チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

日本が最後

2023年09月29日 09時46分30秒 | 日記

どうやら世界の大掃除が終わりに近づいているらしい

9歳で終戦を迎えたチャ子ちゃん先生

戦前戦中戦後を見てきた

末っ子に生まれたので、いつも大人たちの本音の話を聞きながらそばで遊んでいた

日本流の民主主義というものは、すべては合議、すなわち「談合」であることを知った。多数決ではない、とことん話し合う

最後の決め手は「神」平ったくいえばお天道さまだ

広い宇宙から見て正しいと思われることを進める、それが大人たちの民主主義だった

誰かが中心になって命令することはない

しかし決めたことは、誰でもきちんと守る

日本は昔からそう縄文の時代から男女平等で、男の役目女の役目、老人の役目、若人の役目とそれぞれがの「お役」が決まっていたのだ

その役を全うする人が尊敬されていた

 

国を整えていくのに規律をいろいろ作ってはいるが

八百万の神たちに背くことは恥なのだ

この八百万の神の存在が日本人を特別な人間として作っていると思う

日本人は自分で自覚してなくても、みんな自分自身の中に神を宿している

其の神に恥じるようなことをすると苦しんだり悩んだりする

苦しみも悩みもすべて自分が原因であることも知っている

「恥」を最も嫌う民族だ

 

明治維新で西洋文化を取り入れ、日本人独特の文化を忘れ、大東亜戦争敗戦後は多くの文化を失ってしまった

複雑で他国の人には理解不能の高貴な民族ゆえに、征服も、植民地にもならずにすんでいたのだが、今は違う

地球を美しくし、そこに生活する生命ある者たちが平和に安心して暮らせる世界が、やっと見えてきているが

母屋を明け渡した日本は大掃除が一番最後になったらしい

 

拝金主義をやめて「自分自身の崇高な魂」に気づく時が来ている

今は瀕死の状態だが、日本人だものきっと創生する

大掃除は俯瞰してみて居よう

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嬉しかったあーー

2023年09月28日 11時56分10秒 | 日記

昨夜「チャコちゅうぶ」でも話したが、友人が再生した。それもチャ子ちゃん先生の声を聴いて

その人は4年前に脳溢血を患い一時健康になったが二度目の発作でしかも医療ミスも重なり再起不能と診断

コロナ騒ぎの間病院のベットに縛り付けられていた

電話をするのもはばかられ、音信不通が三年続いた

時々ご自宅に電話するが「大丈夫です」とあまり詳しくは教えてもらえない

そうするとますます連絡が遠ざかる

 

ところが

昨日携帯に彼女からの着信

「ああ家族からのお知らせか、やはりだめだったのだ」

とがっくり来て返信できぬ

暫くするとまた着信、怖くて取れない、何年か前風水の師匠が亡くなったとき、やはり携帯に師匠のお嬢さんから連絡があり、ぎょっとしたことがある。そういう経験があるのでマイナスの方に気が向く

三回目の着信、声を潜めて恐る恐る出る

「比佐子さんラジオ聞いたわ!それで私生きることにしたの!」

昔と変わらぬソプラノの声

「ええー嬉しい!よみがえったのね」

「そうよチャ子ちゃんのおかげ」

 

娘さんがたまたま(必然だと思う)早く目が覚めラジオをスイッチオン、そうしたら中谷比佐子さん云々――というラジオ深夜便の出だしが聞こえてきて、それを聞き、早速アーカイブを母親に聞かせそれを三日間時間のある時に数回聞こえるようにし、なお「チャコちゅうぶ」を毎日見せているうち4日目に立ち上がって歩き、言葉もはっきりしてきたという

 

「もういいか家族にも迷惑かけているし」と思っていたところ、中谷比佐子の元気な姿を見て

「生きよう、チャ子さんに会いたい」と思ったのだという

そうしたら言葉がすらすらと出るようになり、家族の喜ぶ顔がうれしく、その顔見たさにそばに行きたくて歩けるようになった

 

