チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

夏越の祓い

2022年06月30日 08時06分24秒 | 日記
今年の上半期の罪穢れを神様が祓い清めてくれる儀式が「夏越の祓い」
ありがたや

私達は野菜や魚また動物の命を頂いて生きている
または無意識に虫を殺したり、簡単に草木を折ったり
または他人を無意識に傷つけたり、自分おも傷つけたり
この知らず知らずの罪を神様が全部まとめて清めてあげよう。というわけ

知らず知らずに犯した小さな罪は「気が枯れる」と言われそれが「穢れ」となる

この穢れの神事が毎年二回、6月30日の夏越のお祓いと12月31日の大祓い。神社では、茅野輪をくぐり「大祓い祝詞」を神官たちとともに挙げて罪穢れを払う

幼いころは近所の人がより集まってヨモギ餅を作り、子供たちがヨモギの枝をもって大騒ぎしていた。それが楽しみだった
ヨモギの葉をつるすところもあり、またイワシの頭を玄関につるしている地方もある

今ではヨモギの葉をお風呂に入れて身を洗い清めるという人もいる

この大祝詞は日本人の根底の精神を表していると思う
多くの方は写経をするが、もちろん其れも素晴らしい行、大祝詞を筆で書くというのをこの日の習わしにしてみるのもいいと思う

とにかく日本の神様たちは合議をよくなさり、そのうえで「つみというつみはあらじ」と瀬織津比売さまが代表して海に流してしまうのだ
こんなありがたい国が在ろうか

今日は茅野輪くぐりをして大祝詞を唱えよう

それにしてもよ

こういうありがたい神事に「コロナにより蜜なるために一般参加はできません神官のみで執り行います」とさ
神様も面食らっていることだろう
仕方がないので茅野輪をくぐった後、墨を摺って静かに大祝詞を清書しよう



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着物が繋ぐもの 493

2022年06月29日 10時31分31秒 | 日記
久しぶりに上田にに行き桑畑や蚕の様子、そして出来上がった糸を見てきた
「和楽座」という呉服屋がある
樋沢社長がある日もう12年になるだろうか、チャ子ちゃん先生の著書「きものちう農業」の本を抱えていらした
まさしく飛び込んできたという感じ

「これからの着物はまさっしくこの本に書かれている精神を持っていないといけないと気が付きました、それで僕は養蚕から初めようと思います」
ついてはしかるべき人を紹介していただきたいと同時に、今度のご指導をお願いしたい・ということだった

その当時は呉服屋が生産者になるという発想はほとんどの方が持っていなかった
よくよく聞くと「百姓のせがれ」だという、しかし大手の呉服屋に25年勤めていて。
「あのとき先生の蚕の話を聞いて何か自分の人生に光が差してきたのです。本当に自分のやりたいことはただ着物を販売するだけではない、だけドどうしていいかはわからない」

という思いで呉服屋をやめ、違う職業に就きある日書店で「きものという農業」に出会い
「この形で呉服屋を経営しよう」
と思ったという

上田は真田幸村で有名だけど、実は江戸時代は全国に名をはせていた「蚕都の上田」だった。そのため未だに桑畑は多い。しかし放置されているので、樋沢っさんはその土地を借りて桑の手入れから始めた。幸い上田には信州大学の桑科があり、その先生たちに指導を受け桑畑は元のというよりさらにいい桑を産することにまでこぎつけた

「蚕は絶対日本の物にしてね」
ということで今度は大日本蚕糸会の研究に二人で「セリシンの強い蚕の研究」のとりかかり「青熟」という品種が一番強かったので、樋沢さんはその蚕を飼育することになった

更に動力で糸を引くのではなく、生繰りで糸を引きたいので「塩蔵」という繭の保存方法を飯島の「志村明」さんに師事して、いま和楽座の蚕のすべては「塩蔵まゆ」

2万頭から始めた飼育も今は10万頭にまでなりそうな勢い

その桑の葉で染めた糸が出来上がり何とも嬉しい糸との出会い

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きものが繋ぐもの 492

2022年06月28日 08時05分27秒 | 日記
今年は梅雨明けが早かった
六月も終わらぬうちに「もう梅雨が終わりました」とさ

単衣の着物の出番が少なく、3日前から薄物に手をとおしている
きものに詳しい方から
「もう絽ですか?いいんですか?」
との質問を受け
「自分の体が大事、暑かったら涼しくして体をいたわらないとね」
「だって6月は単衣って先生の本にも書いていますよ」
「確かにねそれは季節の受け取り方の標準を示しているのであって、よくよく読んでくださると、私のどの本でもあくまでも決まり事であって、その年の気温の変化で自由に考えてもいいと思う、それが着物を着る人の考え方、着る人が主、決まりが主ではありません」

