チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

マスクをつけない勇気

2020年07月31日 13時26分16秒 | 日記

細菌博士や免疫の最高権威の学者たちが、現実のコロナウイルスのことについて声を上げ始めた

さすがに説得力のあるデーター付きでの解説

多くの人がマスクは不要というのは感じているが、公にきちんとしたデーターが出ないのでみんな不承不承この暑いのにマスクが唯一予防になると信じさせられて付けている

 

チャ子ちゃん先生はこの2月にコロナウイルスの性格を教えていただいたので

すぐ絹のマスクを作った、医療関係の方が使う除菌マスクは手に入らなかったので、タンパク質で少しでも除菌のできる絹をマスクにした。セリシンがついていないと効果も薄い

 

このマスクはおまけがついていて、呼吸が楽、ほうれい線が上がる、肌の湿度が保たれるという効果も呼んだ

気温が上がると表は麻、口にあたるところは絹の絽と変えていった

みなさまから好評をいただいている

 

それなのにチャ子ちゃん先生はマスクが苦手で付けないことの方が多い

冬は暖かかったけど今はもう全くダメ

 

更にマスクの効果をあらゆる資料を調べて研究した結果「必要なし」と判断

4月からほとんど付けない生活を過ごしている

 

「つけてください」と言われれば素直につけるが

あるところで命令されてマスクをつけたら30分で呼吸困難になり、頭がくらくらしてきた(ここには二度と来るのはよそう)

戦争中かすかに覚えていることが在る

一番上の姉は私より一回りも上なので当時は女学生、制服を着て歩いていたら「モンペをはきなさい」とスカートを下ろされたといってぷんぷん怒って帰ってきた

 

また二番目の姉がお琴の練習に行くので着物を着て町を歩いていたら「この非常時に袖が長すぎる」と言ってはさみで袖を切られたという

大日本帝国婦人会という会に入っている女性たちが街角に立って袖を切ったり、スカートを下ろしたり、お化粧が濃いといって濡れたタオルで顔を拭いたりの作業をやっていたのだと、戦後姉たちが口々に話してくれた

その婦人会に入っていたおばさんたちは近所の人もいて顔見知りなのに、そういう時は顔つきが別人のように権力顔になっていたそうな

 

父は公に「戦争反対」を唱えていた非国民だったので家には毎朝憲兵さんが出勤してきて私の遊び相手をしていた

「憲兵さんは袖の長い着物を着て出ていく姉さんに注意をしなかったの?」

「憲兵さんは父とあなたのお相手で私たちは自分の仕事の対象外」

 

歴史は繰り返すではないけど

みんなが同じ方向を目指すことの方が怖い

違っていて美しい、違っていて楽しい、違っていて和がある 

きっとそういう世の中になる

 

 

 

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着物が繋ぐもの 358

2020年07月30日 17時01分57秒 | 日記

三年目を迎えた桑畑、やっと蚕の飼育が出来るということでうれしいと写真をよこした若い友人

昨年の千葉の二度にわたる台風で桑の苗がすべて流され養蚕をするという夢破れてしまった

田んぼの跡地に植えたために水が湧き出て根こそぎ流れていった

この残念無念の気持ちを察してその跡地を見に行くのをためらっていたが、今日また写真が送られてきた

 

気を取り直し田んぼではなく高台に土地を借りて桑の苗を植えるという、もう一度やり直したいということでアドバイスを求めてきた

運よく桑を育て蚕を飼育し、糸を取り機を織っているSさんがいらしていたので、早速電話をかわる

懇切丁寧なアドバイスはこちらも参考になりうれしくなった

 

桑の種類も前回は一ノ瀬だったが今回は菊葉にしようということになり、その育て方はS氏が直接指導するという話になった。蚕の品種もそこからまたどういう糸を作るかによって考えていこうと

S氏は日本のどっかに一軒だけでも江戸の中期前の糸づくりができる人を残したいと、いつもは人に教えるのはめんどくさいという御仁なのに今日は熱弁をふるっている。若い友人も

「この話を聞くために2000本の桑の苗が流されたのですね、もっといい仕事が出来そうで嬉しいです」

「いいタイミングにご連絡いただいたわね」

元気出してねと応援

 

「劣性三眠蚕はいいですよ」

「小さいでしょう?むっつかしくない?」

「いや強いですよ」

この蚕は2000年の歴史を持つ蚕でずっと東大農学部で育てられていたらしい

それを今10年前からS氏がもらい受け育ていて、いい糸を作っている

チャ子ちゃん先生その糸でできた着物持ってるんだ!(じまん、エッヘン)