老舗の呉服屋の女将だったので、お客さんが

「女将さんと仲の良かった中谷先生がラジオに出ていた」と知らせに現れたり

「みんなが私の回復を待っていてくれたんだわ」と思ったら元気がわいてきたという

車椅子生活になっても、車いす用の着物を仕立て着ていたきもの好きの女将さん、これからは不自由な人のための着物を次々に作っていくと「夢」を語ってくれた

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユーホー

2023年09月27日 13時48分10秒 | 日記

三日間飛び飛びだけど不思議な物体を見ている

それも都庁舎の上に出る

この物体を先日双眼鏡で見てみた

五角形できらきら光っている、しかもゆっくい揺れているのだ

始めてみた日は19日の夜、二度目は22日の早朝、三度目は25日のよる

同じ場所に出てしばらくゆらゆらしているが、だんだん上に上がって消えていく

 

ユーホーを知ったのは40年以上も前になる

きものの撮影でよく箱根の日本旅館を借りていた

そこの女将さんは昔青山にある呉服店に勤めていて、私はそこで知り合った

その店の社長は大阪から東京に出てきて全国展開を始めたころだった。やりて社長の取材に行ったのが彼女と知り合うきっかけで、何時も結城縮を着ていて垢抜けした人だった。ただモノではないなと思いながらも親しくさせていただいたところ、ヘッドハンチングで老舗旅館の女将に所望されたのだ

旅館でもいつも結城紬を粋に着て接待をしていた

ある日

「ねえ比佐子さんユーホーって知ってる?待ち月の晩に必ず現れるのよ今夜がそうだからお泊りにいらっしゃらない?」

「ほー月見酒ですね」(そのころは酒豪のチャ子ちゃん先生)

月の歳が23夜、夜も更けて月が出てくるその月光が座敷の奥までにも伸びていく

「本来なら男女が寝ずに見る月よね」

と言いながら月ならずユーホーを縁側で待った

 

待てど暮らせど来ぬ

「今日はどうしたのかしら」

「私がいるからかしら」

そして次の日私はおいとました。またいらっしゃいね。という女将の言葉を最後に喧騒の新宿に戻った

 

次の朝早く

「母が亡くなりました」

息子さんからの電話に取るものとりあえず箱根へ

「母は昨夜一人でナカタニさんといた縁側で月を待っていたんです。私どもはお先にと言って休んだのです」

朝あまりにも起きてこないので寝室に行ったら息をしていませんでした。という

「夜中に洗濯したらしく、すべてが片付いていました」

「女将さんユーホーに連れていかれたのね」と思わずつぶやいてしまった

 

ユーホーに女将さんが乗っているのかなあ

 

あまり見るのをやめよう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

敬天愛人

2023年09月26日 09時47分03秒 | 日記

西郷隆盛が生涯の生き方として「天を敬い人を愛する」その心で一生を貫いたという

その心を後世に伝えたいという志の方々が神田の駅近くで「西郷記念館」を立ち上げ。西郷さんの遺志を継ぎ「日本創生」を掲げて活躍ちう

チャ子ちゃん先生そこで、彼らが新しく取り組もうとしている「養蚕の現状をはなしてほしい」という依頼を受け行ってきた

今若手が小規模だけど農協に属さない人々の手によって、本当の養蚕が始まり始めている

そのことと現実は「遺伝子の組み換え」が盛んなこと、またマウス代わりに蚕を使う実験が多くの研究室で行われている実態を話した

その他は

なんといっても西郷隆盛の話

政治的なまた西南戦争の時の話などは、ここに集まっている方たちの方が、はるかにチャ子ちゃん先生より詳しい

それで

西郷内閣の時に進んだ富岡製糸場の話、建物もでき、フランスから指導者もやってきたが製糸を現場で行う女性が集まらない

赤ワインをたしなむフランス人を見て、多くの人が「あの建物に近づくと血を吸い取られる」と本気になって怖がっていた

この話はまだ富岡製糸場がヨネスコ文化遺産に指定されるはるか前に取材して、建物の地下に作られたワインセラーの立派さを見て納得した

そういう時代背景の中、日本は富国強兵のためには何とも輸出の王者を作らねばならず、それに選ばれたのが生糸なので政府は必死

そこで考えられたのが「藩士の娘」を集めるという案だ

廃藩置県でもう藩は消えているのだが、率先して薩長の藩の娘が応募してきたという、松前藩の班長が指揮を執っていたのだが、未だ明治維新の名残が娘たちの意識にもあり、これがなかなか面白いのだがこの話はまたいづれ

