チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

富士山は美しい

2022年01月31日 09時51分33秒 | 日記
当たり前なのだが本当に富士山の姿は尊い
思わず手を合わせたくなるし、実際そうする心をみんな持っている
然もどこから見ても端然としていて、それでもってその姿に優しさを感じる

雲で覆われてもその雲を追っかけるではなく、また自ら払いのけるでもない
雪が降ってもそのまま
雨が降れば汚れを落としてすっきり姿
台風の風にも動かず
相手の思おうママにされていても自分の姿は決して変えぬ

余りにも度重なると、時に噴火して見せるが
鎮まったら元の端正な姿に戻っている

一時「フジヤマ芸者」と日本のことを宣伝した外国人が多かったが、日本の芸者の姿も毅然としている
明治の志士たちが、どれほど芸者に助けられたか、美しくて度胸がありしかも知恵者。その証拠に明治の政治家たちの奥方は芸者であった人がおおい

外国人から見たら
芸者も富士山と同じように自分の姿をきちんと持っていて、何もかも受け入れながら姿を崩さないところが、単なる遊び女でないことを理解したのであろう

今朝も新宿から見る富士山を眺めていて、日本に富士山が存在することの誇りを感じた

この富士の山は関東は高崎まではっきりと見える、特に冬の夕焼け空を引き連れた富士の姿は舞台上の大役者の風格、そして新たに関東平野という広さを認識する

どんなにビルが建ち並ぼうが、そのわずかな隙間からも富士山の姿が日常に見られる関東平野は素晴らしい、ありがたい。そうありがたいとしか言いようがない

夕焼けを受ける都庁舎の窓に富士山が映ること、この建物の主はご存じだろうか?



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着物が繋ぐもの 472

2022年01月29日 09時44分02秒 | 日記
極めて崩す
どんなことにも言えることだけど、何事も極めて自分が好きな風にする。というのが名人かもしれない

昨日は
「東京に友禅染があるんですか?」
着物初心者さんたちと一緒に高田馬場の工房「高孝」さんのところにお邪魔した
主宰の高橋孝之さんは、東京手描き友禅の組合の理事長もなさっていた時期もあり、昨年の秋は叙勲もされている

と書くと「偉い人」という語感になてくるが、「やんちゃな江戸っ子職人」である
父親の代から続く工房を男兄弟で盛り立てているが、父親が主宰のころは各地から「渡り職人」がやってきて、あらゆる染の技術をそこにいる人たちは習得している

昭和30年代だ
小さいころからライダーにあこがれてる孝之少年は高校の卒業時父親に
「オートバイがすぐ買えるぞ」
とささやかれこの道に入った

渡り職人隊は様々な技術の情報を持っていて、染織技法というのに孝之少年は目を開かされた

糸目友禅、更紗染め、江戸小紋、しけ引き、一珍染、型染、ろうけつ染め、墨流し、素描縞、シルクスクり―ン、草木染などなどすべての技術を身に着け、そして今
「一番楽しいことをしている」
と楽しそうだ

どの着物や帯を見ても喜びが伝わってくる
工房で技術説明を受けた後は、染め上がった反物をみんな我先にと身にまとって楽しむ

複雑な手仕事をさも簡単に見せているので、さわり身にまとう側は遠慮がない
「極めたのち自分流にしていく」
というのは手仕事にだけあるのではなく、着物の着方にもそれが言える
いきなり自分流にしたのではそこに「品」が存在せず、極めたのち自由に着る姿には、そこにストーリーが生まれて美しく見える

楽しい時間はあっという間
工房出たときはもう夕日が傾いていた
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自分を信じる

2022年01月28日 09時25分48秒 | 日記
最近分かったことが在る
私達はあまりにも人の言葉を鵜呑みにし信じてしまう
それがあたかも自分の考えのように自分の中に埋もれていく
そして苦しんだり悩んだりする
「なぜ人を信じ自分を信じないのか?」
自分を信じることは「神」を信じることになる
ということが最近やっとわかった

今風に言えば「自分の潜在意識を信じる」ということになるのだろうが
古い時代はそんな学術的な言葉はなく
「自分を信じることは神を信じることだ」
と素直に自分に正直に生きていた

最近は
「神なんて信じない」
「神様なんていない」
という人がおおい(だけど初詣に行って手を合わせている不思議)

アインシュタインは堂々と
「日本という国を神が作ってくれたことに感謝する」
と「神」という言葉を高らかに出している。あの大科学者がーー

「あなたは誰が作ったのですか?」
という問いにしっかり答えられる人は少ない
「神様に作っていただきました」

人間は神の持ち物なので、勝手に自分で自分をいじくってはいけない
寿命が来てお返しするとき、この体をいただいた時のように、綺麗にしてお返しをしなければいけない。借り物だから

