チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

きものが繋ぐもの 519

2023年05月27日 08時07分27秒 | 日記

3月があり7月があり、5月があり8月がある

なんとも気温の差の激しい今年

銅抜きの着物の仕立てがある

人形仕立てというのもある

この2つは人の目が見えるところだけに裏が付いていて「袷」を着ているように見せている

この仕立て自分のためだろうか、人の目を意識したものであろうか

マスクを強制されていた時チャ子ちゃん先生は強制されたら、何の役にも立たないビーズのマスクをして形だけ「マスクしています」という態度をとっていた

日本人の人の目、人と同調という身の処し方が、「どう抜き着物」という仕立てを生んだのであろうか

 

きものの着方が厳しい作法になったのは戦後だ

きものが日常にあったときは、それぞれの家庭の事情もあり、人の目を意識しすぎる着方はなかったと思う

地域によっての温度差もあり、上流、中流、庶民、花柳界などの区分の着方もあった

 

現実この気温に合わせた着方は先人たちの方法を垣間見ると

まず下着を変えている

暑いときは夏の下着長襦袢も含めて、そしてきものは一重

寒いときは下着を冬物しきものは一重

 

こういう着方が体を冷えから守ることを知っていたのだ

そのためにいろんな素材があるきものの世界

 

冷房は刺すような冷気なので、夏の薄物の着物は寒いという場合がある、そういう場合は下着を冬物にする

自分自身のためにきものを着るのか

人の目を意識して着物を着るのか

 

大きく時代が変わろうとしている今、着物の着装においても大いに変化の波がやってきそうな気配

本日の「比佐子つれづれ」は平安時代の色の話

平安時代にできた「延喜式」が今の日本文化の形を作っていると思う

 

形を重んじる日本人は平安時代に作られたのかもしれない

 

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老いについて

2023年05月26日 10時02分55秒 | 日記

耳、目,歯、髪、これらの機能が衰えると老化

老いは誰にでも一様に来るのだから、その老いとどう付き合うかが大事なことであろう

見えるふり

聞こえるふり

歯が丈夫な振り

髪の毛白くないふり

こういうことを繰り返しながらいつかはそれを受け入れる

 

老いを受け入れた時からまた違う人生が始まる

老いは自然現象、それを拒むことでいろんな悩みや苦しみ妬みや自分卑下がやってきる

 

老いを克服するなんて野暮なことはやめたほうがいい

若さは美しい、老いは醜い

それでいい

 

老眼をかけた

入れ歯をした

補聴器を購入した

髪を染めた

 

93歳で亡くなった姉は、このすべてに世話になっていない

78歳で亡くなった姉も同じ

 

二人の姉の日常を思い起こせばおのずとチャ子ちゃん先生との違いが見えてくる

二人は明治生まれの母の教えを忠実に日常に生かしている

アメリカナイズした末娘はことごとくそれらに反発して成長する

その違いは老いを迎えてはじめてわかる

下の姉は家族の衣類の洗濯をし、きちんとアイロンをかけ、引き出しの整理をして、翌日静かに息を引き取った

上の姉は「ちょっと横になるね」と言ってそのままいった。しかもお弟子さんたちとランチ後美容院でシャンプーーブローをした後だ

 

そういえば父母も死に上手

死に上手は生き上手といわれているが、生き上手というのは「自分を信頼し自分を丁寧に扱い清潔を保つ」ということではないかなと今思う

若くなりたいと思わなければ若さが出る、老いは必ず来ることだから

昨日補聴器を手にして、こんなものを持たなかった父母や姉や兄の生き方を思いを馳せた

自らをいとおしむという日本人の家庭教育が人を幸せにする。人の目なんて、世間体なんて、肩書なんて、名誉なんてーーネ

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母校共立女子大学での講義

2023年05月25日 11時05分17秒 | 日記

チャ子ちゃん先生ひそかに夢見ていたことがある

母校で講義

それが実現したことがうれしい

パワーポイントを作るのに学生時代を紐解く

残っている写真を見ると

今と全く変わらぬ「わたくし」が写真に納まっている

姿かたちではなく「やってることがーー」だ

 

地方出身者なので寮生活がある

寮祭を考案し、合唱団まで作り偉そうに指揮をとっている、とにかく「楽しい」ということに専念していてみんなを巻き込んでいるのだ

焚火をしてその周りで踊っている、真ん中に机を引っ張り出して其の上に乗り音頭を取っている

 

学校では放送研究会に所属し下級生の身でありながら「部長」になって上級生を引き回している

放送部にはドラマ部とアナウンス部があり、アナウンスの原稿を書いたり、ドラマの脚本書いたりしている

自分が何かを演技をするのではなく「総括」の役

今回の話は、この下級生からの提案だった

 

