チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

平成が終わる

2019年04月30日 18時08分07秒 | 日記
我が住む街新宿は昨夜から雨
朝は土砂降りそして18時の現在も春雨
浄化の雨なのか
何を浄化するのか、いいことも悪いこともみんな流すことなのか
平成最後の仕事は着付けの勉強をしにいらした方を喜ばすこと

人が喜ぶのは嬉しい
そうしたらチャコちゃん先生を喜ばせようと昔のスタッフが美しい緑色の革の小銭入れを持ってきてくれた
「もうすぐ母の日だからプレゼント」
小銭入れが汚れていて気になっていたのですこぶる嬉しい

そして彼女たちと仕事をした昭和を思い起こした
昭和は自信満々な月日を送っていたと思う
次から次へと思いつくまま楽しくキラキラ輝いて仕事をしていた
みんなを巻き込み巻き込まれた人も大喜びの昭和であった

平成はチャコちゃん先生いきなり魂との会話を始めてしまい大いに混乱した30年だったかもしれない
しかしこの30年の間に本も10冊出版し名誉の賞状も頂いたりしたが
仕事はハナバナしくはならなかった地味
しかし人としてどう生きるべきかをコツコツ勉強
自分自身を振り返ってみて至らぬことばかりに気付かされて気持ちも萎えてイアや時期もある
しかしながら本来どうあるべきかの仕事に集中したように思う
そのため会社の発展は望めなかった

平成の終わりに断捨離を始めいろんなものを処分した
そしてわかったことは「縄文時代」がいきなり明るみに出てきたのだ
着物の研究も縄文を外しては本当のところが理解できない
知らないで偉そうに生きていたのだなと笑止千万

天皇陛下のお言葉を聞いていて「象徴天皇としての30年の生き方」」に涙が出た
私達の国は天皇制を敷いている「象徴」という中途半端なお立場で苦しい日々をお過ごしだったのではないか
天皇制がこの国に存在している限り私達の生き方もそれに倣う事になる

ここでまた日本の本当の歴史を紐解くときが訪れたのであろう
しかも自分お手でそれをしなければいけない時代だ

とりとめもなく平成最後の日をこんな思いで過ごしているチャコちゃん先生

#チャコちゃん先生 #天皇制 #着付け 3縄文時代 #平成
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着物が繋ぐもの 146

2019年04月29日 12時02分21秒 | 日記
ここのところの蚕に対するモヤモヤした思いを今朝岡谷の照光寺の蚕供養で感情を治めて来た
昨日からここ岡谷では「シルクフエア」が開催されていて多くの着物愛好者またシルクに関して興味のある方たちが全国のあちこちから集まっている

岡谷は明治から昭和の初期まで製糸の日本の拠点として栄えたところだ
「岡谷蚕糸博物館」には日本人だったら一度でもいいから訪れていただきたい
日本を誇りに思う根本がここにある

さて
蚕は馬鳴菩薩(めみようぼさつ)様の背に乗って我々の元にお越しだ
供養の日は毎年4月29日11時からと定められている
美しい菩薩様

ご詠歌は
糸を吐き
繭を結びて
世のために
死を顧みぬ
虫ぞ尊き

本当に尊い
昭和9年日本の経済を支える蚕に対しての感謝で建立された日本唯一の供養塔だ
蚕糸業者18人(この時代はなんと多いこと、今は二社)そして蚕糸業で働く工女さんたちの手によって作られたという

ここの工女さんのことを「あゝ野麦峠」という本で書かれているがあの物語は真っ赤な嘘
それを正す間も無く社会は絹より石油繊維の方に向いてしまい
工女さんはおろか製糸業も激変!

思えば日産が糸取りの機械を開発し
トヨタが機織り機を作り
日本絹産業に貢献したがその技術がのちの自動車造りになっている
私たちの生活の中では常に根本に蚕がいるとチャコちゃん先生は思う

ハードな世界だけでなく、遺伝子の世界もそうだ
稲や野菜の遺伝子の技術も全て蚕が先
思えばパルプ繊維の人絹や石油繊維のナイロンまた炭素繊維も全て全て蚕の吐いた糸に近づけようとして開発されたのだ

なんとまあーー

心を込めて供養し幾分心が軽くなったチャコちゃん先生
さあ帰ろう!と

#かいこ ー#岡谷蚕糸博物館 #蚕供養塔 #照光寺 #tちゃこちゃんせんせい #中谷比佐子
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着物が繋ぐもの 145