表向きは渋沢栄一の働きになっているがそれもまたいづれ、こんな話を前振りで、チャ子ちゃん先生が一番話したかったのは、西郷隆盛と大島紬

 

奄美大島に島流しされた西郷さんは龍郷村に蟄居した。そこで島の人たちの日々の暮らしにいろんなアイデアを与えている。当時は大島紬もまだ紬糸で織ることが多く、養蚕も盛んであった。町々によって織る柄も決まっていた。同じ柄を織った方が生産性は上がる、しかしそれでは発展性がない、そこにこういう模様を加えて新味を出してみたらどうか、などのアドバイスを与えていたらしい

 

かつ節を作る、銅を掘るなど島の人々の生活に潤いを与える助言も大きかった。私は初めて行ったとき古老たちから聞いた話を皆さんに伝えた

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑さ寒さも彼岸まで

2023年09月22日 07時17分33秒 | 日記

昔の人の格言はぴったり「暑さ寒さも彼岸まで」

彼岸の入りに入った21日から見事に気温が下がり凌ぎやすい、自然をよく観察しているので、このような的確な言葉が出るのだといつも感心する。春分の時もそう、このあたりから寒さが和らぐ

秋分は真東から太陽が昇り、真西に太陽が沈んでいく。昼と夜に時間がちょうど同じで、この日からだんだん夜の時間が伸びていく。なんとなく鳥もねぐら探しに忙しいようだし、渡り鳥も帰り支度、世の中が次の時代に向けていそいそと急ぐ

どうして彼岸というのかしら、と調べるとどうも仏教伝来の時期、飛鳥時代にはもうあった言葉のよう。彼岸とは悟った人の行くところ、この日真西に太陽が沈むということは、その沈む方向が彼岸と考えられたようだ。

風習としては春の牡丹餅、秋のお萩をいただく、ともに小豆のお饅頭

小豆は整腸にいいとされている食材で、赤い色が魔除けとも、しかも小豆は秋の収穫でふっくらとたける、だから秋は粒あんの萩の花状態、春は小豆が固くなっているのでつぶして使う、牡丹の花のように平らに作るのでこし餡

この内容は母からの受け売りなので、学問上は定かではない

 

私は粒あんが好きなので、春も秋も粒あんのおはぎを作ってもらっていた

小豆を一晩水につけ、其の水は捨てて真水を入れ沸騰させ、其の水は捨ててまた真水を入れて煮る。水気が亡くなったころ見計らって佐藤年をを入れ、お菜箸でかき混ぜる、水分がなくなるまで煮詰めてそれを餡に使う

(母は沸騰させ一番だしは取っておいてそれを私に飲ませていた。腎臓病を患っていたのでそれがいいということだった、のちに汚れたさらしの布巾をそれで染めている人を見た)

牡丹餅おはぎの中身はもち米三割、こちらはお結びのように握るけど、春はまーるくつぶし、秋はやや楕円形、牡丹餅おはぎはいまだに母のやり方をつないでいる。餡が好きなので、一センチくらいの厚みの案に包まれている。小豆は大納言

疎開先で小豆の枝をたたいて種を出す作業を子供たちが競争でやっていたことを思い出す。疎開というのは今まで自分が生活していた社会と違うのでいろんな学びがあった

 

暑さ寒さも彼岸までという言葉も、そのころよそのおばさんに聞いたのだと思う

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怒りは財運を遠ざける

2023年09月21日 09時49分06秒 | 日記

昨日の「チャコちゅうぶ」は中野裕弓さんとの対談

裕弓さんとは2か月に一回ぐらい会って朝から晩まで喋りまくっている

たまたま前に決めていた日が昨日で、だったらチャコちゅうぶをしようということになった

いつもは20時からだが昨日は18時から

それでもリアルに22人の訪問者がいてうれしい

 