自分自身の中から湧いてくる言葉や考え方を大事にすることが、神の意志に添うことになる
そうするとなにもかもスムースに行く

あの敗戦後日本人の多くの人達が落ち着いて、次の時代のために努力をしていたのは、自分自身の内なる声を信頼していたからであろう
世界が驚く復興を遂げたのは、心の中に神を抱いていたからだ

日本人の本質は
「おてんとうさまが見ているよ」
に尽きるのかな
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色白七難隠す

2022年01月27日 09時50分40秒 | 日記
白い肌を持つ人は美しい
もうずいぶん前になるが白系ロシア人19歳の女性に着物の着付けをした
チャ子ちゃん先生の着付けは裸になっていただき、湯文字から付けていくので、美しい肌に出会うとドキドキする
その女性は日本語も達者で、自分で着付けを覚えようと質問をあれこれしてくる。その質問に答えながら、いつもよりゆっくりと着付けの手を運ぶ(白い肌を鑑賞する)

とにかく真っ白、肌はすべすべ、「もち肌」という日本語を教えたら大喜びしていた。いつもは5分で着付けが終わるのに、ゆっくりゆっくり15分かけて白い肌を堪能(まるっきし男だね)

西洋のドレスでも、背中の肌の美しさを強調するイブニングドレス、前は肩や鎖骨の美しさを見せる形、胸まで見せるのは商売女
肌の美しさをどこまで品良く見せるかにデザイナーたちは知恵を絞り、女たちは肌に磨きをかける

着物はその白い肌を隠してしまうのだが、うなじの美しさ、ちらりと見える袖の中の華奢な白い腕や脛。あらわに見せないところが見る人の想像を掻き立て、歌や小説が生まれる
ちらりだからやはり肌は白い方が効果的
顔はどうにか化けることが出来ても隠された肌は素のままだ。だからこそ色白は七難隠すといわれたのであろう

チャ子ちゃん先生は肌が黒い
川邊サチコが
「比佐子さんは色が黒いから、肌はあまり塗らず、ポイントメイクで行った方がいい、それにショートヘアーがいい」
とあるときぱっさり髪を切られた
「黒い肌の持ち主は健康であることが一番よ、根性でどんな色も着こなしなさい!」
「私七難出ていて着物着ているんだものね、大したもんよ」
とかえして大爆笑

兄も姉も色白なのでよく兄が「お前はもらわれてきた子だよ」と喧嘩の時のセリフ。そこへ姉たちが
「ヒサちゃんは生まれたときは白かったのよ、薬草で体の組織を替えたら健康色になっただけ、だれよりもきめの細かい肌してる、男はそんな言い方で女の子をいじめたらだめ!」

姉たちの優しさが身に染む


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着物が繋ぐもの 471

2022年01月24日 09時35分12秒 | 日記
着物に携わる職人さんたちが日々減っていく
着物を着る私達は蚕や素材たちの長い旅路の最ごを受け持っている
その最後の場が安住の地でありたい
そう願って着物を着ているが
その安住の地も今や狭いものになってきている

「背負真綿ある?」
「すみません作る人がいなくなって」
「絹の手袋ある?」
「もうできないんです」
「コートに真綿引いてくれる人いますか?」
「出来る人が亡くなって」

つい数年前まではできていた細かい技術が継承されていない
全てが機械化されて、手仕事で生計を立てていた人たちがやめていく
「お金」中心の世の中にあって、手仕事関係の収入は細い
まず家族からこの仕事に未来はないと、受け継ぐ気持がなえていく

これからの世の中の変化には
「手仕事」がキーポイントになる
これからは「お金」中心の世界から、自分が意識的に豊かになる時代に入っていくが、その時繋ぎたいという技術がすでに無くなっているということも考えられる

繋いでいくもの、もう未来に用のないもの
その見極めは「自分がかかわっていて楽しい、それが社会を豊かにするもの」という基準だと思う
がらりと意識の変わる世の中がついそこまで来ている
その未来をどれだけイメージできるかが
次の時代を嬉しい楽しい興味い深いって過ごせるかだろう

現実はまだまだ激しい混乱が続くけど
その中でしっかりと「自分がやりたいこと」に励むのも新しい時代を楽に生きるすべでもあると思う

手足が動く限り、自分が出来ることに技術を積んでいいく、なんでも買う時代から自分で作る時代になっていくのかも


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シャロックホームズ

2022年01月23日 10時53分40秒 | 日記
いまBSで放送されているシャーロックホームズにはまっている
見えぬものを見る力というのが探偵には絶対必要
その為には人の行動人の癖人の考え方、人の暮らしぶりなどが参考になる
そこから解いていく

