チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

愛について

2021年06月30日 09時14分01秒 | 日記
「愛」は最もむつかしい
聖書は「信仰」のあり方より「愛」について深く書き込まれているようにあ思う
チャ子ちゃん先生はトランプ大統領の行動を見ていて「愛の人」なのだなあと感心する
大統領にどうしてもなりたいというのであれば、いろんな手があった
しかしそれを選ばず、人々の覚醒を待った

自分の国を自分たちの手で栄えさえるためには、国民の自意識が必要、自分たちの手でくにづくりをし、国に誇りに思ってもらわなければならない
アメリカの人々の覚醒は世界の人々の覚醒にもつながる。地球は一つ
国民の利のためには己の利はおわない
その結果は28日から始めたラリーでのあの人の群れ、トランプ演説が始まる6時間前から人々の長蛇の列、誰一人マスクもしていない

一二三神事にもある「悪紙拝んでも正しき愛と喜びを持っていれば、善き神の方に通じる」と

自分の中に正しき愛があれば何も怖がることはない

「農薬のかかっていない野菜を食べましょう」農薬のかかっている野菜を食べても健康でいられる体を作 ればいい
「病気にならないように予防注射を打ちましょう」病気にならない体を作ればいい
「だまされないように注意しましょう」だまされてもすぐ立ち直れる強靭な心になっていればいい
内側を整えれば外からくるものが変わる、この思想は日本人が本来持っているものだと思う

「自分自身を心から愛する」そして利のために動かない心を持っていれば、愛は天に通じる

愛をもって生き続けていくというのはかなり難しいと感じる
でも人の一生はどれだけ自分を愛し、人を愛し、自然を愛し、生けるものを愛したかに尽きるように思う

利己愛は絶対愛とは言えない


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着物が繋ぐもの 432

2021年06月29日 12時00分08秒 | 日記
最近私は「こういう着方をしています」という写真をよく見る
多くが着物を着て中にセーターを着て靴を履く、または二部式にしてハイヒールを履く、スニーカーを履く
決められたこうでなくてはいけない。という着方を崩したいという気持ちよくわかる

着物で生活を始めて間もなく
髪も整えずお化粧もしない格好で表に出ると「ご加減悪いのですか?これから病院?」と聞かれた
このころまだ日本は1960年代だけど、向こう三軒両隣は親密で、更に人間の数も少なく、ほとんどの人が他人を気遣っていた
「人の目」というものがあり、その人達の正義に合わないことは厳しく注意された

毎日着物を着ようと決心して、そう「決心」が必要だった
戦前着物を着て過ごしていた人たちがまだご健在で、その人たちのお眼鏡にかなわないと注意が飛んできた
それは「着方」ではなく、着ていく場所の着物の選択の仕方、着物を着ていることへの言葉使い、特にお礼の言葉。そして所作

「お里が知れる」
という言葉でよく注意を受けた。お里は実家の親のことなので、親が責められるようなことはしてはいけないと思い、自分の身を正しくすることに注意をした

母に徹底して反抗していたにもかかわらず「お里が知れる」という言葉には強力な母への回帰があった
着物に手を通すことを嫌がっていたにもかかわらず、よもや着物を中心にした仕事をするなんて母も私も思いもよらないことだった
「ヒサちゃんが着物を着始めた」というニュースを姉が母に流したところ、姉を通じて母お手製の腰ひもや、襦袢、買いそろえていたらしい着物や帯が送られてきた

それを手に取って使ってみて母の想いが少しわかり「お里が知れる」という言葉に反応し、自分も人も心地よい着物の着方、礼儀作法を心得るようになった。

日本人が使う言葉はひとの心をいつも正常に戻すものだと感じる
着物が喜ぶという着方をしたい

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エレキの神様

2021年06月28日 08時29分35秒 | 日記
寺内たけしさんが亡くなったという知らせ
わが青春のエレキギター
このエレキギターを世界で初めて作ったのが寺内さんだったと、しかも5歳の時なのだそうな