 

東京博物館で展示されている着物の生地が江戸中期とそれ以前では全く生地風が違うという感想を話したら、江戸中期以前の糸は縒りがなく糸の質其のものが非常に敏感で美しかったはずで、チャ子ちゃん先生が言う通り江戸中期以降から着物にいろんな加工をするようになって、糸が段々太くなり粗雑になったとS氏は言う

 

だから自分は一貫して江戸中期以前の糸づくりに生涯をかけていると。本当にその通りの生き方をしていらっしゃる

 

図録を見せながら安土桃山や江戸の初期の糸には品格があるわねえと話が尽きない

 

 

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着物が繋ぐもの 357

2020年07月29日 19時16分31秒 | 日記

随分古い話だが(すみません)

お片づけをしてると思いがけないものが出てくるので

沖縄が本土復帰をする前沖縄の染織取材に行った

1ドル360円外国なのでオールドパーなどの洋酒やケントという洋もくを買ってくるようにということでお金を預かってい。たしか手持ち現金の額も決まっていたように思う

 

お酒やたばこは帰りに飛行場で購入すればいいので、取材の傍ら目に珍しい沖縄の染織に心奪われた

まず宮古島に渡った

そこで見たものは「人頭税」という石、立つと私の肩ぐらいの高さ、その写真が出てきて一気にその時の様子がよみがえった。その石の背丈を越したら税金を納めなければならない決まり

貧しい人は税金を払えないので足を切ったそうだ。当時は「いざり」という足の短い人がいて不思議に思ったけど、訪ねるのに気が引けて黙っていたら、案内の人がそう教えてくれた

納める相手はどこかと言えば「薩摩藩」さらに宮古上布の工房に行き宮古上布の歴史を聞いた

その時には残っていた織人たちの工場があって、明かりは天井からで電気はない。そこで女たちは薩摩藩の警備の人たちにせかされながら布を織った。しかも天保銭の穴に織りあがった反物が通らないと、罰を与えられたという

そのうえ名前は「薩摩上布」と名付けられていた

 

その話に怒り狂ったチャ子ちゃん先生せめて自分の原稿には「宮古上布」とすると案内の方に固く約束をした

帰って原稿を書いた時お約束通り「宮古上布」と書き進めたら校正から赤で「薩摩上布」と書き換えてくる、その攻防を何回か繰り返したのち、校閲部に行って事の次第を延々演説。ついに「宮古上布」となったが、本が出てからが大変、注意電話が引きも切らず、電話口で縷々説明しても「薩摩上布」というブランドを、こんな小娘に替えられてなるもかと業界の人たちも必死、会社は逆に応援してくれたのだろう細かいことは忘れたが、その時の校閲の人が、電話口に出ている私の肩をポンとたたき、置メモ「がんばれ応援してるよ」。よほど嬉しかったのだろうこのメモも、人頭税の写真と一緒に残っていた

 

琉球絣や芭蕉布、久米島紬、紅型と取材を重ねていくうち、不思議に思ったのが燕の柄、どの着物にも登場をしている、聞くと「海洋に出る男たちを燕になって見守っている」という意味なのっだと教えられ、沖縄の染織が一気に好きになり、預かったお金も染織購入へまっしぐら

帰ってからごめんごめんと謝りながら沖縄での取材模様を話して聞かせ勘弁してもらった

 

最近は妥当しないが、その時長老に聞いた琉球絣の燕は、布の幅に燕が何羽いるかで年齢が分かったそうだ。

だから地色もその年齢に合わせていた

ああー

まだまだいろいろ思い出したわ

 

 

 

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着物が繋ぐもの 356

2020年07月28日 18時05分15秒 | 日記

今日は着せる科の10回目

マンツーマンなので進み方も早い

すでに振り袖や留め袖などを着せるお仕事をしていらっしゃるのでブラッシュアップという感覚か

 

チャ子ちゃん先生が30代で作った本が今読み返してみても一番親切で丁寧

結局本を作りながら自分自身も一緒に勉強をするので微に入り細に入り撮影をし解説をつけている

そういう本を教科書にしながら話を進めるとお相手もわかりやすじぶんがわかりやすいようだ

 

何かわかってくると初歩がめんどくさくなってくる

初歩こそ大切なのだがそれがなおざりになってくるのだ

 

