チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

蚕の将来

2008年05月31日 09時14分05秒 | 日記
「絹の郷シンポジウム」で前橋へ。
さすがにお蚕さんの命で栄えた町
なんとなくゆったりとおおらか
更に緑が多く風格のある町だ。

世界文化遺産に登録しようとしている
富岡製糸場も見ごたえが有る。

日本養蚕の華やかなリし歴史がそこにある。

群馬は今も昔も養蚕業のリーダー。

この会には全国から糸にこだわっている染織家
更には
国産の糸で作ったものを売りたい小売屋さん
あとは
マスコミや研究家のお集まり。

チャコちゃん先生は
「お久しぶり!」
の仲間にあえてうれしうれし。

今群馬では
蚕は4令までJAの人工飼育で
養蚕農家は4令から育てるのだそうな
二週間と言う手間になり
農家は兼業ができるようになったと。

ココでしゃしゃり出ると
当方は初めから桑の葉で育てておるぞっ!

まあまあ、抑えて抑えて

20年位前までは
熊谷の駅を過ぎると
養蚕農家の家が眺められ
更に上越線の脇は全部桑畑であった。

最近桑畑が宅地になっているが
二週間の桑の量だと
畑も縮小できるわな。

桑は周囲の「場」を浄化するので
植えているだけでも
その場、地球と
良い波動になるのじゃがな。
大きくいえば
人類に貢献できる樹なんじゃあ。

そうそう
それぞれの専門の方の話は参考になった

「蚕を本当に好きな農家の人が養蚕を続けている」
と言う報告は
きものも
本当に愛している人が着る
と言う時代になってきているように思うから
納得!

国産の絹糸の良さはなあに?

と言う議論がまったくなかったのが
チト寂しい。

基本的に
どんな産業でも
それがなくなれば
技術は残らない

昔から発展途上国にいって
養蚕の技術を教えているのは日本だけ。

そしていまはそれらの国から
糸を輸入する羽目になっている
絹の使用量の
5%が国産ですからね、たった5%。

かって
輸出の花形だった
お蚕さんの将来は?
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今日は袷

2008年05月30日 09時49分16秒 | 日記
起きたら余りの寒さに
洗い張り屋に行く予定の白大島を
また引っ張り出し、
更に単の長襦袢も、そして塩瀬の帯も。
アア忙しい。

東京はさむいですわ。
昨日早朝の電車に乗って名古屋に行っって来たが
其のとき
中央線に乗っているほとんどの男が黒スーツ。
とても異様。

大雨だったが西に行くにしたがって青空、
帰りも晴れていて
しっかり富士の姿を拝み
喜んだのもつかの間
新横浜を過ぎると
またもや雨。

東京だけだよ雨は、
更に東京駅は
黒スーツの男の群れ、

どうした?
何かの告別式かいな。

きっと東京が
大地震になるところをを
雨がマグマを冷やしてくれているのだと思うが
その恐れのような感覚を
男たちは自分を武装したくて
黒になったのかなあ。

ところで
わが蚕、月曜日は体長4cmだったのに
今計ったら
なんと7センチ!!!!
4日間で3センチのびた。

食っちゃあ寝して
スクスク伸びる蚕に
怒涛の強さを感じる。

桑の葉だけでこんなに伸びるのか
パンダだって笹食べて大きくなる
人間は
いろいろ食過ぎか?
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無欲は大欲をしのぐ

2008年05月28日 10時00分36秒 | 日記
人が生きている限り
欲を持つことは当然だと思う。
其の欲が
文明を構築してきたもの。

教師とか
禅師とか、道を説く君は
無欲である方が美しい。
最近の精神世界を解く君もそう。

「無欲で戦ったら勝った」
と言う運動選手の言葉も聴く。

作り手も
無欲で作り上げるものが
人の心をうつ。

無欲、真からの無欲を通している人は
最終大欲の人を
しのいでいる姿を良く見る。

「大欲を持っていると無欲に通じる」
奥が深いがコレは真理。

これでいきたいなあ。

ところで
「チャコちゃん先生のつれづれ日記」
古いほうも併せてお読みになってね。
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無欲と大欲

2008年05月27日 19時30分13秒 | 日記
「比佐子好み」と言うくくりで、
企画販売をしてくださる問屋があるので、
ココのところ毎日作り手のところを回っている。

