チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

あの日あの時

2011年05月31日 11時20分33秒 | 日記
今考えれば「あの時」---
大切なカード入れを落とした
しかもしかも5000円のチャージをしたばかり
「面倒だから1万円のチャージにしようかな」
と思ったのだが
「もし落としたりしたら」--と考えて5000円
その「もし」を呼び寄せてしまった

更にもっと高価なお宝も入っていて
その上カード入れが中身よりも何倍もする代物
ああーー

いつも帯の中に入れてさっと取り出せるようにしている
ところがそのとき
バスに乗りカードを使って
椅子に座ったとき
どういうわけかハンドバックの中にわざわざ入れたーーー

と思いきや
外側に入れたらしい
そのとき着ていたきものは「塩漬け」のきもので
実にすべりが良い
音もなく滑り落ちたというわけ

2日間そのカードを使うこともなく
なくなったことには気がつかなかった

しょっく!
そのお宝とカード入れ

チャコちゃん先生はよく物を落とすので
出来るだけ高級なものを持つことにしている
そうすると
「大切に扱おう」
という気持ちが生じるから前よりは物を落とさなくなってはいる

しかしやっちゃった!
バス会社にセキドガ問い合わせてくれたがでていない

その一週間前頭をいやというほど机の角にぶっつけた
季節外れの花火を見たワイ

これはどういうお知らせ?
きっともっと俯瞰して物事を見なさいということだろう

そして今回は
きちんと落ち着いて足元をしっかり見なさい
足元頭
地に足つけて心落ち着かせなさい

ということだろうと自分自身に言い聞かせる

拾った人はきっと助かるわ
お役に立てればそれも良し

カード入れは10年使っていた、肌の一部だね
エルメスのじゃよ
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体験

2011年05月30日 16時51分07秒 | 日記
同じ体験は二度と持ち得ない
今体験が日本の財産になっていると思う
昨日菓子作りのTさんがいらして
「家内とうまくいかなくなって別に部屋を借りるのもお金がないので」
事務所で「寝袋」に寝て過しているという

「この時期この体験は本当に貴重だと今ビックリしているんですよ」
彼は世の中がどう変化しようが
寝袋の中でちゃんと眠ることが出来る体験をした
と胸を張る(なんだかーー)
「そういう風に思えることに感謝です。彼女に」

食事も玄米と昆布をたくさん入れた漬物でまかなっている
「ねえ昆布をたくさん食べるとヨウ素体内の中で育てられるんですよ」
このヨウ素が放射能を防ぐことにもなるのだから

どこで聞いていらしたのか
「日本人以外の人種は腸にヨウ素をとどめることが出来ずに体外に出してしまうらしいですよ」
日本人は特別な国民で今回の災害も其れを乗り越えて
さらにいい世の中にするための先鞭をしているのだという

「うちの親父くらいの年配者ー昭和7年生まれー」
この年代の人がもっともっと自分の体験を話すべきだと思うとも
「何もしゃべらないで生きることに積極的ではなく車椅子生活に甘んじている」
「どうなさったらいいわけ?」
「バンバンリハビリして社会に焼く立つことを考えて欲しいですよ」
其れがすっかり病気に逃げているように思うのだと

「しかしねえその年代の男の方は世の中の価値観が全くひっくり返った少年時代を体験しているので、それでも一生懸命頑張って日本国を立て直し、もう疲れ果てているのではないかしら」
「そういう体験を今こそ次の世代に話すべきなんですよ」
「あなたがいろいろとお聞きになったらいいでしょう?」
「ああそうですね、今まで何も聞かなかった、あそうですね」

それぞれの体験が今後の日本に役立つ
遠くのボランテイアもいいけど
近くの昭和一桁生まれの人たちの体験にこそ
耳を傾けるべきだと思う

日本人が日本国のために「がんばろう」と躍起になった人たちは
昭和一桁生まれの方々ではないかしら
何もかもなくなりどの方向を向いてよいかわからないとき
一筋の光は彼らにとってやはり天皇陛下の存在であったのではないだろうか

