細菌博士や免疫の最高権威の学者たちが、現実のコロナウイルスのことについて声を上げ始めた
さすがに説得力のあるデーター付きでの解説
多くの人がマスクは不要というのは感じているが、公にきちんとしたデーターが出ないのでみんな不承不承この暑いのにマスクが唯一予防になると信じさせられて付けている
チャ子ちゃん先生はこの2月にコロナウイルスの性格を教えていただいたので
すぐ絹のマスクを作った、医療関係の方が使う除菌マスクは手に入らなかったので、タンパク質で少しでも除菌のできる絹をマスクにした。セリシンがついていないと効果も薄い
このマスクはおまけがついていて、呼吸が楽、ほうれい線が上がる、肌の湿度が保たれるという効果も呼んだ
気温が上がると表は麻、口にあたるところは絹の絽と変えていった
みなさまから好評をいただいている
それなのにチャ子ちゃん先生はマスクが苦手で付けないことの方が多い
冬は暖かかったけど今はもう全くダメ
更にマスクの効果をあらゆる資料を調べて研究した結果「必要なし」と判断
4月からほとんど付けない生活を過ごしている
「つけてください」と言われれば素直につけるが
あるところで命令されてマスクをつけたら30分で呼吸困難になり、頭がくらくらしてきた(ここには二度と来るのはよそう)
戦争中かすかに覚えていることが在る
一番上の姉は私より一回りも上なので当時は女学生、制服を着て歩いていたら「モンペをはきなさい」とスカートを下ろされたといってぷんぷん怒って帰ってきた
また二番目の姉がお琴の練習に行くので着物を着て町を歩いていたら「この非常時に袖が長すぎる」と言ってはさみで袖を切られたという
大日本帝国婦人会という会に入っている女性たちが街角に立って袖を切ったり、スカートを下ろしたり、お化粧が濃いといって濡れたタオルで顔を拭いたりの作業をやっていたのだと、戦後姉たちが口々に話してくれた
その婦人会に入っていたおばさんたちは近所の人もいて顔見知りなのに、そういう時は顔つきが別人のように権力顔になっていたそうな
父は公に「戦争反対」を唱えていた非国民だったので家には毎朝憲兵さんが出勤してきて私の遊び相手をしていた
「憲兵さんは袖の長い着物を着て出ていく姉さんに注意をしなかったの?」
「憲兵さんは父とあなたのお相手で私たちは自分の仕事の対象外」
歴史は繰り返すではないけど
みんなが同じ方向を目指すことの方が怖い
違っていて美しい、違っていて楽しい、違っていて和がある
きっとそういう世の中になる