これ殻の時代はわからないことをうやむやにせずわかろうという姿勢は大事だと思う

着物の着付けのレッスンはしばらくやっていなかったけど

一緒になって考えることがいかに大切かを教えてもらう

 

まだお嫁に行かない資料の中で懸命に調べて書いたものが今日の授業に役立った、其の本の100%私が取材して書いたにもかかわらず、名前は当時有名だった着物評論家の監修という形で世に出た

悔しいと思った

しかし今、それを読み返してみると、現場の様子が思い出され、そういう臨場感でお話ができるるので、聞いてる方の目はらんらんと光る

こういうチャンスが与えられていたことに心から感謝

 

またある月刊誌に企画を出し、てっきり私がそのページを私の名前でつくると思ったら、やはり著名な方の名前になり、一年の企画を真面目に務めたけど、どこか悔しい思いがあった

しかし現場にはいつも私が行って取材をしたので、そこの方たちとのご縁はいまだに続く

悔しい思いをしたけどそれは一時のことで、その仕事は全部自分の物になっている

名前は出なかったけどそれ以上の勲章はいただけた

 

その雑誌の企画も今日の授業に役立った

なんと幸せ者だろうと思う

 

ある著名な流行作家の取材記者をしたことが在る。新宿の二丁目や吉原に取材に行ったのだ

事細かに取材をして特に話し言葉や仕草、着物の色や柄の説明、同じ遊女でも上下制度があることなどを原稿用紙に細かく書いて渡したら「しばらく僕の取材記者をしないか」と言われた

何か裏仕事をすることに嫌気がさしていた。お金にはなるアルバイト一回で十分と思った。でもその取材の仕方が後々大イに役立った

私が署名原稿にこだわったのは、両親の反対を押し切ってこういう仕事をしていたので「安心してきちんとした仕事をしているから」というメッセージを送りたいと思っていたから

 

誰かに認めてもらいたいという相手は両親

 

「母の着物です」と誇らしく嬉しそうに説明する生徒さんを美しいと思った

 

 

 

 

 

 

 

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声楽の発声と着付けの骨の動かし方

2020年07月24日 09時09分18秒 | 日記

今声楽のレッスンをさぼっている

55歳の時、その当時社会の定年が55歳で、上皇陛下が即位したのも55歳、妹君が「お兄様は社会の男性が一線を退きゆったりとした生活に入るのに、これからが本番人生で大変だと思う」とおっしゃったので、「そうか55歳で何か挑戦しよう」と思い立ち、声を出すのが好きだったので声楽を志した

 

そのころチャ子ちゃん先生のマネージャーがママさんコーラスをやっていて、指導の先生は芸大出身のバリバリというので個人レッスンという形で紹介してもらった

 

初めて伺ったら

「素人に教えたことがないので、声を出したかったらコーラスの方へどうぞ」

「コーラスはやりたくないのです。声楽を教わりたい」

聞くと音楽学校の受験生のための指導、また二期会に入っている人たちの指導、更に有名劇団の人たちの歌唱指導ということで、ここでしり込みしないところが図々しいチャ子ちゃん先生

決して声に自信があるわけではない、「頭の中は55歳で挑戦!」という考えに酔いしいれているだけ

 

ご夫妻ともに芸大出身で男先生はテノール(帆足卓也)、女先生はソプラノ(山城道子)

女先生がコーラス指導をしていらしてクリスチャンで教会の音楽指導も行っている優しい方、ニコニコ笑いながらお茶だお菓子だともてなしてくださる(しかし本番の時は厳しくチェック)

 

「先生は高校生の時藤沼先生(大分の音楽家はほとんどこの先生に教わっている)に師事されたのですよね、そして芸大に優秀な成績で合格されたとお聞きしています。実は私も高校で音楽担当が藤沼先生でした」

「じゃあ大分上野が丘高校の出身なの?」

「ハイ、ピアノは辛島先生に教わりました」

「えっそう、辛島先生の次男辛島先生は芸大の教授だよ」

 

というわけで「声を出して見ますか」というところまでこぎつけ

「声は小さいし響きもないけど音程が確かなので少しずつやってみようかね」

と入門許可

発声がこんなに気持ちのいいものとは思わなかった、普通の発声から、寝て発声、かがんで発声、腰をおって発声、後ろ向いて発声、それからエチュードをながながとやりやっと歌に入る