エレキは今ではごく普通の楽器になっているが
当時は大変な話題になり、学校では禁止条例が出された
ただただうるさいというのだ、そして少年たちが集まって合奏したりすることも禁止された「不良の集まり」

その中で寺内さんが行動を起こした
エレキでヴェーとーべンの運命を弾いて親や教育者を黙らせたのだ
そのうえ全国の高校での演奏会を行い、一気にエレキブームを起こした

運命の曲はエレキにピッタリだった。今度はクラシックを行儀よく演奏する人達から「作曲家への冒涜だ」という狼煙の声が上がった
しかしそれにめげず数々のくらっしくの名曲をelectric guitarで演奏し、多くの人の喝采を得た
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着物が繋ぐもの 431

2021年06月26日 08時35分22秒 | 日記
昨日チャ子ちゃん先生はライブで、大島紬命の藤後一矢さんと対談した
マイクの調子が悪くて不手際なところがあったけど、着物は着て楽しむ、作って楽しむ、仕立てて満足、販売できてうれしい。いろんな人が着物を中心に生きていると思った

藤後さんは大島紬の作り手を絶やさないようにとここ40年がんばっている。その中の一つに、大島紬の白生地で更紗を染めてみたい
絣だけの表現がいずれ厳しくなるという観が働いたのが40年前だそうだ
染をやってみようと思って東京友禅を染めてみたが、南国育ちの感性とはちょっと違う。そこで出会った更紗に心動いた

更紗はインド、タイ、インドネシアとそれぞれ趣向の違うデザインがあり、三つの国の生産場所に赴いてみて、ご自分の感性に合ったのがインドネシアの更紗だったという。一般的には「ジャワ更紗」
インドネシアにはあの大東亜戦争の敗戦の時、その地に2000人の日本兵が残っていた
オランダ領の当時ジャワは、戦争が終わったときオランダの軍が攻めてきた、その時立ち向かったのがスカルノ大統領で、その後ろで戦ったのが残留2000人の日本兵。そしてオランダに打ち勝ち、ジャワは独立できた

その為国名が変わったインドネシアは親日国でもある「日本軍のおかげで国が独立できた」と喜び、それを孫子の代まできちんと伝えている国だ

その国の産業でもある更紗染めは中国寄りの場所での更紗、南の方の更紗と微妙にデザインや色が違うそうだ
その二つの土地に工房を持ち、大島紬の白生地に更紗を染めた
もともとこの国は木綿や自国の洗練されていない絹に染めるという技術であり、大島紬のような撚糸の糸の白生地、まして長尺には染めたことがない。きちんとした染が出来るのに5年かかったという

その間着物の成り立ちや、着物の形、更には行儀作法(裸足で平気で反物の上を歩かせないなど)を伝えた
此処での更紗はすべて植物染料の蝋染、色落ちの防染は国内でおこなう

ち密な更紗が大島紬に新しい風を送っている
人件費が安いから他国で着物を染める、という発想が多い中。本場の染の技術をその地に定着させること、そして大事につないでいこうとする大島紬の蘇生。この二つが共存出来たことが、最もうれしいと藤後さんは言う

しみがつこうが、柄が鮮明に出ようがお構いなしの南国の性、しかし日本はシミ一つついたら生反と言えない。そのはざまの中で考えたのが、先人たちの知恵「切羽目布」つまりはパッチワーク。B反と言われる傷物をつなぎ合わせ、一枚の布にして帯を作り上げている。これがまた味がある
こうしてインドネシアの伝統と日本の伝統のコラボレーションを誕生させている藤後一矢さん
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オリンピックも瀬戸際

2021年06月25日 07時35分09秒 | 日記
切羽詰まった模様
ついに天皇陛下のお言葉、それに続いて宮内庁長官の「天皇陛下のお心を推察」という異例の記者発表、都知事は入院
なにごとも、やめる勇気というのも必要な時がある。これはなかなかむつかしいが、どんな人の一生にも、引くか突き進むかという選択を迫られる時がある。その時は「野生の直感」が正しい道を選ぶ