放送研究会の部費を稼ぐために、ダンスパーテイーの企画をしてミキサーとかテープ、感度のいいマイクなどを購入している

楽しんでお金を稼ぐという基本はここで培われていたのだなあと感嘆

 

そういう基礎を作ってくれた母校の空気に感謝の気持ちが、在校生たちに通じることを願い90分を話し終えた

内容はもちろん「きものを通して知る日本の文化」

日本人としての誇り、そして今学んでいるこの学校に対しての誇り

 

この学校で育てられて今の私がいる

良くも悪くもここが原点、こういう楽しい青春を送っていた時と今に自分が変わらない、同じことをしている、成長していないと思うか、本来の自分を生きていると思うか、判断に苦しむ

両親に、家族に、出会った人々に感謝しかない

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雨に濡れたちりめんの着物

2023年05月23日 09時06分26秒 | 日記

歩いていたときいきなり雨が降ってきた

あろうことかチャ子ちゃん先生縮緬の着物を着ている

ぱっと脱ぎたいところだ

絶対に縮む

だって縮緬は糸に水をかけながら、糸に撚りをしていくので

水が来ると糸は「自分の仕事をしなければ」と縮む

困ったもんだ

 

で 

かなり強い雨に濡れて歩く

せめて裾を挙げてと、帯締めに裾を挟み込む

こんな時恥ずかしいと思っても仕方がない、誰も濡れた始末はしてくれないのだから

タクシーも来ない

道行く人も傘をさしていても「どうぞ」なんて優しい人はいない

趣味で濡れてると思っているのかしらん

ああ

通り雨ではないと思うので、とにかく足早に歩くしかない

家につき乾いた布で水気を取り

いつもの「洗い張りや」さんにでんわ

「縮緬の着物濡らしちゃった」

「伸ばすの大変だよ」

「明日持っていくね」

「水気が取れたらしっかり伸ばして畳み、寝押ししておくといい」

「はいありがとう」

 

きものさんごめんなさい陽

だからと言ってガード加工しようとは思わない(結構頑固だね)だって糸の呼吸を止めてしまうんだもの

出かけるとき「かさ?」とひらめいたが、陽が差していたのでやめたことが悔やまれる(こういう時母だったら追っかけてきて傘持たすだろうなあ)

内なることばに従順でいようという反省

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芸者さんは美しい

2023年05月22日 07時58分57秒 | 日記

昨日久しぶりに「東おどり」を新橋演舞場で見てきた

芸者さんはその名の通り「芸」を持つ人だ

お稽古で鍛え抜かれた肢体がかくも美しいかと改めて感じ入る

日頃のけいこの成長具合を見せるお祭りのようなもので、劇場全体が料亭の雰囲気を出し、マス酒持ってうろうろする殿方も多い

何しろ協力会社の名前がすごい。名だたる企業の名が永遠に続く

お座敷遊びの習慣もなくなったかに思えるが、やはりそれはそれ。長く続いた花柳界の文化はすたれない

 

最後には江戸芸者の粋な姿での口上がいい

柳結びという帯結びはコシノ線を色っぽくそして立姿に品格を見せる。襟の抜き具合、裾の広がり、帯の位置、どうしてここまで完璧なのだろうとため息が出る

 

帯位置が決まっていて、下前の裾のあげ方が巧み、なので腰の線はもとよりヒップラインの美しい、芸者さんたちの着物姿は完璧な美を追求し成功している

 

「東おどり」は新橋芸者さんたちの舞台

この新橋からは明治維新に活躍した男たちの妻になった人も多い、芸事はもとより政治経済、古典文化、装いの美、おもてなしに秀でていたのだから、近代国家を担う男の妻として国を代表する社交ができたのだ。

 

平安時代から正妻は家柄のいい女性を選び、側室に気働きの利く女を置くというのが、国を動かす男たちの希望だったように、明治維新もやはりその風習は生きていた

 

劇場内では他の町の花柳界の芸者さんたちの姿もあり、彼女たちの着物姿はやはり一味違う、粋で美しい。歩き方、会話の仕方、挨拶などすべて洗練されていて眺めているだけで幸せ気分、きものってこれだよね!

知ってる顔に出会いしばらく立ち話、その姐さんに挨拶を送る後輩の芸者さんたちもみな風情がある

 

ある取材先で「何か違う」というという雰囲気の女性に会い、何回かあってお話していていたある日、彼女の着物姿に出会った

「アッ」

前身は?と聞くと

「浜町に出ていました」

やっぱり、そこはかとなく漂う色香、これはその道での鍛錬のたまもののようだ

 

お座敷文化はやはり必要

 

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事実と真実は違う

2023年05月21日 08時22分31秒 | 日記

ここのところ事実と真実は違うという毎日のような気がする

マスコミは事実も真実も伝えていないけど

これは今に始まったことではない、先の戦争中も大本営発表では常に日本軍が進撃して敵の飛行機を撃ち落とし、快進撃を遂げていると放送していた。多くの人がそのニュースを信じていた