こんなに人々が「決まり事」に従順になったのはいつからだろう
着物の世界も決まりごとが独り歩きして、逆に決まりごとに縛られて着物を狭義に考える人が多くなった

先人たちが毎日の着物生活の中で、より着心地の良い状態から決まり事を作ってきたわけで、時代が変われば当然その決まり事も解釈が変わってくる
いま大きく変わっているのは、花の季節に花に先駆けて花の帯を締める。というより今咲いている花と競演し合う。という考え方の人が多くなっている

桜の季節に桜満開の着物を着る
あじさい真っ盛りにアジサイの花の帯や着物を着る
さらに
花しょうぶが終わったから、名残の花しょうぶとして花菖蒲の着物にする

先に着るか
盛りに締めるか
名残で惜しむか

一つの花をそのような感覚できる人も増えた
花屋にも野菜も果物も「旬」を尊ぶ気持ちが薄れている昨今、着物の柄選びもそれに準じているのであろう

だからこそ
きものは「旬」を尊びたいとチャ子ちゃん先生は思う
だって「旬のエネルギーを身にまとう」ということで着物の柄や色は誕生しているのだから

素材は決まりごとに縛られず、柄や色はやはり自然のエネルギーをいただきたきたいなあ

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督促状

2022年06月26日 08時57分23秒 | 日記
令和2年8月に引っ越しをしたチャ子ちゃん先生
令和3年1月スタッフが独立し一人会社になった
その引っ越し騒動の時電気代の支払い忘れていたらしい

なんと!督促状がきて7月7日に電気を止めるという
えっ!

令和二年分が2か月未納になっていた
支払いが終わったら電話をせよという命令

この電話がなかなかつながらない
こういう時秘密の電話番号を督促状に書いてくれると助かるなあ
かれこれ一時間
つながったらこれがもう「怖いの何の」

「おぬ、ようも滞納しやがったな!電気とめてやるからなざまーみろ」
みたいな態度なので
「へへ―お代官様私が悪うございました」
高圧的に出たほうが強いよな、しこも女代官様

引き落としではないので(引き落としはしないと言い張る)コンビニで支払うことになっている
「そのコンビニの名を正確に言ってくださいっ!」
あたまごなしに命令されるのでおどおどしているチャ子ちゃん先生、どこだっけどこだっけと震える手で領収書の名前を探し伝える。ふー
と一件落着と思いきや
りー-ん
うん?
今度は男の声の電話会社
「令和三年の1月未払いが見つかりました、すぐ入金しないと来月の7日に電気を止めますいいですか?」
いい分けねえだろう?この野郎

とたんに火が付いたチャ子ちゃん先生
静かにきれいな声で
「まだ請求書を頂いていないので額面が分かりませんわね?お送りいただけますか?それから未納の月があったなら、どうしてその月に近い日にご連絡いただけないのでしょうか?年月過ぎてまとめて未払請求を送ってくるということは、そちら様の怠慢ではありませんか?、未払いがあってもありがたいことに電気を送ってくださっていたことには感謝いたします。
では再請求書をお待ちしています。その間にちらも領収書を調べなおします。失礼いたしました」

双方に非があるのだけど、実弾持っている方が「嵩にきる」のが人間のさが?
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参院選

2022年06月24日 10時41分15秒 | 日記
町は賑やかになった
選挙カーが走り回っている
街角には立候補の顔写真が貼られている
張り方の雑な党もあり(大きい党)丁寧に張っている党もある

西口広場では立会演説に出くわすことも多くなった
時間があれば立ち止まって聴く(どんな候補でも)

先日政府の要人が記者会見の後、それぞれが色紙をもって写真に写っていたのをみた。文字が上手とか下手の領域ではなく、色紙に書く作法を心得ていた人が一人しかいなかった。芸能人ではないのだから名前だけ大きく書くというのもどうかな?でもこれが今の政治家のレベル、日本を代表している政治家の知性、私達はこういいう政治家を容認しているのだ

政治討論会を聞いていても
論理のすり替えが多く頭のいい人は自分に都合が悪いと論理をすり替えて逆に攻撃する

まっすぐにシンプルに話し合いができないのかなあ、これも今の状況

このまま大きな政党が票を集めると「消費税が上がる」
今の日本は消費税で運営しているようなもの
いまから30年前に消費税が組みこまれたれた、3%だった、この時チャ子ちゃん先生は、自分のところで出していた「きもの秋櫻」という雑誌の発刊をやめた。だから消費税は記憶が深い。やめた理由が消費税導入だったから(この説明はいずれ)