今上天皇陛下もそのことが良くお分かりなので
あのように真摯な態度で被災者と接していらしたのだと思う

そういう話を大雨の中で進めていたら
彼の顔がドンドン明るくなった

彼は悩みの中にいたのだろう
「何か足りないお味ですよね」と加奈子のオナマ
持参なさった和菓子の味がいまひとつ

今日からはきっといい味だ
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比佐子つれづれ

2011年05月28日 17時21分00秒 | 日記
今年の比佐子つれづれは
「きものってなあーに?」
をテーマにしている

先ず初回は出席者に
「どうしてきものを着たいの?」
という質問からはじめた
皆さんそれぞれ色んな意見があってとても面白かった
詳しくはフリーペーパーの比佐子つれづれに載せているので
そちらをご覧戴くとして

その後は
足袋を履く、湯文字をつける、長襦袢と基本から一つ一つを解剖している
今日は
今私達が着ているきものの形はいつからなのだろうか?
というところにフオーカスした

幸いバブル絶頂期の頃
或る企業の仕事で古代から現代までの衣装を写真に撮ったので
その資料を中心にしてお話ができた

考えたら日本の衣装は奈良時代から平安に移って
がらりと形が変わっている
奈良時代は洋服のようにズボンやブラウスを着る二部式や
今は妊婦さんが着るようなストンとしたワンピース形

しかし平安時代に入ると今のようなきものの形となり
何枚も何枚も重ねて着るようになる
男はやんごとなき方たちより武士のお洒落がお見事!
大紋だ、素襖だ、狩衣だ、指貫だなどなどもう山ほどの衣装が並ぶ

戦時に華やかな陣羽織までつけて
なんとなんとお洒落なのだろうか
戦もこのように衣服改めましてといういでたちだと
戦意はどうだったのだろうか

そんなことを話題にしながら話は進む
何のことはない
今着ている女の衣装のほとんどは男の常用着

更に庶民のカッコいい衣装は手を変えて武士の衣に生まれ変わったり
明治以前の日本の男たちは装うことがかくも好きだったのかと驚く

アア其れなのに
またも話題にするが
花嫁の婚礼衣装
花嫁は武家夫人の打ち掛け姿
男は町人の紋付
これじゃあ結婚する前から男は家来じゃあないの

せめて肩衣に袴を着ければ少しは格もでようというもの

日本の衣装は
それぞれの階級や職業によって着るものが違ったので
なぜそうなのかを追求すると
日本と日本人の思考が見えてきて面白い

ほんとうにきものはいろんなことを教えてくれる

今日はまた昔ポーラと呼んだシルクウールの段絽織りの
渋いきものをお召しになった方がいて
それは紳士ものだが
昔の人は着るということをとても楽しんだのだなあ
とつくづく思った

冷たい雨なのに大勢いらしていただき感謝
次回は6月26日
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悪を抱き参らせ

2011年05月27日 09時52分16秒 | 日記
ひふみ神事にはよく「悪を抱き参らせ」という言葉が出てくる

気に入らない人を切り捨てるのではなく
その人の良さをともに育てていく
そうすると何倍かの力になり
世の中に無駄な争いのエネルギーがなくなっていく

チャコちゃん先生はこの「悪を抱き参らせる」
という言葉が好き
「悪」を「いやな人」「敵」とかにかえてもいい

小沢一郎さんと渡辺恒三さんの合同誕生会が三年ぶりにあり
その世話人をかの前原誠司さんがなさったとかで
いろんなことを言う方も多いが
時代は
「抱き参らせ」
ということだと思う

「国民の生活が第一」といって政権をとった党なのだから
小沢さんはその一点に向けて生きていらっしゃる
だったらどんな方向に向かった人でも
また原点に戻ろうという気があれば
一緒にやってくれれば国民のためになる

一般的にも
「あの人気に入らないから」
と簡単に絶縁してしまう人がいる
チャコちゃん先生は
相手がチャコちゃん先生を切らない限り
自分からは決して人を切らない
これは物心付いたときからの性癖でも合ったようだ
縁が自然に遠のいていくのは別

「友とは淡く交わり深く思いやる」

小沢追放の急先鋒の二人が
小沢さんに向けて言いたい放題攻撃していたことを
小沢さんは「其れをシカと聞いていた」と笑いながら話したという

この方は「抱き参らせたもう」ということが身に付いているのだろう
じっと道が整うのを待っているのは
攻撃する人よりもっと深く人生を考える人だ

政治家は国民を幸せにして何ぼのもの
これを機会に表題どおり
「国民の生活が第一」となって欲しい


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EM液

2011年05月25日 12時53分58秒 | 日記
EM液を使って野菜を作っている千葉の須藤さん
今日からお目見え
3月に入ると須藤さんの家の近くの櫻が美しく
其れを見物にいらっしゃる人が多くて野菜売りは3ヶ月お休み