2019年04月28日 10時17分41秒 | 日記
無菌蚕について考えている
無菌室で飼育される蚕を見たのは一昨年のことだった
八戸市の市会議員さんのご案内で熊本に赴いた
熊本には一つの企業はもう飼育を始めており、もう一つは山鹿地方でこれから大規模に始めるというので一山いっぱいの桑畑を拝見した
その畑に「桑蚕」を見つけてチャコちゃん先生一人で騒いでいた
桑蚕を知らないという職員がいて害虫だと思い捕獲して焼いていたという

「何と!蚕のご先祖様ですよ!と叫びながら桑畑奥深く入っていくチャコちゃん先生
みんな笑いながらあっけにとられている
しかし発見できずしょんぼりと桑畑から出て来たときは草履が泥まみれ
長靴を出してくださっていたらしいが桑畑に飛び込んだチャコちゃん先生のスピードには間に合わなかった!

さて
蚕は菌に弱い桑の葉に菌があれば瞬く間に伝染してあえなくあの世行き
そのほかにも虫のフンカビ空気汚染、また衝撃音などなど人工的な音や汚染された空気に弱い
そのため菌を出さない飼育の方法を考えるのは当然と言われれば肯定するしか無い

しかし
それはあくまで人間側の考えであって蚕の考えはどうなのだろうと考えてしまう

今回も新潟十日町で無菌蚕の現場に伺った
無菌室の蚕は「のびのび」と成長をしていると言う
ストレスがないのでいい繭を作る
その繭から石鹸や化粧水クリームさらにインナーやサプリメントができている
無菌室の蚕はここでも人様に献身的な一生を送っている

出来上がった商品は素晴らしく今これから人に必要なものばかりだ
そういう蚕に私たち人間はどんな恩返しができるのだろうとそちらばかりを考える

思えば蚕はこの地球に誕生以来桑の葉を食べて悠々と生を楽しんだのは束の間で
自分の命を守り子孫をつなげていく大切な繭を人の手によって取り上げられ、糸にされて人の衣類に役立つように改造されてしまった

古の日本人はその蚕への恩返しに布を捨てない仕立ての着物の形を作り、どのようにも繰り回しの出来る方法を考えた
それは蚕の命を大切にしたいう恩返しをしたい古の人の知恵だ

化粧品やインナーサプリメントは人を心地よくするけれど、それが蚕に恩を返すことになるのだろうか?
餌も大好きな桑の葉だけでなく、科学的に研究開発された大豆も餌になった
それらを粉末にして人工飼料として与える

この世に一か月生きて自分の命を閉じるが
自然の中では一回きり
家の中では三回か4回
無菌室では10回は可能大量生産ができる、しかも病気の心配がないので育てる方も安心

蚕はあの明治維新で大働きして国の経済を支えた
ここでまた令和の経済を支えるために生きているのだろうか?

この文章をお読みななったかご感想をお聞かせ下さい

#かいこ #無菌蚕 桑蚕 #ちゃこちゃん先生
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機嫌を取る

2019年04月27日 20時48分43秒 | 日記
小さいときからチャコちゃん先生機嫌を取られるのが大嫌いで
機嫌をとられれば余計機嫌が悪くなっていた
だんだん機嫌が悪くなり自分で立ち直れなくなって病気になったこともある
そしてますます人と交わりたくなくなっていく
機嫌を治すきっかけが難しい自分で直さなかればならないので何事もなかったように人前に出ルニは演出が


人はどうだろうと観察するが我が姉兄は根っからの明るい連中で機嫌の悪い顔を見たことがない
もちろん両親もそう
どうやら末っ子の私だけがっややこしい子であったようだ
だから機嫌をとろうとみんな気を使うのだ

大きくなって機嫌の悪いひとにあうと
立ち直りが難しいからほっといてあげようと思う
どんなに機嫌の悪い人がいても何事も感じないふりをして話しかけたり気にかけない
機嫌が悪いのはその人の都合だからーーほっておけばいい