何故にこの事件が起きたのか
警察は結果と証拠で事件を解決しようとするが
ホームズは起きた事件の俯瞰から始まる
マクロからミクロに移り事件が解決する
相棒のワトソンがあたふたしながら
我々観客の疑問をホームズに質問して解いてくれる

英国の良き時代が背景なので
フアッションや身のこなしが優雅
いかにも質のいい皮の手袋を二人ともはめていて
惜しげもなく泥や血を触る
二人の性格を表した帽子の形がまた面白い
オーソドックスのワトソン、どこか変形したホームズただし品がある
「英国紳士」とはよく言ったものだ
走っていても、腹ばいになっていてもそこに品が保たれている
二人の性格に合わせたコートも興味深い勿論靴も

馬車かひらりと降りるホームズの長いコートの裾の翻りが見もの
ワトソンは医者で物書きなので、メモ魔小さなメモ帳も使い勝手がよさそうだ

また風水を勉強しているチャ子ちゃん先生としては家具の配置も鑑賞の一つ
陰陽をしっかり考えた家具の配置はお見事
またテーブルセッチングも参考になる
庭の作り、城のような家の佇まいも全てが整っていて気持ちがいい

庭は「玄空八卦」という配置を使っていることが多い
ホームズ役の役者もこの世の人とは思えない雰囲気を醸し出している
学生時代に読みふけった探偵書、その時に想像したイメージの人物とは違うが、それはそれで楽しんでいる

水曜日21時
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父親と息子

2022年01月22日 09時19分18秒 | 日記
ここの所一か月に一回くらいわが風水の師匠鮑黎明氏のご長男義忠さんとゆっくり話し合ったり、食事をしたりしている
義忠さんも今や立派な風水師で、いろんなことを教えていただいている
チャ子ちゃん先生が長生きしているためか、この父と子に限らず、染織家の中にも三代の付き合いとか四代のお付き合いなどが多くなった

そして父と息子のかかわり方がそれぞれに違うが、そこに流れているのは「男同士」の無言の教えと、期待と、厳しい愛、責任感、そして微妙な嫉妬、認めたくない尊敬の念という複雑な思いが両者に流れていることも感じる

そして息子が苦悩を終えて自分自身に自信がついた時、心からの尊敬と愛が父親に向けられる。しかし多くの場合そのとき父親はこの世にいない。だから自分以上に父を理解していると思えるチャ子ちゃん先生にあうと、一気に素直に父をほめたたえる気持ちになり、安心する
(そういうお役のために長生きしているのかなあ)

克服するまでにはいろんな苦しみが両者に生じるようだ。父親の世間の評価と自分の父への評価にあまりにも差があるとき、息子の苦悩が始まる

義忠さんがそうだった
小学校に上がるころから知っているので、今の姿を見ると心から歓びがわいてくる
息子が物心ついた時すでに父親は異色の風水師として抜きんでた仕事をしていた。しかも非常に頭がよく勉強家で人に厳しい人だった
中国語の古典を読破し翻訳、更に日本人の生活に属した中国風水を作り上げ、それが日本の奈良時代の風水とほぼ一致したことも大きな貢献度であったと思う。黎明さんに言わせると
「唐の時代に日本に入ってきた風水を聖徳太子が日本の風土に合わせて作り替えている」

家庭環境は当然風水一色、それで引っ越しが頻繁になり、息子は学校になじむ暇もなく、また新しい学校、馴染むには喧嘩に強くなるしかない。父と違う道をどんどん歩む息子。家を追い出され路上生活も味わった。壮絶な少年時代だ
父と息子が理解し合えたのは父の大病、息子はその病を治そうと必死になり、そこで神を知り風水の道に行く

そんな話を聞きながらいろんな家庭の父と息子の姿に想いを馳せる
「漫画になさいよ」
「もうできてるんです。発表したいと思っています」

出版社を見つけたいなあ

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営業電話

2022年01月21日 19時40分56秒 | 日記
会社を小さくして一人社長小使いさん状態のわが秋桜舎
全ての電話の一人で対応しているが、ここまで営業電話が多いとは今まで知らなかった
電話に出たことがないので(威張っている場合ではない)対応の仕方もままならず、丁寧に相手の言うことを時間をかけて聞いてしまう
要するにわからない、理解できないことが多い
ここまで聞くのかと思うほど微に入り細に入り会社の様子を聞きたがる

相手は見えないわけだから
「担当者がいません」
と言って電話を切る知恵を持った。ところが相手も簡単には引き下がらず
「いつ電話をしたらその担当者はいるのか」
と食い下がる
「おっしゃってるお話の内容は内には当てはまりませんので、電話いただいても無駄です」