着物を作る人は
作りたくて作りたくてーー
そして出来上がったものを見るときの喜びを
格別な気持ちで
楽しんでいる。

作る人は
それをお金に換える術は
得意ではない。

無欲に作るから
いい物ができ、感動を呼ぶ。

其の大切な着物を
大欲を持つ人が
プロ意識を持って大いに商売をするといい。

ところが
其の大欲を、あたかも無欲のように
隠してしまうから中途半端になる。

大欲の人が
無欲の人を守っていくことが
自然の流れなのだが
今の時代
無欲の人も大欲を持たねばと
慌てている。

チャコちゃん先生は
無欲側。
学んだことを伝える、
知った情報を知らしめる
こういうことが今一番必要と
少し距離を置いたところで見ている。
そういう人が大欲を持ってはいけない。

大欲を持った人が
無欲の人を必死で支えないと
この国はつぶれる。

大欲を持った人は
遠慮なくずんずん稼げばいい、
大欲の人が無欲の振りをするから
本当の無欲の人が伸びない。

無欲大欲大いに結構。
お互いにとことん目的を持って
協力し合うことが必要。

いい着物が集まり
これから大欲の人との話し合い。

大欲の人が
きちんと大欲を遂行してくれれば嬉しい。

あなた無欲側?
大欲側?
中途半端側?
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高千穂

2008年05月26日 10時00分13秒 | 日記
天の岩戸神社には一度行ってみたいとあこがれていた。
やっとやっとお参りをした。
さすが皇室に関係が有る神社らしく、
いろんな御方のお手植の樹が生長している。
なかでも
島津御夫妻がお手植えされた樹が
大きく元気に育っていたのには嬉しかった。

島津御夫妻の新婚旅行は
「そうだ宮崎だった!」
其のご旅行の一部始終を写真に撮り、
写真集にまとめたのが中谷吉隆の処女出版だった。
それ以来お付き合いをさせていただいている。

そのお手植えの樹を見ながら
いまさらの様に思い出した。

そしてどうして
御夫妻が宮崎を新婚旅行の場所にしたのか
今頃
アハンと気がつく有様。

神様の賑々しいところで、
皇室の先祖の出身地ですものね。

天照大神はいうに及ばず
ニニギノミコト、海彦山彦、神武天皇などなど役者が
勢ぞろいの宮崎
高千穂は其の元の元ですもの。

ただし
まだこの高千穂が
其の神代の時代の所かどうかは
学者の間では
決定していないそうな。

しかし
庶民はそんなこと関係なく
伝えられたもろもろを
今もなお信じて先に伝えていく

歴史って、伝承って
それでいいのではないかしら。

そうと信じれば
それが本当になる

日本史が教室から消えて久しい
チャコちゃん先生も
着物のことを研究していなかったら
日本史を素通りしたかもしれない。

自分の国のこと
もっと分からないとーー。

ところで
NHKの土曜ドラマ「トップセールス」
山本むつみさんの書き下ろしだが
昭和30年からの30年間
たったいまから30年前のことでも
消えてなくなっているものが多いことに気がつく

最後が今週の土曜日
見てあげてね
山本さんは情報センター出版局で私の
「冠婚葬祭」や「振舞いの美」の本を
編集してくださった方。

応援お願いしますよ。

歴史を語る事の大切さに気がつく。
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久しぶりのバレエレッスン

2008年05月25日 16時28分31秒 | 日記
6週間もお休みしてしまったバレエ、
つまり一ヵ月半ということ。

「やめられるのかと心配してたのよ」
「病気だったの?」
「お忙しかったの?」

と声をかけていただくだけでも嬉しい。
私より後で入った方
とても上手になっていたわ。

とにかく続けることですね、
気持ちがいい。
体中の筋肉や細胞が喜んでいる。

日曜返上で、
動き回っているのに
疲労困憊しないのはバレエのお陰か。

体が健康だと
正しい空腹
正しい味覚を感じ、

変なものたとえば辛すぎる
人工調味料を使いすぎている
油が悪い

などに敏感になり
受け付けない。

このお陰で
ストレスがたまらない。

でもねチャコちゃん先生
黒砂糖の食べ過ぎは年中。
金曜日に
きものサロンの山岸敦子さん
大好物の黒砂糖を手土産に打ち合わせにいらした。

三袋持ってきてくださったのに、
もう一袋終わっちゃった。
ココを節制できたら偉いネ、神様だネ。

声楽ももう二ヶ月おさぼり、
去年までは、
趣味優先の生活だったが

やっと仕事優先に
考えを改めたの、
そうしないと

着物を通して学んだこと
人に伝えきれない
急げ急げとウーチャンが言うからーー。

健康だと
ウーチャンの声もきちんと聞こえる。
ウーチャン?宇宙をおつくりになった方のことよ。
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日向灘?