機嫌を取るという意味で
持ち上げるとか、胡麻をするとかいう言葉がある
そんな重労働のようなことはやめておくといい

周りに機嫌の悪い人を無くす方法は「自分がいつも機嫌よくしていればいい」


上機嫌で毎日を過ごすには自分を肯定することだと思う
失敗があってもその失敗があったからこそ気づくことがある
失敗は天使だと思えばいい

今日は久しぶりに電車の中で機嫌の悪いおじさんに出会い「本人が一番つらいだろうな」と同情をした

いつも機嫌よく暮らすというのも現代人にはなかなか難しい
だからこそ
機嫌よくしていれば周りも明るくなる
それには笑顔と声掛けですな

# 機嫌が悪い #笑顔がいい #チャコちゃん先生 #上機嫌

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着物が繋ぐもの 144

2019年04月25日 14時21分08秒 | 日記
無菌蚕の飼育を始めた「きものブレイン」さんのところへ工場見学に十日町まで
見学に行く前に馴染みの滝澤晃さんの仕事場へ
加賀友禅の勉強をして十日町に戻り独立
地色の美しさと自由自在絵画を思わせる作風が好きで色々難題を浴びせながら染めていただいていた

日本で初めて東京サミットが行われた時
チャコちゃん先生当時主宰していた「女将さんサミット」から各国の名所旧跡そして文化的特徴を振袖の模様にしてそれを各国大統領夫人に送ることにした

当時の外務大臣は河野一郎でこの企画をとても喜んでくれたが
何せ当時の総理大臣の人気が薄く夫人はどの国からもいらっしゃらなかった
しかし贈呈式も華やかに開催してアメリカ、フランスの大統領夫人からは直筆の礼状をいただいた

それはさておき
滝澤晃さんとはまるで世界一周の旅を二人で行ったみたいにあちこちの写真を集め
また文化遺産それ遠くにの名物などを一ヶ月で把握して滝澤晃さんは手描き友禅の技術を駆使して染め上げた
生地はチャコちゃん先生のことだから国産にこだわり
なんと滝澤晃さんは三ヶ月で8カ国の着物を染め上げた(ロシアがその時入った)

「あの時は若かったからね」
「今は?」
「無理!」と二人して苦笑

でもそのおかげで着物は表現が自由でいいということがわかり作風が変わって仕事をしていて楽しい
と言ってくれる
出来上がった数十枚の着物を見せていただきワクワク楽しくなって
あれこれ羽織ってみる

時間があっという間に過ぎて「きものブレイン」へ
こちらも久しぶり
無菌蚕の飼育は1915年からという。先般熊本で見た規模と違い大掛かりだ

岡元社長とゆっくりお話しできたが無菌蚕は蚕のため人類のためという考えが伝わってきた
働いている人たちの希望に満ちた顔、明るくてキビキビした態度、岡元社長の社員に対しての穏やかな接し方
担当者ののびのびとした説明ぶり

「着物文化村」の構想も素晴らしく
初めて無菌蚕の飼育を取材した時の腑に落ちない想いはここでは一掃された
それは命を粗雑に扱っていないということなのだと思う

蚕に菌がつかないようにするため生の葉はあげない
大豆と桑の葉の人工飼料だ
またその人工飼料に合う蚕を学者たちが作り上げた

滝澤晃さんのところで、絽縮緬がなくなった 、塩瀬絽がもう出来ないと素材の心配をしてきたが
こちらでは黄変しない糸づくりに挑戦している

新進の仕事
人の手の挑戦
両極端の仕事ぶりが並行して仲良く生きる時代がやってくる証の二日間だったのだろうか?
整理が必要だチャコちゃん先生‼️

#着物 #滝澤晃 #きものブレイン #無菌蚕 #人工飼料 #
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着物が繋ぐもの142

2019年04月24日 13時15分44秒 | 日記
オーラソーマの話をもう少し
初めてオーラソーマのボトルを見たとき「襲の色目」と同じだと考えた
美しい!
ボトルの中の色が二層に分かれていて下の色が潜在意識、上の色は顕在意識ととってそれぞれの色の言語で、そのボトルを選んだ人の過去、現在、未来を解いていく

日本には色がたくさんあるのにそのような明快な解釈をしたものが当時なかった
ひとつひとつの色の意味は語っていても、色の階級制度はあっても
今その色を選ぶその人の心模様は解説されなかった

色は階級ではなく色は言語!
そしてチャコちゃん先生若い人たちに混じり勉強を始めた
楽しかった!遂にテイチャーにまで上り詰め人に教えたりもした
仲間も楽しく素敵な人たちが多く
「オーラードーマー風水」までも構築して各テイチャーのオフイスまで出張し色を中心にした風水を広げた

風水の師匠は鮑黎明先生だったので「色」を取り入れることをとても喜んでくださってさらに風水の奥義を教えてくださった

オーラソーマ風水は独特な広がりをして「風水師中谷比佐子」になってしまうことを恐れて講義では必ず着物を着ることに設定していた
そして着物とオーラソーマの接点はないかと探ったら

あった!