ただ野生の直感を養うためには、自分の体にまず免疫を高めていなければならない
それと自然をよく見ていなくてはならない、自然との交流を密にしていないと野生の直感はわかない

この度は「利益」ということが選択肢の中で重きをめしているように見受けられる
この自分にとっての利益を捨てる覚悟が出来れば、事態は好転するのだがーーー

基本的に湿気が多く、この暑いさなかの真夏にオリンピック開催を持ってきたときから間違っていた
前の東京オリンピックは10月だった。気持ちのいい初秋。いい意味の平和の祭典であったと思う

ある方から聞いたが
一日80万円の人、15000円の人、ボランテイアの人といるらしい。ボランチア希望の方はどんどん辞退しているとも聞く

何かおかしいと思う人と、何も感じない人の二極に人も分かれていくのだろう

これからの時代、自分でしっかり情報を把握して生きて行くと未来は明るくなるように思う
戦争と戦後を経験した身にとって、大きな時代の変化の中では、自分軸を持っていることが大切だと感じる
誰の意見でもない、自分自身の考え生き方が正しいと思うこと、依存して付和雷同することが、苦しさを産む

邸宅の「奥様家業」から長屋暮らしを始めた母の見事な変身のおかげで、家族は生き延びた
生きるということ、生き続けるということはどんな世の中になっても変わらない一本の真実

野生の直感を持つことが安全な道をみつけだすことでもあろう

政府がどういう選択をしても、私達は自分軸を持っていれば不安はないと思う

これから一か月日本はもちろん世界は大きく変わっていく、しかしその変化は未来の明るさにつながっていく、そう信じて静かに自分の場所で生きて行こう


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パンダのおめでた

2021年06月24日 08時51分59秒 | 日記
話は古いが上野に初めてパンダがやってきたとき、まだ現役記者で夜の到着にもかかわらずカメラマンと取材に行った
今のように報道記者が多くなく、ほとんどが顔見知りでみんなニコニコしている
こわもてのカメラマンが体中で期待感を膨らませており、思わず笑ってしまう
その時撮った写真今でも大事大事 そうカンカンとランラン、その動物は存在しているだけど周りに穏やかさを呼び込む。願わくばこういう人になりたいと思ったものだ

そのころ秋桜舎では週刊朝日の「催し欄」を担当していて、時々そのページにパンダの今なんていうのを掲載し、パンダのぬいぐるみを作っている方の紹介もし、カンカンとランランと名付けたぬいぐるみをいただき、それは今でも健在。ほとんどパンダ熱に浮かされていた

その後公開されて何年かしてスタッフ一同で上野動物園に行ったが、大きなお尻が見えただけで、「立ち止まらないでー」なんてメガホン(古いね)で言われすっかりパンダには興味を失った

ところが上野に「シャンシャン」が生まれ、パンダ熱が再開
4年前バレエのレッスンに熱心に通っていたころ、レッスンの場所が西武デパート、そこに三省堂書店があり、速めについた時はぶらぶら立ち読みをしていた。とある日立ち去ろうとしてふと見たのが「シャンシャン」の映像。「今週のシャンシャン」という映像、すっかり見入ってついにその日はレッスンをさぼってしまった。というくらい心奪われる映像。動いているパンダはかわいい。白と黒のあのバランスは神様でなければできない。母と子の愛の交換も心温まる。
絶対の信頼を母に寄せる子の姿、更に飼育係に見せる甘えん坊ぶり、どんな生き物も子供は愛くるしいが、パンダの子供は格別にかわいい、それはあの肢体によるものだと思う。過去の取材の時、大きくなると狂暴だと聞いていた、だけど子供のパンダにはその片鱗すら見えない。現実に触っていないので何とも言えないがーー

そして昨今はYouTubeもあり、シャンシャン見たさにアイパットまで購入する始末。十分に楽しんだ。勝手なもので母親から独立したシャンシャンには興味がなくなった(ごめんなさい)
これから双子の子育てのシンシン。どんな母の姿を見られるのか今から楽しみ
また多くの時間を三頭の母と子の情愛の様子にくぎ付けされる日々が来るのだろう