「地震で大変だったでしょう?」
「うん凄く揺れたよ」
「櫻は?」
「其れが50年世話をしていて今年の櫻が一番美しかった」
「見物客はおおよろこびでしょう?」
「そういつもの倍近くのお客さんだったね」

櫻は暗い世の中に明るく咲いて人を慰めてくれたんだと思う
と須藤さんはしみじみ話す
「EM液も効いたんでしょうねえ」

カナコ
「うちも今年は薔薇が異常に美しいから少しくらいの放射能は花を美しくするのかしら」とつぶやく
「あほーー」
「うちの薔薇も櫻もEMです」
と言い張るチャコちゃん先生

須藤さんの持ってくる野菜は新鮮であるのはもちろんだが
命が通っている感じで甘くて美味しい
特に葉っぱ物は生でも食べられる

「EMが地球を救う」
という本を読んだのは今から20年以上も前
そのころサンマーク出版という出版社は
地球環境問題や精神世界、成功の法則などの本を次々に出版していて
新刊が出るとjRの窓に小さく宣伝をしていた

著者は当時琉球大学の教授比嘉先生
悪玉菌の中に善玉菌を入れると全部が善玉菌に変化する
その善玉菌を発明し土の改良を提案した先生だ

チャコちゃん先生すぐサンマーク出版の編集長に電話をし
比嘉先生を紹介して欲しいと頼んだ
きものの染料が有害だといわれ川に流すことが禁止されていた
その川にEM液を流せば川がきれいになると思ったのだ

比嘉先生は北海道から沖縄に帰る途中羽田でお会いしましょう
とおしゃって下さって一時間の待ち時間を有効に取材させていただいた

ともかく自分で体験した方が良いので
すぐにEM液を作り始めた
生ゴミを全部再生できるのでこんな素晴らしいものはない
しかしぬかみそのように発酵をさせるので強烈な匂いだ

それでもその液は何者にも勝って素晴らしい
どうしてこんなにいいものが普及しないのかと一人運動をしたこともある

ところが今須藤さんのお話によると
3・11以降EMに光が当たってきたそうだ
被災地では匂いのきついところにこの液を撒いて消臭したり
飲み水の中にほんの一滴たらして飲むと一気に疲れが取れる
また放射線汚染の強い土地にこの液を撒いたところ
何の問題もない土地になった

まさしく「EMは地球を救う」

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真実

2011年05月24日 09時32分33秒 | 日記
真実を知りたい
真実がわかると対処のしかたも出来る
人の噂に右往左往したくない

今多くの人が感じている原発の真実
「危ない、あぶない」
と不安をあおる人
「もう危険は去った福島の野菜食べても大丈夫」
と安心感を与える人
「かなり不安定だけど今必死の作業で押さえている」
だから余り神経質にならないで

何が真実なのか
危険なのか安心なのか

立ち入り禁止の20キロ以内は一体今後どうするのか
その21キロ附近に事務所を開いた人が居る
かの副島隆彦氏、6月の初旬に事務所開きをして
福島産の野菜や肉で大パーテイを開くという

そういえば4月そうそう鳥越俊太郎さんも福島原発一号機の正門まで行き
放射能の値が低いことを証明していた
しかも8キロ界隈の民家をたずねまわったりもして

自らの行動で
「安心」を示してくれると
「安心なんだな」
と思うけど
その地域に住んではいけないという命令が出ると
「どっちが正しいの?」

帰るところもなく、仕事も出来なくて
どんな気持ちで日々暮らしているかと思うと胸が痛む

友人の家に福島の20キロ以内の家族が二組いらしている
老後を過そうと終の住処をその地に建ててまだ一年にもなっていない
こちらのご夫婦は年金生活に入っているので
仕事を探す必要もないはずだったが
家がないとなると家賃を稼がなければならないだろう

もう一組は若夫婦で早速仕事探しに毎日ハローワークに通っている
「掃除でも買い物でもなんでもしますから」
東京でもお手伝いさんにお金を払う家庭が少なくなっている
何十年もお手伝いさんを雇っていた友人宅も
4月から
「もう1人で何もかもすることにした」