この30年を振り返ると消費税を導入して生活が苦しくなった
とても貧乏になった、物価が高くなり財布のひもが固くなって、消費循環がうまくいかなくなってしまった
大量生産の物は増えたが、手作りの生産者への打撃は大きく深く、「ものづくり」が出来にくくなった

「消費税」で国を運営していることはおかしいと思う
そこをきちんと説明する人を見つけるつもり




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縁側の思い出

2022年06月23日 09時36分43秒 | 日記
昨夜 「チャコちゅうぶ」で縁(えにし)の話をしていて 戦前のわが家の縁側外交(笑)を思い出した
 縁側は東南の両親の寝室からぐるりと南側にあった 縁側の幅は一間幅、部屋は障子で仕切り外側はガラス戸、そのうえ夜は雨戸を繰る。太陽のある昼間はガラス戸を締めると冬は温室 
こういう縁側は正確には廊下というらしい

 庭木戸をあけて人がそこに集まってくる 屋根にひさしがあるので大雨でない限り縁側に座っていても濡れない、植木屋さんが庭木の剪定が終わるとその縁側でお弁当を食べたり、お茶をする
 母はその時庭の花や木の手入れをプロに教わる 
富山の薬売りが来る
薬の効用を母は聞く 
人糞を取りに農家の人が来る 
母は野菜の知識をそこで教わる
 輪島の漆屋さんが来る
 母は諸国の様子や漆の手入れ法を聞く
 魚屋さんが来て台所に行って刺身をつくったあと、縁側に来て茶をすすっている、
母は魚と海の話などを聞いている
 母はそういう外商の人たちに対して、巻きずしを作ってもてなしたり、パウンドケーキを作って当時としては珍しい紅茶など出して喜ばれていた

 その縁側で仕入れた情報を母は遊びに来た近くの人たちに伝えていた
 またそこでは若いお母さんが、子育てでの疑問を周りの先輩たちに質問し、みんなで知恵を出し合っていた 

先日建築家に聞いたけど いま建築法では縁側は作れないようになったという。みんなの「たまり場」が無くなった。玄関からの人の出入りは「よそ行き顔、他人行儀」家の作りから人とのコミニュケーションが広がらない世の中になったのだと、あらためて思う
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自分自身を俯瞰する

2022年06月22日 09時06分39秒 | 日記
博物館や美術館でちょっと気に入った小さなノートを見つけるとすぐ購入
持ち帰りそれに自分自身のことを書き連ねる作業をする

よく
「自分のことがわからない」
「自分のことは自分が一番知っている」
と両極端の言葉を耳にする。どちらも真実だと思う
と同時にどちらも違うー-とチャ子ちゃん先生はかんがえる

人はあまりにも自分を知ろうとしない
人はあまりにも頑なに自分を知っていると思い込もうとしている

勿論私も自分が分かっていない
人に映る自分を知ろうと躍起になっていたこともある
人にどう思われているかということを心配していたこともある

しかしある時
「この私を作ったのは誰?」
両親から生まれたことは確かだ、しかし此れは二人の作業ではなく、もう一人が参与していた、それは「神様」三人の作業の中で「私」という人間が作られた。では作ってほしいと希望したのは誰?それは「私」

そこに気が付いた時
「どういいう私になりたかったのか、この地球で何をしたいのか」それが分かるのは本人である「私」しか知らない、しかもその内容を知っているのはこの地球に私を送り出してくれた「神様」だ

なー-んだ
「私」と「神様」は一対なのね!
とノー天気に考え、何もかも自分自身に問えば答えはすべて「私」が知っているということが分かった

しかしながら「我」や「拘り」「頑な」という三つのサタンがいつも同居している、その為に行きたい途が途絶えたり、やりたいことが出来なかったりして、自分を責め、社会や、仕組みや、人のせいとして逃げる

それでノートに我が身を俯瞰して善きことも、悪きことも様々書き出してみると、ほんとうの「私」が浮き彫りにされる

ここの所失敗が多いので先日購入した手帳に書き連ねたら、事態が急展開してきた。めでたしめでたし

本日20時から「チャコちゅうぶ」でー-す
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今日は夏至

2022年06月21日 08時41分26秒 | 日記
昼の時間が一年で一番長い夏至
冬至の日と昼の長さを比べると夏至の方が昼の時間は冬至に比べ、4時間50分も長いのだそうだ
4時から明るくて、夜は7時くらいまで夕方という感じ

今朝は早くから目覚め夏至の日の出を拝みたいので外に出た
行けども行けどもビル。思いっきり東京湾まで出ればいいのだが、そこに行くまでに太陽は上ってしまう

しかしどうしてこうまでビルが多くなったのだろう
風水ではビルを「山」とみるので、山に囲まれて生活していることになる
しかし本当の山のエネルギーは味わえない
何を好んで都会にいるのかと歩きながら自問