母の愛を一身に受ける姿が尊い
絶対の信頼を寄せる姿が美しい



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着物が繋ぐもの 430

2021年06月23日 10時37分23秒 | 日記
夏至に入ると夏物を着始める
夏物というのはsお財が透けて見えるもので、見た目も涼しい
日本人の織の技術のたまもので涼しき見える織の種3類は無限にあった
そう無限だった

まず手編みが一番初めに考案されたものだと思う、縄文時代はまさしく手編みだ
先日縄文土器を焼いている陶芸作家のところに行ったが、「編む」「綯う」という二つの縄を見せていただいた
現実に真似てみたがこれはなかなかむつかしい。この難しさからもっと単純にと思ったのが「織」なのではないかと思う

着るものも当初は大きなはっぱを身に付けたのかもしれない
また落ち葉などを拾い繋ぎ合わせて衣裳にしたのかもしれない
遺跡の中から出てくるものに、大麻の種や、
ほとんど裸での生活が長かったのではないか
編み物で布を作るというのは大変な手間なので、織が発明されたのだろうが、それが布としてあったらしいという幻の「倭布・しずり」という布がある
経糸が絹で、横糸が大麻だと言われている、もちろん誰も見たことがない。正倉院にもない(多分)

はるか昔から日本人の研究熱心さは他国にくらべて、群を抜いていたのではあるまいか
そういう中で
紗織、羅織、絽織という三大織物が出来上がっている
この三つの基本的な織を中心にした織物がそこから派生して天文学的な種類になったのだが、私たちの時代はそのすべてを見ることはできない

しかし基本の織は健在だ
個の織の心地よさを大いに味わいたい、それは着物を着ることによってしか味わえないかもしれない
夏の着物の醍醐味は、この素材を身に受けて楽しむということだろう

チャ子ちゃん先生は本日現代版「倭布」着てライブをしようと思う
ここ二日ライブ中にフリーズしてしまう、原因はまだっよくわかっていないけど、こういうことに詳しい方に出会いたいものだとつくづく思う
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身から出た錆

2021年06月22日 10時06分16秒 | 日記
日本の言葉に「身から出た錆」がある。
この言葉は深い
その延長線上に、「見ざる、言わざる、聞かざる」があり、見て見ぬふり、言わぬが花、聞いても忘れる、そして何事もなく争わず、平和に暮らしていく。しかし身から出た錆は。自ら行動するから出来るもの、そのさびをとることもまた生き方のバリエーションになる

どうして日光の東照宮にこの三ざるの彫刻があるのかおしえていただきたい
つまりは民衆はこの三ざるになっていれば、すべては平穏にいくという教えなのか
今の日本を見ているとこの三ざるの実行者がほとんどだ

こういう平和をみんなほしいのだろうか、何事もなく平穏に、耳に痛いことは聞こえぬことにしましょう。目に見えるおかしなことはないことにしましょう。真実を言うことはやめましょう
そうしているうちにじわじわと他の国の支配下になっていく
それが日本国民にとっての「身から出た錆」ということになる

もう戦争が始まっている
今回は武器を持った戦争ではなく、言論統制や行動の束縛、さらには添加物や農薬の害。最も恐ろしいのはレストランやホテルなどで使われている体温計量器、それを額に当てる。松果体を壊す方法だ。松果体を傷つけると「考える」ことをしなくなる。左脳がお留守

自然に反することはすべておかしい
そうでしょう?太陽が西から昇ってきたことありますか?
日本人は自然に反することはしてこなかった。その先人たちの尊い習慣も「三ざる」で消えて行ってる
「三ざる」をしていることはいづれ近い将来「身から出た錆」ということで臍を噛む

この日本の国を。日本人の優秀さを次の世代に繋いでいくのは、私たち一人一人に託されている
多母さんの言葉が響く「滝つぼに向かっている船から早く降りなさい」

文明法則史では、日本の文明が中心になることが決まっている。それは1995年から始まっている(平成7年)
昨日の夏至点も日本であった
宇宙は日本人の覚醒を望んでいることがはっきりとしている
日本人の精神しか地球を美しくできないのだもの
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夏至ですね

