く設置されていた
其れを一枚一枚眺め説明をしっかり読んで歩くと30分はかかるが
江戸から明治に至る歴史
また日露戦争や日清戦争における明治天皇のお気持ちなどが
よく分かる
江戸から明治の改革の嵐が勉強不足のチャコちゃん先生にもよく分かる
それぞれの立場の要人たちは
開国するにしろ
旧来の日本にしておきたい人たちにしろ
みんな命を賭けて真剣に取り組んだ様子が手に取るように分かる
ついつい今の要人たちの人間性と器量を比較したくもなってくる
明治天皇はもちろん開国派の王政復古を望んだのだが
そのためには諸外国の文化を緊急に取り入れることが必要と思い
衣食住の日常の外国模倣から始められたようだ
チャコちゃん先生はむかし
明治天皇がきもの文化をないがしろになさったと思っていたのだが
日本の文化を否定したのではなく
まして拒絶したのでもなく
とにかく進歩していると信じた西欧の文化をとにかく身に着けることから
日本が開国をしたということを諸外国に知らせる必要があったのだと理解できる。いまは
それにしても明治神宮は居心地がいい
大正4年から始まった各県からの献木が
いまは根付いて親木になり参拝者を憩わせてくれる
今はもう誰も口にしない
和魂洋才をもとめて日本づくりをしたことがわかる
今度は11月3日明治天皇生誕の日にぜひ明治神宮へ
明治維新と今の改革はどこかで似ているかもしれないと思う
静かなデモとええじゃないかの踊は通じているような
明治45年(1912年)7月30日 61才(満59才)
14才で122代目の日本国の天皇陛下におなりになって45年の在位
京都では未だに「天子様は江戸に逗留中」という解釈
本来は京都の御所が住処だと未だに思っている人が多いという
今日から江戸に下がるという言葉も使う
東京という言葉は京都の東という意味だと京都の方に教わった
京都人は並々ならぬ誇りが有り
「天子様の留守を預かっている」という感覚である
東京は田舎者と決めつけられたこともある
其れはともかく
昨日は明治神宮が輝いていた
サチコさんとチャコちゃん先生は明治神宮にとてもなじんでいて
20年来月に一度は誘い合わせて早朝散歩をしているが
年の初め100年式年祭があると云うことで
明治天皇の絵物語がパネルで正参道に長く長く設置されていた
其れを一枚一枚眺め説明をしっかり読んで歩くと30分はかかるが
江戸から明治に至る歴史
また日露戦争や日清戦争における明治天皇のお気持ちなどが
よく分かる
江戸から明治の改革の嵐が勉強不足のチャコちゃん先生にもよく分かる
それぞれの立場の要人たちは
開国するにしろ
旧来の日本にしておきたい人たちにしろ
みんな命を賭けて真剣に取り組んだ様子が手に取るように分かる
ついつい今の要人たちの人間性と器量を比較したくもなってくる
明治天皇はもちろん開国派の王政復古を望んだのだが
そのためには諸外国の文化を緊急に取り入れることが必要と思い
衣食住の日常の外国模倣から始められたようだ
チャコちゃん先生はむかし
明治天皇がきもの文化をないがしろになさったと思っていたのだが
日本の文化を否定したのではなく
まして拒絶したのでもなく
とにかく進歩していると信じた西欧の文化をとにかく身に着けることから
日本が開国をしたということを諸外国に知らせる必要があったのだと理解できる。いまは
それにしても明治神宮は居心地がいい
大正4年から始まった各県からの献木が
いまは根付いて親木になり参拝者を憩わせてくれる
今はもう誰も口にしない
和魂洋才をもとめて日本づくりをしたことがわかる
今度は11月3日明治天皇生誕の日にぜひ明治神宮へ
明治維新と今の改革はどこかで似ているかもしれないと思う
静かなデモとええじゃないかの踊は通じているような