あれは昭和20年の初夏だった

父と兄と三人でどこかに行った帰りだったと思う。いきなり頭の上に敵機のB29がやってきて、爆弾を落とし始めた。私たちは大麻の(後で兄に聞いた植物の名)生い茂る畑に走りこんで、難を逃れた

青空にぎんいろに輝く機体が美しかった。怖さがまだわからない子供だったのだ

家に帰って父と兄そして書生さんたちがいきなり庭を掘りはじめて防空壕を作った。近所の男たちも手伝ったので一日で出来上がり、次の日は町内会の大きな防空壕がお寺の石垣のところにできた。

子供たちはその中に入ってはしゃいで遊んでいた

「戦況は大本営発表と真逆だと思ったほうがいい、今こうしていても敵機はすぐそばの空にいると考えて用心しよう。疎開の行き先がある人は子供を連れてもう行ったほうがいい」

と父がみんなに話したそうだ

そうしたら大本営の放送を信じている多くの人が、父を「不国民」と言って憲兵に訴えた

憲兵がすぐ来て我が家は憲兵の監視下に置かれ、疎開用の荷物を持ち出せず、それからか2か月後に玄関に爆弾が落ちて家が吹っ飛び、家財道具全部なくなった。

父の言葉を信じて家財道具と子供を疎開に送った方々は、ずっと父に感謝していた

日本人は上の人の言葉を鵜呑みにする癖がある。疑わない、疑って自分自身を信頼し、自分の考えに従おうとする人を変わり者と軽蔑する

事実を知って安心

事実の裏に隠されている真実は知ろうとする人は少ない

 

ここ広島でのサミットのふがいなさや、、大急ぎで法案を通そうとする政府の姿勢を見て、あの頃よりはるかにこの国は劣化したと胸が痛む

 

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日本茜、日本紫根染織三人展

2023年05月19日 09時01分42秒 | 日記

長野県岡谷市にある「岡谷蚕糸博物館」で初日を開けた「日本茜、日本紫根染色三人展」

初日10時からのトークショーとギャラリートークに多くの方にいらしていただき感謝

トークショーでは立ち見ができるほど

 

ひとえに高橋孝之(江戸古法染)寺田豊(京絞り)服部秀司(爪掻つづれ)の真摯な制作態度による美しき布が人々の心を打ったのだと思う

三人の共通点は「情報の公開であり拡散」

一芸を守る家の人々は「一子相伝」という考えがあり、家の技術を保存のために秘密にする。外に現れるのを良しとしない

だからこそたぐいまれな超高等技術が日本に残ってきたことは確か

しかし反面その家が途絶えると技術もなくなるという危険性を含んでいる

 

情報を共有しながら、お互いに技術を高めていく

多分この姿勢こそが縄文時代の根底にあったのではないかと思う

日本は本来みんなで考え、みんなで作り、みんなで向上をする

そういう民族であったのではないだろうか

縄文の遺跡を見ているとふつふつとそう感じる

 

それは国全体の文化を格上げすることにもなっていく

寺田さんが提案している「日の丸プロジェクト」はまさしくその思想を実践していくことになるのだろう

「日の丸」が茜で染められたことは事実であり真実

その日の丸の茜は江戸の末期島津斉彬によって提案され、それが国旗になった

その時鹿児島の島津藩には茜がなかったけど福岡の黒田藩では栽培をしていて染や漢方薬として重宝をしていた、だから協力を惜しまなかったのだ。もしこの染料を藩から出さないと取り込んでいたら、日の丸は生まれなかったかもしれない

 

技術や知識をみんなで共有するというのが、その国の文化度を上げることになるのだなあ、と今回お三人と一緒に行動をしてつくづく思った

 

この展示会は5月18日から8月20日まで、次回のトークショーは6月24日(土曜日)紫根の栽培者出雲の舟木清さんを迎えて、朝10時から。その後糸染めのワークショップもあり楽しいと思いますぜーー

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シルク伝道師養成講座 第二期生募集

2023年05月17日 07時34分03秒 | 日記

シルクという言葉に疑問を持ち、「絹」と断固に言い続けていたのだが、シルクという言葉が絹よりも古く、しかも旧満州地方で「柞蚕」の蚕の白衣とのことを言っていたという、文章を読んで「しるく」を使い始めた。

「柞蚕」はクヌギなどの外の木で蚕が繭を作るのだが、まあもともとは蚕は外で生きた虫

この成長過程の中で自然とのかかわりあいを観察すると、シルクがいかに糸として強いかを私たちに教えてくれる

その研究に数十年かかったけど、今声を大にしてシルクの強さを多くの方に広めたいと思う

 