2021年06月21日 07時00分00秒 | 日記
1400余年に一回の日本を中心の夏至
12時31分沖縄が南中となる

子供のころ
夏至祭・冬至祭は子供の楽しみであった
家族そろって茅の輪をくぐり、そのあと森林を散歩し、家に戻ってお稲荷さんや甘いものが並んだ食卓で、みんなで花火をしたりして遊ぶ、ぼつぼつスイカも出ていた
戦後は全く失われた習慣だが、それでも母は小豆を煮てふかしまんじゅうを作り、お稲荷さんを作って近所の子供たちにふるまっていた

何でお稲荷ずしなのか聞くのを忘れたが、そのころ雨が降ったりお日様が出たりという不規則な天気が続いていて、それを子供たちは「きつねの嫁入り」と言っていた。その狐と何か関連があるのだろうか?
色々調べてみると、夏至の日狐の家族が集ってお祭りをしているのを畑の橋で見たことが在る、というような話もきいた

緑深い森の中を子供たちが鬼ごっこをしているのを両親が見ていた記憶もある
戦後何十年かたち、姉兄だけで兄の運転する車に乗って、国東半島を一周したことが在る。姉兄四人がそろって旅行したのもその日が最後だったが、ちょうど夏至の日で、四人で「どこかでお稲荷さん食べよう」と言って店を探したが無くて、仕方がないのでお汁粉を食べて夏至を祝ったことが在る。
その時兄が「夏至の日は妖精が森に集まっているから、森に入って休もう」と提案し、空き地に茣蓙を敷いてみんなで寝っ転がって樹木の「気」存分に浴びた

兄が「妖精」という言葉を使ったので強く印象に残っているのだが、姉たちは当然のようにその話を受け入れていたので、昔の子供はそういう自然との遊び方が上手だったのだろう。

その後下の姉は母の遺志を継いでというか真似して、夏至と冬至はささやかなお祭りをしていた。そしてその姉の娘、姪がさらにささやかだけど、夏至の日はお稲荷さんを作っている
こうやって女の手でかすかにつながれていく家庭の習慣もある

さて今日の夏至はぜひ意識してほしい
茅の輪をくぐり、緑豊かな場所でリラックスし、この日を境に本当に日本が中心になっていくことを、確り意識して、ご自分の使命を思い出し、新たなことに挑戦をしてほしい

12時31分
あなたのさらなる飛躍の時間の始まり
日本が全世界の憧れの国になるかどうかの瀬戸際。国が無くなる寸前になっている今、夏至が日本を中心にして行われることに、とてつもない多きなギフトをいただく感じがする

12時31分

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松ノ葉

2021年06月20日 10時35分59秒 | 日記
ちょっとした贈り物に
「心ばかり」
「気もち」
「ありがとう」
「寸志」
などが最近は多い、もっと前は
「松ノ葉」
という熨斗をつけるのが一般的であった

「松之葉」は細くて常緑、ささやかな物ですが、あなた様が常に健やかでいらっしゃるように、という意味なのだそうな
謙遜をした贈り物という、お返しを考えないでいいですよという意味もある

こういう言葉に感情を乗せた作法が日本にはたくさんあるが、最近はそれを感じる人もいなくて、意味は通じないことが多い
それで「こころばかり」という分かりやすい言葉の登場であろうか

お中元の時期になると、どんな言葉を乗せるかということで頭を悩ます
勿論そのものずばりの「お中元」という言葉が一般的
本来は夏至に入るとお中元、暑中見舞いとなり、立秋に入ると残暑見舞いとなるのだが、そういう作法を知っている方たちも鬼籍に入られた人が多い
こうやって日本のしきたりも日々変化をしている

消えていくものはなきに等しい、という言葉もある
本当の日本って何だろうと考える日々

松ノ葉と書かれた熨斗
心ばかりと書かれた付け熨斗
二つの文字を見比べながら、本当の日本って何だろう?と思いに沈む日曜日

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