源氏物語の中、光源氏が関係している女たちに新年の着物を送るシーンがありその襲の色の言語とオーラソーマのボトルの二層が一致した!
大興奮!
その話をイギリス本校の校長に報告したら、名古屋での会合の時話しなさいという依頼
やったー
だったが源氏物語そのものを読んでいない人が多く盛り上がりは薄かった!

なんとなくがっかり気落ちしている時同期の人たちに励まされ
全くジャンルの違う場所で話をしたらいいとそういう場を作ってくれたりして嬉しかった!

しかし
その翌年の東北大震災の折我が東京の揺れ方も大きく、会社に設置していたオーラーソーマのボトルの半分が床に落ちて割れた

これはもうオーラーソーマをやめろということだと解釈して
スッキリとやめそれと同時に風水も辞めて着物を本道とした

経済的には大打撃だがもともと着物を通して学んできたこと
着物に恩返しするのは当たり前

それにしても紫式部はすごい
イギリスで生まれたオーラーソーマはまだ40年にも満たない
紫式部が色を言語として捉えたのは今から千二百年以上も前だ
日本の文化の底しれない深さと雅をオーラーソーマを学んで教わった
ありがとうよaura soma

#オーラソーマ #風水が#オーラソーマ風水 #源氏物語 #襲 #ちゃこちゃん先生 #紫式部 #中谷比佐子
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着物が繋ぐもの 142

2019年04月23日 14時02分21秒 | 日記
昨夜オーラソーマを学んでいたときの友人と再会食事をした
この友人とは初対面でベットをともにしたのだった

オーストリーの古城で行われた研修会
みんなはモダンな新館での宿泊だったが
長老であるという理由で大きな部屋を与えられたのだが
なんと 与えられた寝室は50畳もありベットの広さは8畳くらい 初対面の女性と同じベットで過ごすことになった
彼女は日本の大手企業の英国支社社長の秘書を長年勤めていて初めてスピリチュアブルな勉強をはじめたときだった

部屋の中は紫檀や螺鈿の中国ダンスが備え付けられテーブルも紫檀と古式ゆかしい
窓からはどこまでも続く田園風景城主の領地だという

トイレは部屋の外で入り口に中世の甲冑がまるで主人を守るように立っていてこれが怖いのなんの(ハムレットだ今に口を効きそう)
その城は16世紀のもので入り口から動物の首がずらりと廊下ひさしから顔を出している
城の中を歩くときは二人固く手を握りあいお風呂もトイレも常に一緒、常に大きい声で歌って歩く(どういうわけか童謡、彼女とは世代が離れてないので二重唱になったり輪唱したりと結構楽しい)
歩くたびにチャコちゃん先生は頭から着物をかぶって邪気払いをする

当然その中に彼女も入ってくるので絹の威力に心底信頼が湧いたようだ
「比佐子さんの着物をかぶってると怖さが薄れる」といって一人で部屋を出るときも頭からかぶっていく

戸棚もタンスも大きくてそこから妖怪が出てきそうなので持ってる着物を全部外側にかけて部屋を楽屋部屋みたいに華やかにした
帯も棚の上からだらりと下げ大きなテーブルには帯をテーブルクロス代わりに

途中で城主夫人が挨拶にいらしたとき大喜びで一枚一枚説明を求められ一気に文化交流ができた

同衾している二人だがセミナー中は別々の行動をとり部屋に戻って情報交換

一週間同衾
日本を離れて久しい彼女に着物を着せてみたり
また着物から教わるいろんな日本の文化を伝えたりしている間にすっかり打ち解け姉妹のような感覚になった
また最後の晩はドイツやフランス、アフリカの人たちが私どもの部屋に遊びに来てみんなに着物を着せて着物の魅力をたっぷりと聞かせた

ローレライをテーマにした着物も持っていたのでそれを着て朗々と?ローレライを歌って聞かせた(迷惑だったかも)
着物の柄の自由奔放の表現力にみんな驚いていたし尊敬もしてくれた

二年ぶりに逢った昨夜も友達同士の会話ではなく姉妹がお互いの近状を報告しあっているという感じ
あれから15年になる
「あのときお部屋に來た人たちがヒサコは元気か?ってよく聞かれるので今日の着物の写真を見せてあげよう」

みんなの記憶の中に着物が生きていることが嬉しい

#着物 #チャコちゃん先生 #オーラソーマ #オーストリア #古城 #帯 #甲冑 #16世紀 #中谷比佐子
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着物が繋ぐもの 141

2019年04月22日 11時03分05秒 | 日記
養蚕についてちょっと書いてみたい

富岡製糸場がユネスコ文化遺産に指定され観光地になり多くの人が訪れている
蚕が日本の近代国家の先駆者者であったことを深く感じてくれれば嬉しい

明治維新で一気に近代国家の仲間入りを果たした日本
まず皇室行事から着物を外した
公的な国家の集まりには裃などの着物ではなくフロックコートやモーニングコート女ははロープでコルでなどの夜会服
当時は当然絹の素材が使われていたが明治の終わりにはウールや化学繊維のものになっていき
絹は廃れた

しかしながら絹を生む蚕の活躍は力をますます発揮し
「日本の生糸、日本の蚕の種は世界一素晴らしいの評価を受け生産量も世界一
ヨーロッパの王朝貴族の間では日本の絹を身につけることがステータスとなっていた

その心臓部分が富岡製糸場であった
他に岡谷、岡崎、飯田、宇佐などなど日本の各地で養蚕業が盛んになっていた

富岡製糸場は始め国家後に企業の手に渡るのであるが当初働いていて女たちは各潘から選ばれた士族の子女だった
教養豊かで才気あふれる女性たちがここで製糸業を学び
それぞれの地元に戻って指導した

袴姿も凛々しく当初はフランス人の指導を仰いだので
彼らが飲む赤ワインを見た人達の間で「富岡に行くと血を取られる」という風評もたったらしいが
機械化された製糸業を一気に日本全国に広げたのは富岡製糸場で学んだ女たちだった

群馬県を中心に広がった養蚕業はその生産が昭和30年の終わりまで日本は世界一を誇っていた
今でも見ることができるが
エリザベス女王の戴冠式のときそのドレスの素材に選ばれたのが日本の絹
その当時のイギリスは大英帝国の名の下世界で一番いいものが届く環境にあり
その中で一番人の目を引くドレスが愛媛県の野村町のものであったことを誇りに思う

しかし
化学繊維の台頭で絹の産業は一気に冷え込み今や養蚕農家の数は最盛期の1万分の一にしか満たない
しかも今年から桑農家も一軒になった

天皇行事で使う絹のお粗末さに呆れ果てたチャコちゃん先生
その糸を見たとき涙が止まらなかったしなんでここまで私は声を上げないで過ごしたのだろうと自分の愚かさに気がついた
同じように感じた若手が再建を誓い明治の初期まで続いた日本の素晴らしい糸作りに力を注ぐ計画を昨日ゆっくり話し合った

知恵と知識を伝える年齢になったのだと自分の立ち位置を再認識した夜だった

# 養蚕農家 #桑農家 #士族の娘 #チャコちゃん先生 #富岡製糸場 #エリザベス女王の戴冠式 #野村町 #中谷比佐子
 
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友との付き合い方

2019年04月21日 20時38分51秒 | 日記
友とは
淡く付き合い
深く思いやる

チャコちゃん先生はこういう付き合い方を幼少の頃から実行している
あえて実行しようとしたのではなく自然にそうなった
それは小学校上る前と低学年のとき二度の臨死体験をしたことに原因があるのではないかと思っている

小学校5年までの殆どを病床で過ごした
一回目の臨死体験は親たちに黙って近所の庭の青い梅を食べ疫痢になった
二回目は玄関に爆弾が落ちその爆風で腎臓破裂に近いことが起こり臨死体験
二回とも母たちの呼び声で帰還している
そのため寝たり起きたりの病床生活が長かった

友だちができないので友を遠くで見て優しく応対するというのが自然の行動だった

姉と兄の教科書などを見ているうち成績は抜群に良くてたまに学校に行って試験を受けると大抵満点だ
しかし体操はできないのでこれは劣等生
学年の終わりに優等賞などの受賞があるのだが試験の点数はいいのに賞状をもらえない
それで担任の先生に「どうして優等賞をもらえないのか」と聞きに行った(図々しい)
今でも覚えている首藤先生という女教員
「比佐子ちゃん小学校は毎日元気に学校に来る子が一番優秀なの比佐子ちゃんみたいに休んでいる子はいくら成績が良くても優等生になれないのよ」

そうか
病気を真剣に治そう母親の言うことを聞いて元気になろう
そう決心したらメキメキ健康になり6年のときは欠席日なし
ところがところが
元気になりすぎ勉強はそっちのけでほうけ優等生どころではない
親も床に伏しているより元気のほうが良しと考え勉強をしなさいという注意はない
いい気になってやりたい放題

友だちがいなかったのでたくさんの友達が一挙にできて付き合いが忙しい
小さいながらもそれぞれ派閥があることにある日気が付き
どこの派閥にも属さず浅く付き合うことを覚えた

友達の輪の遠くにいるので悲しそうな子仲間はずれの子がすぐわかる
そういう子にはとても親切に優しく相手をした
しかしそれも学校内だけの友
家に遊びに行ったり連れてくることもせずこのころから淡く付き合い深く思っていた

深く思うのは一方通行で相手にはなかなか理解してもらえない
病床で一人遊びが長かったので人とつるむのが苦手で相手との距離が取れない

大人になるに従いお互いに深く思いやる友ができる
類は類なのだと思う
淡く付き合い深く思いやるという姿勢を貫いてかけがえのない友が何人もいる

優等賞は結局一回ももらえなかったがキラキラ輝く友という宝を手にしている

#優等賞 #宝 #臨死体験 #成績 #病床 #チャコちゃん先生 #中谷比佐子




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着物を繋ぐもの 140

2019年04月20日 11時14分21秒 | 日記
株式会社ワンズベスト を設立して30年の藤後一矢社長
今日は一矢展にお邪魔している
藤藤さんが鹿児島の大手の大島紬の会社の営業をなさっていた時
私たちは大島紬ショーと銘打って全国を回った
その土地の呉服屋さんと組みお客さんを舞台にあげてパリコレのショーを演出する方に音楽や照明を指導していただき、ほとり一人丁寧に歩き方着物の見せ方を指導していただいた

モデルさんだけは素人
メイクヘアー着付けはプロ中のプロの手によるので皆さん大喜び
舞台では照明をしっかり浴びて女優感覚
男も女も本当に花やぐ

その時の着物は大島紬としては斬新な絵羽模様
それを擦りで表現しているのでその精巧な織り上がりがとても新鮮だった

ショーには三人のプロのモデルを先導役にして場を締めていただいた
何と言っても着付け2分
この勉強でどれだけその後着付けの人たちの腕が上がったか計り知れない
当然補正などしている時間はない

着付けが遅れるとモデルの出待ちとなるので
司会進行のチャコちゃん先生はぶっつけの語りをしなければならず
お陰で大島紬の絣の内容、着方、見せ方、また他の着物との着方の違いなどとてもとても勉強になり今に役立っている

さて
その藤後さんは
時代が急速に変化し着物の需要が少なくなり大島紬の現場が危うくなってきた折、独立をし自ら作り手たちを守るために行動を起こした
もともとデザインも好きに加え市場調査が行き届いているので期待着物着せた生き物が常によくわかっている

そして三十年
ひたすら産地を守り着る人の趣向を研究し大島紬を作り続けている

「なんでそんなに頑張ってるの?」
「好きなんだわそれだけ』
こう言えることが清い。好きなことを一生かけて取り組むことはある意味幸せな人生だとも思う。
いいなあと思うから応援もしたくなる

今日は殿方ばかりをご紹介
結城派、大島派と別れるのも面白い
ピンクの大島を着て喜ぶ人もいた
本当に時代は変わってきた
しかし男の人の着物に対する思いが深くなっていることも確か。
ここ一番で着物を着て差をつけたいという若手経営者が出てきたことが嬉しい
自分で自分をイメージできるオシャレさんが多くなったのだろう

そういうことを学びながら会場にいる
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