会社を小さくした昨年、思いきり遠くへ行こうと物件を見て歩いた
住みたいと思うところは車がないと日常が送れないことが分かり、東京でも鄙びたところと探したら、ゴミの始末から細かな日常のことがすべて自分の手でやらなければいけない

会社の所在を移す、税務署の関係などなど公的な用も手間暇かかって煩雑
「やめた!」
と都心の狭いマンションに移動

都心は確かに便利、どこに行くのも大体歩いて用が足りる、バスも頻繁、タクシーにも困らない、映画館も、美術館もデパートも遊園地も至れり尽くせりだ
しかし「土」がない
土の気が欲しいので植木をいくつか置く

都心も50年前まではこうではなかった、土も緑も人の情もあった
とーふやさん、魚屋さんにはいろいろ教わった、果物屋のお兄ちゃん、八百屋のご夫婦、お惣菜やのおかみさん、郵便局のおねーさん、みんな顔見知りで世辞を言い合う。余所行きの着物を着ていると店の奥から飛び出して着てほめてもらえた

その当時から見ると狭くなった熊野神社は夏至の日に夏越のくぐりを作る
その作業をのんびり見ながら、今日の日の出の代わり

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初めてのナレーション

2022年06月20日 09時09分31秒 | 日記
「ハイ解説すればいいのね」
と軽く考えてスタジオに入った
目の前にマイクがある、ミキサーやプロジューサー他にスタッフ
原稿が渡された

比佐子流着物着付けの動画を作りそれのナレーション
動画を撮影中にモデルになった田中美咲の動きを傍で解説していたのだが、その声には外の音も混じっているので、改めてのナレーションという
「そうですか」
実に簡単に受け取っていたのだが事態はそうではない

渡された原稿は私が書いたものではなく、私の言葉を文字起こししてさらに簡略化したものだった
そのうえ動画を見ながら語るのではなく、ただその原稿を読むという、つまりそれがナレーション

「やったことないよ」
と言ってもみてもはじまらない
自己紹介が終わるとすぐ本番
「本番前三秒っ、さん、に、いち、はい」
「まず足袋からはきはじめます」
と声を張って語り始める

マイクに向かて、書かれた原稿を読んでいく
「ハイそこまで!」
「持っている原稿の紙の音が気になります、もういちど初めから」
「ハイ」
小学生の時の国語の時間のように、両腕をまっすぐ伸ばしてシッカリ紙をさえる
初回は緊張したいたのですらすらと読めたのに、二度目はこはぜをこはじと読んでみたり、濁音がうまく言えなかったりとしっちゃかめっちゃか

少し慣れたときふと気が付いた
自分の頭の中で着付けをし、其れに向かて話せばいいのだ
「原稿どりではなく、言い回し変わるかもしれませんがいいでしょうか?」
「勿論ですよ」

スラすらスラ
「すごいですねえ」
と褒めていただく

全ては自分の中にある、それを引っ張り出せばいい、こういうコツは生き方にも言えるなあ、なんて余裕

其れにしても「プロ」の方たちの仕事に対する厳しさと優しさを感じた時間だった
動画は7月発売
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いよいよ明石から光

2022年06月19日 08時22分07秒 | 日記
これからの世界は東経135度一帯で起きる文明が中心になるといわれている。というより1995年からすでにそのように地球は動いている
人の意識がそれについて行けていないだけ
東経135度は兵庫県の明石
その明石の泉房穂市長がご自分の軸がしっかりと定まって、市民ための政治を執り行っている
「子供家庭庁法案」というのを作り、そのことを取材したNNKがニュース9で取り上げることになっていたにもかかわらず、急遽別の番組になってしまった
隠したい、伝えたくない、知ってほしくない、なぜ?

間違った国の法律を市民に押し付けて、市民を悲しませるのは市長の仕事ではない、間違った国の法律から、体を張ってでも「市民を守る」のが市民から選ばれた「市長の役目」だと公言し、子育て政策が充実していて、若い夫婦の転入が多いそうだ
9年連続人口増加というのもすごい
子育てだけでなく高齢者、身障者に対しても心を尽くした条例が出きていて、すべての条例が国政と反する市民目線
「子供はみんなの宝」そして「高齢者は知恵の宝庫」という感覚の姿勢。昭和の終戦直後までは日本はこういう感覚だった
大人たちは自信に満ち、威厳があり優しかった

さて明石は人が増えて賑わい、財政が豊かになる、その財源を福祉に使い、みんなが安心
そして大いに消費活動が活発になる、そういうところに人は集まる。この循環は人が平和に暮らす基本

いよいよ東経135度にエンジンがかかってきた

日本人であることに誇りを持ち希望に満ちて生きて行こう







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