その間体の骨の位置、頭蓋骨のどこに声を響かせるかなど等、背筋を伸ばしてお腹を引っ込め横隔膜を広げる、横隔膜を

広げるのは肩甲骨を開く

「先生この骨の使い方着物の着付けと一緒ですよ」

嬉しい発見

 

そして初めての発表会に「芭蕉布」と「待ちぼうけ」を歌うことになり

「そうだ芭蕉布の着物を着て歌おう」

知り合いやスタッフを総動員して会場に来てもらった

無知のこわさ、私以外はプロかセミプロ、プロに向けて勉強中の方ばかり

聴けば聞くほど恥ずかしく身の置き場もない

 

プリマをはじめ皆さん優しく「お着物で歌うっていい姿だったわよ」と声をかけてくれる

それ以来発表会は着物で歌っている、だってほかに見せ場がないもの、着物に感謝!

 

「素人に教えるのはいろんな発見があって面白い」

と男先生、それ以来素人にも門戸が開かれている

 

 

 

 

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子連れ狼

2020年07月23日 16時12分41秒 | 日記

今日の新宿は降ったりやんだりのお天気

冷房が苦手なのでこういう日はありがたい

チャ子ちゃん先生の夢をかなえてくださった橋本尚さんに感謝しつつ本の整理に明け暮れる

田中清子(元秋桜舎の経理で小姑ちゃん)が全面的に手伝ってくれて本当にありがたい

彼女こそが54年私をずっとそばで見続けてくれた人なので本の間から出てくる手紙や写真を見ながら話が尽きない

 

26日に引っ越しのサカイに頼んだ橋本さんの配慮で本は私どもが段ボールに詰めなくてもいい

渡す本と残す本、処分する本の山を三つ作ればいいので気が軽い

 

その中から「子連れ狼」全巻が出てきてしばし手が止まる

「これは処分だわね?」

「いやー図書室というのはいろんなジャンルの方がいらっしゃるのだから渡す方に入れましょう」

「いやーだナカタニサンはこんな本読んでいたんだわと思われるじゃあないの」

「読んでいたんだからいいでしょう?事実だもの、手に取る人いますよきっと」

「うん分かった」

 

小池一雄作、小島剛夕画の「子連れ狼」

この劇画をみて武士の世界をもと知りたいと思ったのは確か、武士の作法にも興味を持った。男の縦社会の美学も面白かった。そして着物の扉をまた一つ開いて男の着物のあれこれに突き進んでいった。いい意味でお師匠さんだったのだ

 

「キャッ初恋の人の本が出てきた!」

「なになに?大津皇子?」

「私の男の原点よ」

とまたもや延々と大津皇子がいかに素晴らしい人間であったかを得々と話して聞かせる。田中は昔から聞き上手だった。彼女には鼻膨らまして自慢話もする

これもまた大津皇子から持統天皇、天武天皇、天智天皇とさかのぼり聖徳太子の冠位十二階にたどり着いて、日本の色彩や飛鳥奈良時代の「美」に至り、そこを深く掘り下げる扉を開けて、飛鳥時代をうろうろしている時「風水」に出会った。この時代を深く研究したことで、今回の「アラタエ、ニギタエ」の原稿が書けたと思う

 

現在はスマホ一つで検索すればどこの扉も明けてもらえて知識が増えるけど、チャ子ちゃん先生の世代は重い扉をみんな必死で開けていたんだと思う

 

また本を書く人も編集者もみんな現場取材でそれぞれの立場で深く掘り下げ書いていた人達だったのだ。だから落丁していても中身は素晴らしいのでなかなか処分の山が高くならない

 

橋本さんは「処分などせず全部持っていきますよ、それだけ読みたい本がいっぱいありますから」とおっしゃってくださったけどーーー

明日は事務所の本の区分けだ

 

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着物が繋ぐもの 355

2020年07月22日 11時01分30秒 | 日記

最近母親や祖母、叔母,伯母さんたちの残した着物をどう生かそうかという相談が多い

この世代の方々は普段着とよそ行き着というのをきちんと分けていて

残っているのはほとんどよそ行き着、普段着はとことん来て擦れて破れて最後は小物や雑巾になっている

さて残った余所行きの着物と帯

現代の人たちと生活様式が違うので、そのよそ行き着も、訪問服、礼装、式服に分けられる

 