彼女は声もよく話術も達者つまり頭がいい、脳溢血を患い半身がまだしびれているとは思えない闊達さ

五体満足のチャ子ちゃん先生の及ぶところではない

車いす生活、しかも不自由でありながらも一人暮らし、何でも一人でやり遂げている

で つい正常者と思ってしまい、腰重く手伝わないでいるが、あっそうだと気が付いたときは、もう目の前にお茶がある

病をもってより軽やかに生きている

 

昨日は新米が届いたので、そうだ栗ご飯ができるように栗をむいて一緒にもっていこう。裕弓さんは右手が動かないから皮をむくのは大変だろう。そこまでは「ひさこさんよくきがつくね」だったけど、後で思ったのは剥いた栗を今度は切るのが大変だろうと、帰りの電車の中で気が付いた。「相手の身になって考える」ことのむつかしさ、つい自分本位になっている

 

「チャコちゅうぶ」が終わった後、食事をしながら話をしていて

社会正義というものに対して、二人の意見が違った

「糺すべき」という教育を受けているチャコ世代

「流してみてどうしてそうなのか」を検証する裕弓世代

 

「わかった!ひさこさんが本当はもっとすごい立場にいるのが当前の人なのに、現実はそうなっていないのは怒りが原因」

世のために怒ることですら、怒りは財を遠ざけてしまうという

財はお金ばかりではなく、人、もの、思想などあらゆる宝

「それを認識していないから長生きさせられているのかしらん」

「しかも健康でね」

いろんなチャンスをいただきながら、それをモノにしていないのは惜しい。と厳しい

「宇宙は何でも上げたいのよ」

 

怒りを収めるのは「俯瞰」してみることかもしれない

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほんとうの隠遁

2023年09月19日 08時42分27秒 | 日記

大きな仕事をしていた社長

政治家たちを陰で動かしていた男

荒くれ男も一目置いていた男

女に無茶苦茶持てた男

大金持ちであもあった男

 

或る日美しい女性に心から惹かれ、その女をいかに世に出すかの影武者となり、土地を購入家を建てその女のために精魂傾けた

ある事件があり女はその男を裏切った

男はすべてを女に渡し、それだけではなく家族とも別れ、無一文で一人山里離れたところに、もともと持っていた小屋に落ち着いた

傷心の日々をそこで送る

 

心変わりをしない「心友」たちが訪れ慰めていた

自然に囲われたその土地で少しずつ傷も癒え、畑づくり、家づくりをぼちぼちと一人で行ううち、「自然が自分を癒してくれる最高の家族」と気が付き、自分と縁ある人々がここにきて心が落ち着くようになれば、もっとこの自然は喜ぶだろうと、地元の人たちとの仲間づくりも始め、広大な土地が整ってきた

 

味噌も作る梅干しもつける、漬物もだ、料理の腕も上がる、すべてが自給自足、お金も労力もみんなが持ってくる、遠い土地から珍しいものが送られてくる、一人でひっそり暮らしているのではなく、毎日誰かが来てて語り、労働をして帰る

しかも世界情勢にも詳しく、ニュースソースも最新のものがはいってくる、今でも政府の要人たちが訪れているようだが、彼らには喝を入れているらしい

「隠居ではなくこういうのを何て呼ぶのかしら」

「チャ子ちゃん先生この状態は隠遁だ」

ほんとうの隠遁は、訪ねてくる若い人たちをきちんと教育することだという

だから引きも切らず人伝えに聞いた若者が入れ代わり立ち代わり訪れては、日本とはどういう国か、お前らはどう生きねばならないかの教えを受けて、勇躍それぞれの仕事場に戻っていく

「お金は必ずついてくる、大丈夫」

彼を見ているとまさしくその言葉通りだと思う

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祭りは終わった

2023年09月18日 06時01分55秒 | 日記

東京都内この土日は、各町内の氏神様の祭りでにぎわった

提灯が揺れる町はなんだか浮きう気する

午前中は子供神輿が出て黄色い声が響き、それを聞くとホホが緩む

それぞれの町内では法被の色が違い、神輿の形も違う

地元ひいきでわが町内は江戸紺できりっとしてるなあなんて思う

祭りが近づくと

年配の殿方が元気づく、いつもはしょぼくれているように見える老人が

にわかにしゃんとして若者を仕切っている

粋な鳶の姿がなんともいえぬ

 