リーンリーン
またもや営業電話
「同じような内容のお話が沢山来ます、どのお話も信頼がおけませんので切らしていただきます」

そんなことで、尊い午前中がつぶれてしまう日もある
出ないことにしようと、リンリンなっていても知らんぷりしていたら、携帯にかかってきて仕事の打ち合わせであった

いまは置き電話は営業電話に毒されてしまっているのが現状かもしれない
必要な電話は携帯かスマホに来る

一昔前のようにいきなり訪ねてくる営業方法があったが、今考えると一目で信頼できるかどうかが分かり、その方が安心できたかも

夕方元スタッフが現れたので
「営業電話をどうあしらっていたの?」
と聞いたら
「社長が長期出張でわかりません」
と断っていたのだそうな
りーんりーん
「私出ます」
「何もかも完璧な会社なので何もいりません」
と言ったら向こうがし――ンとしていたと笑っている

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足を洗う

2022年01月20日 07時55分36秒 | 日記
時代劇を見ていると、旅人が宿に着いたら足を洗っている場面が必ず出てくる
道路を歩く長旅で足の汚れと疲れをとる一番いい方法だし、旅人もやっと心からくつろげる時間を得る

整体に行くとまず足を温めマッサージをしてくれる
街には足を洗うお店が方ぼうにある
温泉地に行くと駅で「足湯」に入れるところもある

足は第二の「脳」と近代医学では言われている。この足のツボが人間の体の中で最も大事で、あらゆる臓器と連携している。一時足裏診断という怪しげな占い師がいて、とてつもない料金を取って、足の汚れ具合でその人を占っていた、何かあってしょっ引かれたらしいが、言ってることはきっと正しかったのだろう

足を洗うことで最も有名な場面は新約聖書にある
イエスキリストが明日は自分の命は取られると察して、弟子たちの足を洗う話がある。弟子たちはなぜ「師」が自分の足をあらうのかが理解できない。その質問をする
「このことはあなた方はのちに悟るでしょう」
更に
「洗っているのではなく全身を清めているのだ」
ともいう

自分を裏切ることになる「ユダ」に対しても、イエスキリストはわかっていて彼の足を洗う
ペテロは
「命の続く限り師についていく」
というが
「あなたは朝(とき)を告げる鶏が鳴く前に、私のことを三回知らないというだろう」
と告げながら足を洗う
この弟子たちの足を洗うイエスキリストは、弟子たちがその後神の福音を悟ることを知っていて体中を清めているのだ

中に一人の弟子が
「足だけでなく体全体を洗ってほしい」
とイエスキリストは
「足を洗うことで全体が清まる」

日本には「足を洗う」といって別の自分になったことの証に使うことが在るが、この言葉は結構深い意味があるのだなと今更ながら知る


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日本は共産主義?

2022年01月19日 09時38分50秒 | 日記
みーーんな一緒
みーーんな平等
みーーんな同じ
みーーんなお上の言う通りに生きよう
みーーんな同じ考え

ああーみーーんなみ―ーんな、どうなっちゃったのかしら

心の底では深く深くいろんなことを考えているのだと思うけど、表はみ――んなと一緒をよそっている、それが今の日本人

ひところ勝組負け組という言葉がはやり、勝ち組は意気揚々としていた
その判断はお金、お金をたくさん稼いで、世に名を出した人が勝ち組だった
日本人は、お金の使い方でその人の品性を決めていた。国の宝を作ろうと伝統工芸が美しく輝いた

中国も共産主義国家になるまでは、文化発祥の地として君臨していた時代もある。地球上に文化があふれるのは金を稼いだ人達のお金の使い方によるものだったと

テレビを見ていたら、東京都でコロナに罹った重症の患者が5人だとニュース速報が。なにこれ?東京の人口は1億人余、そのうちの5人が重病、そういう怖いことが起きたから、マスクをしよう、飲食店にはいかないように、パチンコ屋はいいよ、みーーんな「ああ怖い」と集まりにもキャンセルの一報を送る

コロナ騒動の起きる前インフルエンザでひと冬100人以上の方がお亡くなりになっていた。ニュース速報はおろか新聞にも出ない数字であった

一つのことで恐怖をあおり、みんなを同じ方向に向ける政策は見事に功を奏している。電車に乗ればマスクをしてスマホを見ている人がほとんどだから。マスクも白いマスクが圧倒的、時々黒や色付きのレース物などあって個性?を見せているのかな?

人々がマスク姿でスマホに向かっているので、ノーマスクのチャ子ちゃん先生は悠々としていられる。

ぼつぼつご自分の考えを表に表して行動するときが来ていると思うけどなあ

JR東海の「マスクを外そう」というCMができた
人に言われる前に自分で調べるのも日本人っだったのだがーーー





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