日本中がこういうしんみりした状態になっていく
足元を観るいい機会を得たことでもあるがーー

真実を知りたい
真実は本来美しいし自然だ
そうすると今後の自分の立ち居地もハッキリする
その上での日常は落ち着きが出るであろう

今は命あることにひたすら感謝し
自然を見つめながら
月や星の動きにも気を配ろう
そうするとこれから起きる様々なことも解るかも知れない
人間は小宇宙といわれているもの
宇宙の動きを知ることも
人間を理解することに役立つ

とにかく早寝早起きできちんと一日を過すことにする
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きもの365日

2011年05月23日 16時52分17秒 | 日記
3月11日以降チャコちゃん先生は
大特急で日本を取り戻す作業を始めた

20代は日本を軽蔑していた
日本の文化を野暮くさいと思った
日本人を絵に描いたような母をうざったいと思った

母の作るお惣菜を田舎くさいと思った
母が着物姿で歩く姿を古いと思った
そういう思いが和事のお稽古を拒否しピアノへ

映画も音楽も読書も着るもの全て和物を遠ざけて
母を悲しませた
トウゼン親の大反対の出版社への就職、そして結婚

しかし30代に入り思いがけないえにしが
チャコちゃん先生をきものへと引っ張っていく

きものを通して様々な日本の文化を教わった
きものをより深く知ろうとすると
日本の歴史、思想、哲学更に美学、占術、科学まで
生きとし生けるもの全てをきものが持っていることを知った

まだアメリカが日本の教育にあまり関わらない時代の1947年から10年間ぐらい
そのときに小学校や中学校、高校で教わった
日本史や美術、国語、理科などが
きものを知る上でとても役立った
いい時代に大切な基礎教育を受けられたと感謝している

きものの色を考えるとき
万葉集や平安文学が参考になる
きものの柄の意味を知りたいとき
古事記や日本書紀が外せない
糸繰りや織りを深く知ろうと思うと
明治維新で富国強兵を進めた政府の思惑を知ることになる

きものの形を突き詰めると
古典芸能は絶対に外せない
更に立ち居振る舞いをマスターしようとすると
武芸の基本を知らなければならない

こうしてきものを研究し始めたら
日本という国の奥深さに驚嘆するし
全世界に誇れる民族であることもわかる

3.11以来
この素晴らしい日本をもっともっと誇りに思って欲しくて
どうしたらそのお役の一端でも出来るかを考えた

チャコちゃん先生は
きものに人生の生き方を学んだのだから
もっときものを語ってみようと思いついた
それで「きもの365日」を書き始めた

中谷比佐子の粋・モダンという新サイトを設けたので
きものから何かを学びたいと思う同好の友は
是非尋ねてほしい。


中谷比佐子の粋モダン 
http://iki-modern.com/


それから新ブログも

毎日更新!中谷比佐子のきもの365日  
http://blog.goo.ne.jp/iki_modern



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天気予報は雨ーー

2011年05月22日 13時38分17秒 | 日記
うそうそうそ
目が覚めたらピ-カンですよ
きのうから水が足りないと花からのメッセージ
「でも明日は雨だから」
となだめていたがウンもうーーー

先日見つけた大きな麦藁帽子をかぶって
やまとのおじさんからせしめたヤマト軍手をはめ
麻の長袖のブラウスを羽織って
いざ水遣り

考えればこの13階のベランダ
コンクリートの床
その上に鉢を置いて薔薇を育てている
ここ5日毎日25度以上の太陽が照りつけて居る
「綺麗ね薔薇」
と褒められているので
彼らも一生懸命咲き誇っていたが
今日はお休み人もいらっしゃらない

そうするとなんとみんな「しおっ」としている
「喉乾いたのねごめんゴメン」
といいながらスアーシャーシャーと根から葉っぱへ

「リンカーン」と名のついた深紅の薔薇
花の直径が20センチもある見事な姿
哀しいことにまだつぼみでしんなりと頭をたれている
胸を衝かれて哀しくなった
だって一年に1回しか自分の姿を人に見せないのだもの
うあっと咲きたい、思い切り自分の姿を空に向かって広げたい

其れなのにチャコちゃん先生の不注意で
その思いを叶えさせてあげられない
ああ あああーー
ごめんゴメンと水をあげているうちに少しずつ上を向いてきた
良かった!
どこまでいくかただ祈るだけ