2008年05月24日 11時00分14秒 | 日記
日に向かう都日向、
そうなのだ、日に向かう海岸に行こう。
日の出は0515分という。

4時に起き、支度をして、
伊邪那岐尊が禊をしたと伝えられる、
阿波岐原に向かう。
海岸線の美しい、シーガイアの一角にある。

ココでわが日本の神様、
スーパースター三人が誕生した。
天照大神
月読尊
須佐之男尊

海岸に着くと、東はまだ明けず、うっすらと紅色に染まりつつある。
海岸までクローバーの芝生を踏んで砂浜へ、
「あら、あそこ」
後から来る宮沢さんを振り返ると、
なんと!西の空低く満月が薄紅色に染まって、
ひっそりと沈もうとしている。

「うわー」
言葉にならない擬音を発して、
同行の塩野屋と宮沢さん、呆然と立ちすくむ。
幽玄ーー幽玄。

東の空が紅梅色に染まり、
そこからマゼンタ色と言うか、熟れたグミの実のような
(そういえば秋山家で30年ぶりにグミをいただいたなあ)
可愛い赤い太陽が顔を出す。

西を振り返ると、
かき消すように月の姿はなくなっていた。

砂浜に打ち寄せる波に勢いが出る。
太陽のエネルギーが満ち溢れて
水の表が膨らんでくる感じだ。

宮沢さんは早速足を水につけ
砂浜を歩く、
塩野屋は
砂に屋号を書き、
波が其の屋号をさらっていくのを
少年のように繰り返す。

朝日は
マゼンタからオレンジかかった色に変化をして、
私たちになじみの姿を披露する。

其の頃は周りの景色も
すべて日常に戻り
15分の宇宙劇場は幕を閉じた。

まさしく日に向かうこの場所で
神々が誕生したのかと感慨深い。
「日出る国日本」
と言った聖徳太子は正しい。

日の丸も日の出のエネルギーを国旗にしているのだ、
と言うことが腹に落ちる。

今年はコレで海からの日の出を
二回拝んだことになる。
三回目はどこかと今から期待が膨らむ。
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ブロバンス

2008年05月23日 09時52分17秒 | 日記
そこはまるで南フランスの農村風景。

そこに心洗われる様なフレンチレストランがある。
綾町、秋山工房から車で5分。
秋山さんは颯爽とオートバイで道案内。

道すがら、
水田、麦畑、野菜畑がありのどか。
道から店の入り口までのエントランスに花が咲き乱れ美しい。
店内に入らず、
そのままぶどう棚の下にあるチェアーに座ると、
目の前に美しい川の流れ、

庭はどこまでも続く芝生で、
周りはミニ薔薇が咲き競っている。

真っ青な空、
百花繚乱の色の洪水、
緑の芝生、
薄紫の山の峰、

秋山さんが自慢げに私の顔を覗き込む
「何時からブロバンスになったの?」
「フフフ先ずはワインがおいしいですよ」
と席へ。

この店のオーナーは、
16年間フランスで料理の修行をしてきた料理人。
もうワクワクどきどき。

秋山さんのチョイスのワインは流石にうまい、
彼がこんなに面白い男だったのかと目を見張る。
エスプリの利いた会話が耳に心地よい。

塩野屋も京都人の建前会話(もともとない人だが)を引っ込め
蚕、絹、着物を愛する男同士のと言うより職人同士の会話に熱が入る。

女たちはもっぱら飲む、食う。
そして男たちの会話を盛り上げる。
料理がこれまた美味。

そこでチャコちゃん先生
「加奈ちゃん来年のつれづれの旅行はココに決めた!」
といきなり東京に電話
「エッなんですか?」
「いいのココに決めたから」
「アアはい」
「庭に満月が上がってきた!美しいよおー」
「はあー東京も今日は綺麗ですよ」

調理の総仕上げは、
なんと「蛍狩り」。
30歩くらい歩いた小川の茂みに
ポウーポーと蛍が飛び交っている。
店の電気を消して
漆喰の闇の中に光る蛍

星がそのまま地上に降りてきたようだ。
そういえば
蛍の語源は「星垂る」からきている、
と聞いたことがある。実感!

蛍は雄と雌が出会うために
光を投げ合っていると言う。
お互いに相聞がかなったら光を消して茂みに行く。
「いつまでも光っている子は相手が見つからないの?」
心配そうに聞く独り者の美人Mさん。

