人には気づかれないのだが「ホンの小さな後悔」が寝つきを悪くする
その時は「宇宙の根源様ありがとうございます」と唱えている間にいつの間にか眠りに入る
この言葉がチャ子ちゃん先生のおまじない
所でほんの些細な後悔というのは、いう必要のない一言であったり、「ありがとう」と言いながらも相手の目を見ていなかったな、と後悔したり、つい荒い言葉で応対したな、ああ一言ねぎらいを忘れたな、あの人にはこの人が合わなかった一緒に呼ぶべきではなかったな、扉をガチャンと閉めてしまったな、などささやかな行動や言動
反省ではなく後悔だから厄介
あるとき自信たっぷりな男が「僕は反省はするけど後悔は一度もしたことがない」と胸を張っていた姿を思い出す。そのときチャ子ちゃん先生
「反省はサルでもできるよ」とまぜっかえして周囲のひんしゅくを浴びた(そのころテレビでサルまわしが「ハンセイ」というと、サルが手を机に置き頭を下げる姿がよく放映されていた)でもひそかにウインクを返した男たちもいたので、その時は自分の言動に後悔も反省もはしなかった
だいたい「秀才」と言われている人は反省も後悔はもしない。しかし心がすぐ折れて自殺に走る。自分より劣っている人はみんな馬鹿としか見ない、ただし自分より優れた人を見ると絶対服従になる。そういいう男いっぱい見てきたな(これは余談)
自分自身の言動や態度に後悔という想いを持つようになったのは、自分の意識が内側に向き始めたころからだと思う
自分の意識が内側に入ると、相手の魂のことが気になってくる。そうすると相手の魂を傷つけることは避けたいと思うのだ。その前に自分自身の魂をいつもきれいにしていたい。そのきれいさを保つことが日常の言動であったり、行動であったり、食べ物であったりする
面白いことに魂をきれいにしたいと思っていると、相手の魂がまだ汚れている人に対しても寛容になる
わざわざあなたのここを直すといいよなんて言わなくなる。相手の治癒能力に任せる
だからこそ些細な言動に後悔するようになるのかもしれない
昨夜は自分の気働きのない行動に対して後悔が強く寝付けなかったけど、おまじないのおかげで今朝はすっきり目覚めた
後悔は次の意識上昇の始まりと思って過ごしている