本来は土の上できちんと咲きたいだろうに
チャコちゃん先生の身勝手で
こんな自然環境の悪いところに連れて来ている
だったらきちんと面倒を見なければいけないジャン
そうそのとおり

加奈子サマは
毎日この薔薇の花びらを持ち帰り
ローズバスにして楽しんでいる
薔薇の花は香りがいいのできっと心が癒される

オイかなこ少しは面倒を見ろよな
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映画・コスモス初日

2011年05月21日 10時49分12秒 | 日記
第1回目の映画コスモスでは「東京物語」を取り上げた
1950年代の映画を見ることによって
日本人らしい姿を追ってみたいと思う

映画が二時間以上なのだが
次回もきちんと通してみたいという声ばかりで
みんなで映画を見ることの楽しさを味わった

今日は飛び入りで
仙台から「にしむら」の女将さんも
マナーコスモスのほうに参加
お茶の時間には
生々しい惨状の報告も聞く

仙台かまぼこを持参して下さって
「産業も回復してきたのね」
と一安心

「私達が沈んでいても仕方がないので夏は七夕祭りをすることにした」
有志を募って参加しようと盛り上がる
まだまだ復興には時間がかかるけど
地道に一歩一歩生きて行くのが一番
と確認しあう

小さな幸せを心から喜び合える
そういう物語がこの「東京物語」で
今この時期だからこそ
しっかりと日本を見たという印象

マナーコスモスも
植物は根を張って栄養を取っている
人も日常生活をきちんとするためには
先ず「立つ」ことからしっかり学ぼうという時間だ

マナーコスモス、エイガコスモスと続けて勉強した方も
「楽しかったわ」
とおっしゃって下さった

先ずはスタートとして成功

仙台かまぼこ
チャコちゃん先生お手製の金柑漬け
セキドとタナカが作ったカナッペ
なかなかのお味であった

次回は6月18日
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麻を植える

2011年05月20日 09時37分59秒 | 日記
「比佐子つれづれ」のフリーペーパーで
「大麻を福島に植えよう」
と提案した記事を書いたところ
大変な反響
「大賛成」ーーと

大麻は終戦後アメリカによって栽培を禁止され
今日に至っている

いますでに政治の世界では
わが総理がアメリカの言うとおりに動き
日本をクチャクチャにしているが
いまだに敗戦気分というのはどんなものだろうか

大麻は花穂にマリフアナの原材料があるだけで
それさえ注意すれば麻の実は血糖値を下げるといわれているし
また精力剤にもなるので
サラダのような男の子にとっては男らしさの秘薬にもなる

しかし
戦前の日本人は
大麻を麻薬の材料に使うなんて思っても見なかった
麻は浄化の力が強く
しかもどんな土地にも適している植物で
更に大麻を植えるだけでその地が肥える
精神世界の言い方だと「いやしろち」になるともいう

長崎に原爆が落ちたとき
麻の着物や洋服を着ていた人は命が助かっている
これは取材で知ったこと
廣島の方も同じであったであろうーー

日本は祭祀民族で
神ごとには必ず麻が用いられている

天皇陛下の祭祀用に使う麻は
2000年以上の昔から四国の徳島で栽培されたものを使っていらっしゃる

大麻は繊維だけでなくプラスチックとか建材など工業製品にも使われている
しかし
石油製品を日本に押し付けたかったアメリカは
占領軍の中に黒人兵が多くマリフアナの材料になる大麻は
黒人兵の健康のために栽培を禁止する
ということでもあったという

敗戦国のドイツ、イタリアも大麻の栽培を禁止されていたが
とっくに自由栽培になっていて
ここ日本だけがいまだに栽培の禁止をされている

福島はもともと大麻を多く栽培していた
今でも昭和村ではチョマと大麻の栽培をしているところがある
日本での大麻の栽培はその県の首長の許可とればよくなったのだが
それでもややこしい規制が強く
誰でも栽培するというわけには行かない

お得意の思いつきパフオーマンスで
「福島の第一原発20キロ以内に大麻を植えて土地を浄化します」
と言ってご覧
今この地域は立ち入り禁止になっているが
放射能濃度が高いとからという理由だけではないのではないかと
疑っている人も多い
この地を国が買い上げて早い時期に大麻を植えれば
福島県いえ日本全体の地が浄化される

たまには国民のためになることをやってご覧 菅クン
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