チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

比佐子つれづれ

2018年03月25日 09時37分58秒 | 日記
年月を数えてみたら
毎月第四土曜日に行っている「比佐子つれづれ」の会は43年
どういうきっかけで始まったのかを「反省」を込めて振り返ってみた

そのころ私は全国の産地ルポをして雑誌に原稿を書いていた
またその産地で沢山の作り人にあい
その人達のことをもっと身近な人に伝えたいと思った

更に
着物に興味を持たなかった私が
着物から教わる日本文化に心から心粋し
その思いを同じ感覚の人たちと共有したいと思っていた

その頃は今考えると「売れっ子」だった
それ故に「天狗」になりたくなくて
覚えたことを共有してみんなが自立できる道を見つけたいと思った

その時
チャコちゃん先生の「師」に当たる方が(秋櫻舎という名前もつけてくれた)
「チャコこういう集まりを始めたら、たとえ集まる人が一人でも、いやゼロの日も
絶対にやめてはいけない、それくらいの覚悟で始めなさい。協力をするから」

どんな仕事より最優先して続けてきた
その御蔭で仲間も増え
なによりも今この時代に着物を通してなにが語れるかという勉強もできた

師は今この私が「なによりも私が勉強できた」
という言葉を聞きたかったのだろうと徳信した

そして
昔女学校の先生だった方が
「つれづれに参加するのが今の私の一番の愉しみ」
と70歳のときからなくなる86歳まで欠かさずいらしていただけた
それも
師に報告する彼岸
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人間の節目

2018年03月19日 14時44分49秒 | 日記
竹は節目があるから中はがらんどうでも強く居られる
人もそうなのではないかとやっと最近わかった

今年は大変革の年だと聞く
どういう変革だろうとワクワクする思いで待っていたが
実は自分自身の変革が始まっていた

稀に見る状況に置かれているのだが
そこから見える一条の光が日々強くなり「光」の尊さを感じる

時間がたっぷりあるので
節々を考えてみる
節目を迎えてそこを超えたとき強くなっているのではなく
柔らかくなっている自分を見る

竹はどんな雪の重みでもスキッとはねのける強さがあるが
それはしなやかだからそうできる
重みに耐えかねてぽっきり折れる大木もある

人生いろんな筋目がある
筋目とわからないで通り過ぎているときもある

難なく筋目をやり過ごすときは自分しか見ていない
本当はそれが正解なのだと今だから分かる

歳を重ねるということは無駄な年月はないということ
その一年一年同じではなく少しずつでも伸びていることを感じる

背丈は縮むけど人間性は高まっていくのが人の生育なのだろう
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春うらら

2018年03月14日 18時07分50秒 | 日記
今日は春らしい気持ちの良い一日であった
お昼時公园を歩いていたら
思い思いにビニールシートを敷いて昼食をとっているOLたち

コンビニ弁当ではなく
母親が作ったのか自分で用意したのか自前の弁当を広げている
つい
「気持ちいいわねえ」
と話しかけたらニッコリと嬉しそうな顔
頬いっぱいに食べ物を入れているのでニッコリしかできない
なんだかその顔を見て愉快になった

平和な風景なのだ
こんな平穏な時間を私達は自由に持てる
何と幸せだろう

30日からセブ島に行くその打ち合わせと持っていく荷物を預ける
その荷物は舞台の手伝いをするスタッフの高校生に塗り絵と鉛筆100人分

そして着物ショーをするので浴衣や草履
草履と行ってもゴム草履を少し上等にいしたもの

聞くと日本の戦後すぐの様子のようだ
写真を見ると子どもたちの目が輝いている

シャワーはお湯が出ません
便座がありません
文明国家から見ればないないづくし

しかし太陽は同じように差込み
月の光も美しい

どこにいても「今ここが嬉しい」と思える心がほしいと思う
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深く反省

2018年03月09日 13時16分05秒 | 日記
自分が不得意なことは人に押し付けてきた人生だった
いまチャコちゃん先生深く反省している

好きなこと、興味なること、好奇心丸出しで突き進む
この資本経済社会の中で暮らしていれば
必ずそこに「利益」を生むことを考えなければならない

そこが欠乏しているので
知り拭い後始末をする人は大変だ

どこかで
突っ走ってしまっても誰かが面倒を見てくれる
そんな甘い人生を過ごしていた
どれだけの人に迷惑をかけていたか

そういうことを深く反省していると
己の無力さが身にしみる

これからは自分ができることだけをやっていく
やりたいこととできることの区分けをきちんとしなければならない

いまごろ?

と言われそうだが
やっと気がついたのが今だった!
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宇宙年齢

2018年03月05日 13時39分17秒 | 日記
チャコちゃん先生は
若いときから人は宇宙年齢と地球年齢を持っていると思っていた
その為ずっと自分の年齢を意識せずに過ごしていた

目の前に現れた人と自分の年齢は同じ
みたいな感覚で過ごしていた
「おいくつですか?」
と臆面もなく聽く輩には
「宇宙年齢ですか地球年齢ですか?」
ときいて黙らせてしまっていた

日本人は相手の年で人を判断することが好きで
「いくつだからこういう考え、ああいう行動」
と決めつけてしまっている

地球で過ごした時間が短くても
この宇宙でいろんな知恵を身に着けた人は「おとな、たいじん」
の風格がある

乳飲み子さえも私より知恵を持っていそうな雰囲気を醸し出している子もいる

だからどんな人にも丁寧に応じる
そのようにしてきた

一瞬同じ場所にいる人でも
きっとどこかでお世話になっていたかもしれない
こう考えると人の命は愛おしい

嫌なことを言う人もいるが、ぐさりと刺さるようなことも言われる時があるが
「きっとどこかで私が同じことをしているのかもしれない」

そう思うと目の前の人に感謝せざるを得ない

それでも滅入るときはある
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秀才より天才

2018年03月03日 17時42分41秒 | 日記
これからの世の中は
秀才より天才の時代
なんでもできる人は今までの時代はとても重宝であったし尊敬もされた
しかしこれからは「魂職」が一番ということになると
それぞれが天才にならざるをえない

常識的には秀才はみんなの尊敬を集め
高いお給料を取りいい生活をする

天才は一つのことに秀でても他のことができないので
裕福にクラス人はまれ
それが今までの時代

これからは天才が裕福になるのだそうだ
そうすると天才に自分を持っていくことが必要となる

自分の中でなにが一番秀でている化を考えてみよう
チャコちゃん先生は
秀才でもなく天才でもない
しかしこれから幕をとしるまで
天才に向かって自分の中の無意識と語り合ってみようと思う

なにが得意か
寝食忘れるほど好きなことは

そう詰めて考えるとなにもない自分に唖然とする
私たちの時代は「秀才」になるように育てられた

まだ時間はある
しっかり見つけ出そう

寅さんの生き方にヒントがある
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