彼女たちの時代は街中はまだ土の上を歩いていたし、家々も木造の物が多い、緑もたくさんある

行く先も畳があり、床の間があり、庭が広がっている

そういうところに座る姿は周囲の雰囲気を壊さないようにという想いか、鼠色の着物が主役になっている

鼠色といっても100色はあるので、一概に地味だとは言えない

洋服から入る人たちにとってこの鼠色は料理をしやすい

ところが柄が純日本風で富士山であったり鳥獣戯画であったり名画の写しが多い、それが友禅で表現されている、刺繍、織、絞りなどの技術が駆使されていてなかなか見ごたえはある

 

何を言いたいか

ビルばかりのメタリックな街中

庭などの空間はなく木の香りのない部屋そういうところに入るといかんせん華やかさに欠けるのだ

「着物は洋服に勝る」という言葉をよく聞くが決してそうは思わない。超ブランドのオートクチュールやインドのサリーのゴージャスさに圧倒されてしまうこともある

それは着る場所との対応の仕方、選択を誤るときそうなる

 

残された着物の活用は今の生活の中で着物を生かす方法さえ考えれば世界一の絹の力を発揮できる

着物は染め替えが出来る

足りない場所に新たに友禅をしたり刺繍や絞りを施しゴージャスに変身できる

 

残された着物をそのまま着ようとするからむつかしい

手間にお金がかかるけど素材を生かし、元の柄をさらに引き立てる技術はまだ職人に残されている

この職人の技術こそ世界に類を見ない腕と感性の力

 

着物を洋服にということも流行している

もともと洋服用に作られていないのだから無理がある、40センチ足らずの幅では、バイヤスもできずスタイルも決まってしまう。素敵に着ていらっしゃる方もいるが、モデル並みの着こなし上手な方たちだ

平面のまま使えばいい、カーテンやシーツ、またはざっくりした家庭用ワンピース

 

譲られた着物でお悩みの方は「世界一の絹を生かそう」という一点だけで追えば必ず道はできると思う

 

 

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着物が繋ぐもの 354

2020年07月20日 17時38分48秒 | 日記

ここえ来て着物が売れ始めているみたい

販売会をしてお客様が多くなっているという情報

しかもお買い上げ額も目標を超えているところもある

 

そういうお店を見ると

やはりお客様本位のおもてなし

長い自粛で誰かとどこかで会いたいけど、一番気が置けないのが着物のある場所

 

着物ってそういう心のよりどころになっていることが多い

着物をどう着るかとか

着物をどんな場所に着ていくのか

着物の組み合わせはどうなのか

そんなことどうでもよくて着物を触りながら

着物に手を通してみながら

みんなであれイイこれいいとはしゃいでいるのが楽しい

 

本来の着物の販売に戻ったのかもしれない

「売らなければ」という切羽詰まった波動がお客様を遠ざけていたのだから

 

「久しぶりですね」「お元気でなにより」という嬉しい和やかな波動がいい

着物は必要だから購入するというのはわずかな人

気に入ったからという着物との出会いが購入の動機になる

 

着物を着るのはおっくうだという人はもう着なくてもいい

着物を着たいわと思う人が着ればいいそうすると着姿も喜びがあふれていてその人が美しく見える

 

ある著名な方が

「これからは天変地異がいつ起きるかもしれない、そういうつもりで日々暮らすことが大事、そのためには着るものは動きやすく、靴はスニーカーがよい、いざという時どこでも坐れて走れる格好でないとね」

とおっしゃっていた

この方は戦争中のことを思い出しているのだろうなと思う

 

チャ子ちゃん先生は違う

人は必ず死ぬ、その日のために自分自身をいつも素敵にしておきたい

自然災害に備えて生きるのではなく、自然とともに楽しく生きることを考えた生活をして、自然災害の起きない世の中にしていくという生き方の方を選ぶ

 

どちらがいいということではなく私はそういう生き方が好き

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誕生日

2020年07月18日 09時15分13秒 | 日記

誕生日なのだ

かに座は繊細で傷つきやすいそうだ(うっふっ)

ここ10年かに座は恵まれない日々で苦しいことのみ多い日々だったようだ(そうだそうだ)

 

それはともかく

ノー天気だからいつも楽しい。楽しいことを見つける天才だと思っている

それは日本人だから、日本人の全員が楽しいことが好き、神代の時代から「あなたのし」「あなうれし」「あなおかし」と踊ってきたんだもの、それがまた天も喜ぶから、豊作豊作、命を尊んできたから豊作、災害が在ったら「自分のどこがいけなかったか」と反省しなおすだから豊作、天変地異が起こると時の施政者つまり天皇様だが「朕の心掛けが悪かった!」と自らを清められ、天に詫びる。その姿を見た民たちもおのが身の不徳を恥じて自然を尊ぶ生活に戻るだからまた豊作

