「敬天愛人」天を敬い人を愛する、言わずとしれた「西郷隆盛」の言葉
書を習い始めたころ、この字と「和」という文字を徹底して書いた。
かといって書がうまくなったわけではない
敬天愛人、父が好きな言葉でお正月の書初めにはこの言葉が必ず出てきた、そのころは意味も分からず書いていたが、父は「これが日本人の心」と言っていた。
幼いころは父の言葉だと勘違いしていたが、長じて「西郷隆盛」の言葉だと知って、もともと大変なごひいきであった西郷隆盛をますます好きになった
敬愛していた理由は、父が西郷隆盛を好きだったという影響もあるが、生まれて初めて奄美大島に行ったっとき、大島紬がそれぞれの村で独自の柄を織っているということで、まず龍郷村(50年前はまだ村だった)で織れる竜郷柄の取材からはじめた
この村には「西郷隆盛」が4年弱住んでいたところで、島の名家の娘「愛かな」と結婚して機織り上手なカナさんにもアドバイスをしていたという話を聞いた
その頃チャ子ちゃん先生は30代初めで、「男ってやだな正妻がいても、長期間の島暮らしで愛人作るなんてプンプン」と思っていたのだが、それは大間違いで、そのころ西郷さんは初めの奥方とは離婚していたことが、この龍郷村でわかり、ほっとした。(やはりキチンとした男だ!)
そのうえ入水自殺の片割れとして生きていて、大尊敬していた島津斉彬の死後でもあり、傷心の身でこの龍郷村に蟄居していたのだ。その深い傷は、聡明で明るいカナさんによって癒され、島に入って10か月目に結婚一男一女をもうけている(長男はのちに京都市長になる)
そういう穏やかな生活の中で、西郷さんは島の産物の育成にも力を注ぎ、サトウキビ、芭蕉、大島紬、鰹節、銅などの生産の助言などをしている。特に「チコと西郷」という男物の絣柄は、おそらくカナさんと西郷さんの発案でしょうと村の長が話してくれた
細かい男物の絣は今もなお「戸口西郷」「赤尾木西郷」とそれぞれの町名をつけて織られている。西郷柄のもともとの特徴は、亀甲と蚊がすりの並列で、その時案内をしてくださったかたが「最もむつかしい」これからは織れる人がいなくなるかもしれないと心配していた
「敬天愛人」西郷さんの残した教えはこれから更に、私達を導いてくれる気がする