それには「養蚕」の復興が望まれる

日本の畑の40%が桑畑であった昭和初期までは、蚕が外資を稼ぎくにのけいざいをあんていさせ、しかも蚕を通して自然から学ぶことの多さを身に着けた日本人

日本人はそのおかげで「意識」がとても深く高くなっているように思う

 

絹は扱いに注意が必要、だから不便と遠ざけられてきた

でも実際毎日絹を身にまとっていると、こんなに丈夫で気持ちのいい布はない

糸を作る時もいつも水が必要、て歩く扱ってより糸が強くなる

糸を染めるときも糸は人の手に任せきって、何をされても人の医師のままに動いている

きものになってその着物を洗う現場に行くと

これまた水の洗礼を受けている

 

絹はしなやかだけど強い

お澄ましした姿の奥に強靭な精神を持っている

ここのところにひかれる

 

絹を「シルク」と言い換えても絹の本質は変わらない

シルク伝道師をふやし、絹の姿を日本中の人に伝えてほしいと思う

 

 

 

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やはり日本は美しい

2023年05月16日 07時41分08秒 | 日記

三日連続の雨が止んだ

晴れ渡る皐月の空、どこまでも青く美しい

昨日ある学校の教育者と話をする機会があった

教えるほうも、学ぶほうも日本に対しての興味が薄らいでいるのを感じた

ではどの国がいいと思っているのか、それすらない

マスク生活が3年も続くと、思考ということがおろそかになるのであろうか

美術館や博物館に人が多く集まっているが

自分自身の内面から沸き出ずる情緒の欠乏を補っているのだろうか

わが先祖たちが築いた繊細な美を感じる遺伝子はみんな持っている

その遺伝子に気づきたい

外に外に求めてもより不安になり無気力になるだけだと思う

自分の国を愛することは

自分自身を愛することと同じ

自分自身を愛することができなければ、誰おもなにおも愛することは不可能

教育者は生徒たちへの愛は十分にあるのだが、自分自身を深く愛していないのではないかと感じる

 

そして同じ日の夜

先祖が残してくれた土地を化学肥料で痩せさせてしまったことにやっときづき

その土地の微生物をいかし、更に元気のいい微生物を育て、その土地の健康を三年で取り戻した人がいた

その人の野菜のなんとうまい

高度成長期前に食べた野菜の味が戻っていた

 

この味を知る人がまだ健康なうち、この味を取り戻したいねと話し合う

当たり前の言葉なのだが

「先祖に感謝」

これが今は一番大事な言葉なのではと思う

 

少し前本格的な家系図を作った

先祖を手繰っていくうち、心から先祖に感謝が沸いた

その家系図ではそれぞれの家の癖がわかり、自分自身の思いの癖、行動の癖も明らかになって面白かった

まだ完成されていないけど想像ができる

先祖がいたから今ここに自分の命がある

先祖たちがどんな日本にしたかったのか

どんな小さな草花にも目を届かせていとおしむ、だから日本は美しい

 

雨の日も駅構内の清掃に余念のない人たちの姿に頭が下がる

 

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着物が繋ぐもの 518

2023年05月15日 08時43分58秒 | 日記

きものの原材料を生むところに足を運んでいる。着物に携わった年数をよくよく数えてみると58年になる

深みにはまったというか、きものが連れていく場所が人の暮らしに必要なすべてを見せてくれるのでそれが面白い

チャ子ちゃん先生にとってそれは仕事というより「道」を指し占められているという感覚だ。遊びに似たものでもある

そうたぶん遊び

遊んで楽しんでいるのだからお金をもらうのは申し訳ないという思いもあって、なかなか稼げないでもいる

これは三次元で暮らすには欠ってん

 

今回もまた新たに、また何十年らいのつき合いの方たちのところへ足を運ぶ

新しいところでは新しい発見があり、なじんだところではその方の生長によってまた違った側面を教えていただくことが多い

いづれにしても現場での気づきや悟りが多いということ

 

人は良く「死ぬまで現役」というが、私は「死ぬまで現場」と思っている

現場に行くと自分が謙虚でいられる。謙虚でいると世界がよく見える、動乱に巻き込まれない軸も生まれる。だから現場が好き

 

あるところで

霞が関のエリート官僚の座を捨てて土にまみれた生活を始めた方に出会った

180度の転換であろう

土とともに暮らしているうち、着物の染料と出会い、植物が出す色の豊富さに魅入られてしまった

更に古老の人たちの植物に対する深い知恵を教わると、人の暮らしがとても豊かになることがわかってくる

霞が関での「机上」の知識がどれだけ現場とかけ離れていたかを知る

その違いに違和感を覚えて暮らしを変えた自分自身が好き

 

きものが連れていく道の多様さとどこまでも続く道のりが楽しみ

きものって日本人の知恵のすべてを含んでいるのだと、つくづく感じた取材旅行

 

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