 

こんな国ないのだわ

今はあまりにもみんな自己中になってるけど、遺伝子は生きているので日本は滅びない、滅ばせてはいけないそれは地球のためにならないから、だって地球はパラダイスだもの、宇宙全体の憩いの星だよ

敗戦を経験し、バブルを経験し、今全世界襲ってるコロナも経験、みんな夢の跡かたのように実体がない

あると思えばありないと思えばない、通り過ぎればみんな一瞬。その現象に一喜一憂せず、昔の施政者のごとく「朕の生き方のどこが間違っていたのか」を検証したほうが魂の成長になる

 

このコロナの陰に大掃除がされていることを私たちは感じたほうがいいと思う

何の大掃除かと言えば「嘘を片付け消滅させている現実」

日本人が持っている「霊性」を思い出せばそこに品格が生まれるので、その品格から世界を見ることも必要かも

 

チャ子ちゃん先生地球にいる時間が短くなってしまった。やっと目覚めた使命を遂行して花火のごとく消えていきたいと思う

 

さあ今日は仲間が寄り集まり楽しい一日になりそうだ

午後からは雨も上がりガーデンライブもできそう

皆さんにと出雲小田温泉の女将さんからおいしいブドウも届いた

シャンパンも年代物の梅酒もある

さーーさささやりましょうぜ

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着物が繋ぐもの 353

2020年07月17日 08時24分02秒 | 日記

東京は寒い日が続いている

農業の方たちは野菜の生育が心配でしょう

さて昨日、着物選びに苦慮した、初めてのことだけど三回も着替えてしまった

昨日も寒かった

そのためまず「今日は単衣だね」と単衣綸子に迷わず手を通したところ「あつい」なんだか肌にねっとりとまとわりつく布をうっとうしいと感じた

あわてて今度は「絹縮」を取り出しこれならいいだろうと肩に羽織ったらべとついた感じ

ええーと今度は「立て絽」を身に付ける、肌が「良し」という

帯は紗は寒く絽縮緬にするとこれたきものが「良し」という

 

こんな感じは着物を長く着ているのに初めて

つまり頭が気温で着物を選んだのだけど肌はそれについてこないということ

それは梅雨の気温はいくら低くても湿気があるということを忘れていたのだ

乾燥したときの20度と湿気のある時の20度は絶対に肌感覚が違う

そういうことも計算された立て絽だったり絽縮緬だったりするのかと先人たちの知恵に深く驚く

下着はすべて夏の薄物

 

そして昨日は若い大学生のお嬢さんたちと一緒に歩くのだから、彼女たちが着物に興味を持ってくれるように、という気持ちも動き、単衣も絹縮も着物は宇宙柄でUFOなどが飛んでいたり、星がきらめいているものにしたのだが肌が許さなかった

そして立て絽は明るいグレーの地色に白の大小あられというシンプルなもの、いつもは抱月百合の絽縮緬帯を合わせているが、そのお嬢さんたちを意識してお太鼓が海原、前がいるかの柄の絽縮緬にした

これがよかった

着物を画一的なものと感じていたのに「こんな面白い柄を帯にしてもいいんですね」と彼女たちの心が着物にぐっと近づいた一日だった(作戦成功!いるかちゃんおおきに)

 

着物の柄は自由に描くことが出来るので楽しい、形が一定なので色や柄で個性が出せるので面白いわよと彼女たちの氣をそそる

着物の値段のありようを論文にするのだが、彼女たちが着物に対する関心度が高くなり、個人の欲求も入って質問に幅が出てくる。そうすると質問を受けている店主の舌も滑らかになり、通常聞けない値段のからくりにまで話が及ぶ

着物を見たいという彼女たちの希望(ほとんど個人欲求だね)もあり

夏の着物のコーデいネートに入って現実に値段が示されると目つきがきらめいてくる

 

帰りの道すがら「あの値段で着物を着られるのなら、ちょっと頑張れば私にも着物が買えるかもしれない」と頬を紅潮さいる。可愛い(しめしめ)

「さあ着物に愛をもって論文書きあげてね」

「ハイ 今日は本当にありがとうございました」と満面の笑で美しいお辞儀をして去って行った

「幸せなひとときをありがとう」と後ろ姿につぶやいたチャ子ちゃん先生

 

 

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