年々小規模になっているが、それでも祭りは楽しい

ここ十二社、熊野神社の神輿は、新宿の繁華街を練り歩く

特に新宿西口には提灯がずらりと揺れて、出先の小屋でお神酒もいただける

最後の宮入では神輿の行列、そして木遣り、江戸だねえ

この木槍を聞くと秋がやってくる

 

また来年

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

きものは五分で着る

2023年09月17日 10時38分11秒 | 日記

きものの着付けを教わったことはない

どういうわけかいつか一人で着物を着つけていた

きものに興味を示さなかったのはトラウマがあったからだと最近気が付いた

小学校四年まで病気の連続で、何かといえば着物を着せられていたので

きものを着ると病気になるみたいに思っていたのかもしれない

 

しかしチャ子ちゃん先生の時代は何か祝い事があると着物を着るのが習わしで、凶事は学校の制服というように区分されていたように思う

よそ行き着の着物は姉か女中さんが着せてくれていたが普段着は自分できた

お茶の稽古、お琴の稽古にはいつも着物を着せられていく

そういう環境の中で娘たちはきものになじんでいく

それが日本の家庭の風景だった

 

高校を卒業してすぐお嫁に行った同級生はほとんどの人が日常にきものを着ていた

妊娠しても着物を着ていた

赤ん坊ももちろんきもので、おむつは晒しや浴衣の古い木綿があてがわれていた

濡れると気持ちが悪いので、赤ん坊はすぐ泣いて教える。そのため一人立ちが早かった

そのころ流行り始めた新婚旅行にも着物を着ていく人がいてそれが当たり前、少し後には洋服着て帽子をかぶるのが流行

そういう日常の中で着物を着るのに10分以上はかけられない

大体5分で着てしまう。それが当たり前

 

そして高度成長期にきものは普段着から大層な晴れ着になり、職人が作家先生になって、さらにきものの着付け学校などが誕生し着物がどんどん離れていって、着るのがむつかしいと洗脳されてしまった

 

きものの着付けはお刺身料理だと思っている

刺身は手早く切ることで味も形もおさまる

きものも手早く着つけることで着姿が決まる

五分が目標、10分以上かけたらきものが疲れて肌から逃げていく、そうするとここもあそこもおかしいという状態になっていく

 

10月の連休にその辺の講義をしようと思い立った 10月14.15

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

インボイス制度

2023年09月16日 12時40分25秒 | 日記

いきなりフアックスに「当社のインボイス番号はーーー」とかかれたものが来た

インボイス?

何か聞いたことあるような

其の紙を見ていると電話が鳴り

「インボイス登録しましたか?税理士さんと相談してください」という

 

何ナノこれ

消費税に関する関税ルールの変更らしい

取引先にインボイス番号を渡していないと、こちらの消費是は無効になり自分でその分を納税しなければならないという

消費税で痛い目にあっていて、消費是というのは翌年に支払い請求が来るので、その年コロナで売り上げがさっぱりだったのだが、消費税を支払わなくてはならず、苦しい思いをした

 

消費税が3%になったとき、当時出版していた「KOSMOS」という季刊誌の発行を中止した

それくらい消費税に関して消費する側の人たちからの抵抗が強かった

日本は消費税を導入以来経済が低迷しているし、なかなか裕福になれない

だのに10%ととなり更に15%を政府はもくろんでいるらしい

 

売り上げ1000万円以下の会社では消費税は支払わなくてよかったのだが

このインボイス制度では消費税は支払うことが義務となった

あっという間の法案通過で即実行という素早さ

世間ではこの法案通過を急ぐ間「ジャニーズ問題」で報道は毎日塗りつぶされていた

 

消費税を分納していた3年間その税金支払いのために一生懸命働いていた。それは人間の姿ではない

今後はさらに多くの方が税金支払いのために働くのが当たり前になってくる

インボイス制度の陰で法人税は下げるという

 

そして得た税金は他国にばらまいているのが現状

そういう中できちんと生きていくには楽しいことをしながら質素に生きていくのが一番強い生き方かもしれない

日本の文化を大事にし

日本人の優しさや勤勉さそして強さを信じてーー

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする