今年はチャ子ちゃん先生の趣味の師匠たち、声楽、バレエを指導してくださるお二人が亡くなった
今日はそのバレエの先生に告別式
こういう感じになると「あなたはここらで店じまいしなさい」といわれているように思ってしまう
そういうことなんだなあーーと自分で納得する
しかし声楽も、バレエも後の指導者は健在、続けるかやめるかは私自身の問題となるのだがーー
茶道の師匠姉が亡くなったときから全くお茶の稽古はやっていない。存命中も熱心な弟子ではなかったけど、やはり稽古事は「人」につくんだと思う、稽古ではないが「仏の師」であった赤穂普門寺の住職もこの春旅たち、夜を徹して話しあっていたころが今や懐かしい
声楽は55歳からは始めた、「先生」といわれる自分自身を省みると、やはり傲慢なところが見える。それを意識的に謙虚に自分をしていくということにも限度があり、一計を投じ自分自身の仕事に全く関係のない稽古事をしてみようと思い、声楽を選んだ
幸い当時そばにいたマネージャーが「ママさんコーラス」に入っていて、その筋から先生を紹介してもらった
お目にかかると「素人を教える気は全くない」とけんもほろろ、二期会のプロや音楽学校の受験生などを教えているのでさもありなん。そこを粘って弟子にしていただいた
全くできないことをはじめから教わることで自分自身が謙虚になっていくのがわかる。それと同時に発声の基本ときものを着る骨の動かし方が同じで、新しい発見にワクワクしてきた。だから続いている
バレエも同じで「劣等生の自分」というものを感じることが必要だと思い、70歳でレッスンに通い始めた。先生は若いときプロとしてプリマを演じた実力者。しかし体を伸ばすところの基本を懇切丁寧に教えてくださる。固くなっていた筋肉もほぐれ、これも着物を着ていくときの骨の動きと連動をする。しかも音楽に合わせて自分自身の体を動かすことにうっとりする。外から見ると全く形にもなっていなくて滑稽なのだが、そんなことを指摘するのではなく、どの筋肉を伸ばすことで、体の動きがスムーズになっていくかを教えてくれる
足が上がらない。ジャンプができないという劣等感は美しい音楽で流してしまえる
こんな時間が自分にとって至福だったのだが店じまいかな?