「大丈夫必ず相手が見つかるから」
とどこまでも秋山さんは優しい。

もう絶対来年のつれづれの旅はここ。
そうそうこのレストランは
20人は泊まれるお部屋がある。

ホーホーほーたるまた来るよ。
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綾の手紬

2008年05月22日 09時07分40秒 | 日記
「小石丸が上がった」
蚕の話です。

宮崎綾町に工房を構えて31年、秋山さんは小石丸を育て、
全部の作品を国産の絹で染織しているわが国では数少ない一人。

チャコちゃん先生は今から30年前に取材で伺い、其の後も二度ほど、
そして4回目の訪問は18年ぶり。
秋山さんには東京や京都でお会いはしているがーー。

本当に小石丸が小ぶりの品の良い繭を作り上げたほやほや。
昔ながらのまぶしの中に行儀良く整列している。

奥方がさも愛おしそうにそっと撫でる。

藍釜も一気に増えていて
30個はくだらない。町の青年やベテランの男たちが、特産の焼酎を振舞って、
藍の機嫌をとっている。

藍も彼らも本当に楽しそうに時間を共有していた。
藍が大好きな灰汁もこの町の人の手によると言う。
もちろん小石丸を育てているのもこの町の養蚕農家。

30年かけて秋山さんが藍染、養蚕、織り、貝紫の染色、着物のデザインと、
プロを多く育て上げた。中には伝統工芸士も誕生。
ここまで育てるのは大変だったことだろう。

桑畑はさすが南国、
もう桑の実も熟れかかっていた。
「来週はフアンクラブの人たちが東京からいらして、ジャム作りをするんです」
秋山フアンは全国に大勢。もちろんチャコちゃん先生も其の一人。

この桑の畑はもともと鹿などの動物が下の川に水を飲むために通る獣道だったので、
「桑の葉を全部食べられてしまうこともある」
でも獣道を私たちが使っているんだから、
「どうぞ」
と言うしかない、と淡々と奥方。

「サルが大根を両脇に抱えて山に帰っていく姿っておかしいですよ」
ははは、と一緒に笑うが、ココに暮らす人にとっては死活問題だ。

同行の塩野屋の面々は、
志を同じくする秋山さんと日本の蚕の話、撚糸、糸取り、織りなどの情報交換に盛り上がる。

基本的に生繰りという、
繭の中で蚕が生きている間に、糸を取るのだが、
ヤハリそれが蚕の意志にもあっていると意見が合う。

小石丸は糸が細く繭が小さい、
其の糸を繰り上げるには、針の穴より細い穴に通して、
糸を取る。

私など針の穴に糸を通すのさえ困難状態なので、
この作業を難なくなさっている、この土地の女性を、
熱い尊敬の目で眺めていた。

沖縄生まれの秋山さんは、
沖縄の織りの技を生かし、ロートン織りや花織りを随所に入れる。

出来上がりは琉球王朝の格と、
藍の美しさに息を呑む。
見るものミーーーーーンナほしい。
ほしーーよ。特に藍白のロートン織り、ホシイホシイ。

話はココへ来てある問屋が
「比佐子好み」
と言うくくりで、チャコちゃん先生の好きな着物をまとめて売る企画をしたいという申し出。

もう6人は決めたので、秋山さんも加えてーーーニコニコニコ。

作る人たちの応援ができればこんな嬉しいことはない。
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単もいろいろ

2008年05月19日 09時32分28秒 | 日記
先人たちの知恵は驚くばかりで、季節はもちろん気温にいたるまでの配慮が着物に託されている。

ココのところ私は単を着ているが、気温に合わせて先人たちの習慣を踏襲している。

たとえば20度きった場合は、人形仕立ての単、つまり袖口、上前の衽にだけ裏を付ける。人の目をごまかす?と言うのもあるが、其の一枚が温かい、またせぶせをした仕立ても背中腰が温かい。衿裏も胴裏生地と同じものに。

20度を超えると普通の仕立ての単がふさわしい。衿裏も絽のほうが涼しい。衿裏は奮発して絹にしたほうが、襟元が崩れにくいので念のため。

素材にも気温がある。

真綿つむぎ系は20度前後まで、それを越すとチョットしんどい。
平織りの紬、たとえば大島紬などは雨模様の日など持ってこいだ。最近は機械織りのものもありーこちらのほうが柄が斬新ーチョチョイ着にいい。

昔の人は柄がヨコソといって、横糸だけで柄を現した大島紬を普段着にしていたが、其のほうが柄に遊びがあって若やぐ、ちょうど銘仙のような感じ。それが今機械織りになり、結構なこと。

仕立て上げても単だったら15万円くらいか。こういうのプレタで売るといいね。そしてじゃんじゃん着るといい。結婚式や儀式めいた会以外だったらどんなところにも着て行ける。雨に濡れても縮む心配ないもの。

25度になったら帯を絽縮緬や紗袋にかえる。きものも絽縮緬や生絹がお出ましか。

素材が変るだけで着ている人も見る人も涼しそうになり、きものの単はナカナカおくが深い。

洋服でいうと単はワンピースを着たような心地かなあ。絹が風に揺らいで軽やかで嬉しい。

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