チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物を繋ぐもの 309

2020年03月31日 11時53分04秒 | 日記

「イイ塩沢ねえ この技術はほれぼれ」

「わかる人に見ていただきたかった」

「イヤー素敵」

としげしげと手に取って肩にかけて体に沿わしてみているチャ子ちゃん先生

相手は出雲小田温泉の大女将石飛裕子さん。女将の着ているものは大島紬竜郷柄 

「似合う、この竜郷柄特別にいいものだわね」

「やはり見てくれる人がいると嬉しい」

泥染めの色が深い、絣の塩梅がいい、糸がいい、だから着る人の肌に沿っていてしなやか

「賢く見えるわよ」

「へへ」

そう、いい大島紬は着ている人の知性を引きだし、さらに女のしなやかさを表現している

こういういい大島紬が少なくなって、大島紬を着る機会が減ってきた

 

これ見てねと結城紬や染の名古屋帯が出てくる

「これいいでしょう?」

なななんと熊谷好博子さんの染帯ではないか!ここからチャ子ちゃん先生の熱が入っていく

染織作家との交わりの話、その手法、聞き手が熱心なのでこちらも熱が入る。しかも合いの手がうまい。さすがに旅籠の女将だと感心しきり、話の引き出し方が上手。それで夜も更けていく

 

とてもとても残念な着物もあった、本塩沢にガード加工がしてあった

「もったいないなんで?」

「仕事柄水気の物を扱うからガードをしておきましょうって、安心だから、いけなかった?」

「いけない!」

ま確かに仕事柄ガードをしていた方が安心だということはわかる、塩沢お召は強撚糸で織られているので水気を感じると一気に縮む、そのために雨の日や湿気の多い日は着ないそういいうこころ使い遣いが、さらに着物に愛着を持つことになる。縮むのでガードをかけるそれもわかる。

 

さてこのガードだがもともとは海軍の軍服に施したのが始まり、海の上、雨の中軍服は水をはじくのがありがたい。そういう誕生秘話をチャ子ちゃん先生はしつこい取材をで聞き出した。やみくもに反対するのではなく、何もかもしっかり見て判断したかったので、工場にも再三通った。そのうえでお召類や結城、上布、ちりめんにはぜったい施してはいけないと思った

しかしあまりにも素早くガード加工は着物業界に浸透し、どうして良くないかを語るチャンスもなかった。ガード加工の陰で手仕事の悉皆屋さんがどれだけ廃業したか。それを止められなかった自分自身の勇気のなさに今はほぞをかんでいる

 

当然チャ子ちゃん先生の着物にガード加工のかかった着物は一枚もない

先日も本場結城紬にかかったガード加工を取りたいという方がいて結城にもお願いしたが取れなかった

 

「転ばぬ先の杖」「用心に越したことはない」という心根は大事だが、それが本筋になってしまったら、本等の姿を見失う、今まさにそういう世の中になっている。ものの本質を生かす生活が最も尊い。それはその本質を生かしてあげることだと思う。そうすると自分も生きる。

 

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出雲にいます

2020年03月30日 11時46分06秒 | 日記

 「季刊kosmos」という雑誌を出版していた頃、出雲の呉服屋さんが「秋櫻の会」を作って下さり、年4回、出雲に通っていた。

5年くらい続いた。その都度一泊か2泊するのに、小田温泉を定宿にしてくださった。ここの広間で着物を広げて着物談義をしたり、お店でお客様たちと一日おしゃべりしたり、出雲大社にお詣りして、その帰りに瑞雲を見て感動し、別会社のロゴにその瑞雲をデザインしたり、遂にはは社名まで「出雲」にしたり、出雲大社は縁結びの神様だけあって、いろんなご縁をいただいた

その中のご縁でも、ここ旅籠小田温泉の女将石飛裕子さんとは長い。座敷童が楽しんでいる旅館ということで,全国からのお客様が引きもきらない。

今回奥出雲でお話し会を開いてくださる店があり、宿泊を小田温泉にしようとしたら満員。では別のところと思ってぐずぐずしていたら、このコロナ様の件で、一部屋キャンセルしかもできたばかりのベット部屋ーわーーい!

部屋の窓から美しい川のせせらぎ、桜並木、河川縁には菜の花がいっぱい、眺めて飽きない日本の原風景

そして毎晩ご一緒に食事。世の中ががらりと変わる今、時代の証人としてあらゆる角度から、このコロナで起きている大騒動を分析しながら未来を見る。

私たちの先祖が培った、身土不二の考え、自然との共存共栄の生活態度,自然観察の中で身につけた敬う心、徳を積もうという過ごし方、こういう日本人の礼節が今こそ世界の人々に理解できる時期なのではないかと盛り上がる

恐れや不安を手放して、今自分ができることを足元しっかり確かめながら日々を送るのが賢明。都市封鎖も聞こえてくる、ここは踏ん張って封鎖など西欧のやり方を真似せず、日本人の清潔を尊ぶ心、人を思いやる心、全てを受け入れながらも自分をしっかり持っている日本人。そういう民度の高い国民性を今こそ強く見せることができるいいチャンス。

人類の模範になれるいい機会、小泉八雲の住んだ鳥取も近いが、彼は日本人の民度の高さを尊敬し、自分は野蛮であったというような文章を残している。あのアインシュタインの言葉、日本という国をこの世に誕生させた神様にお礼を言いたい、いづれこの日本が世界の中心になる時が必ずくる、そのとき人類は初めていかに争いが醜いものかに気づくときがくるだろうーーーとこれは大正時代の終わりに日本で講演したあらまし

日本人の魂をぜひこの機会に磨きたいですね

 

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自然の運行と歩調を合わせる

2020年03月28日 09時32分54秒 | 日記
またまたコロナのことだけどーーー
人が二分されたね 不安におびえて焦ってる人と事態をきちんと理解して落ち着いている人と
日本は敗戦で生活感ががらりと変わったけど、今度はさらに本来の人間の営みを問われるが来た

これから芽吹きの季節、自然は自分の知性にのっとって粛々と時を刻み成長していく
人も新旧入れ替わる季節に細胞も入れ替わるという

日本の学校はこの自然が新旧入れ替わるときに学年がかわり、卒業、入学、入社という儀式がある。自然の運行にあわせた教育制度だといつも自慢に思う

他国は9月新学期というところ多いね、自然がこれから休み支度に入るときに新しいことを始めるというのは自然の理に人の営みがあっていない。だから自然を壊すことを何とも思っていないんだな

今度も「コロナに打ち勝つ」という言葉を使う、コロナを人類が制圧できる日を国民みんなで戦いましょうって。戦争態勢だ。これって今までの人類の考え方

今この騒ぎは「今までの常識は覆されますよ」という警告、戦いではなく協調の時。コロナが猛威を振るっているのではなく、コロナの名を借りて不安感情が蔓延している。その裏で悪を企てている人がいても、もうそれが許されない宇宙波動になってきている

それに気づいた人は日本人しかいないかもしれない。日本人の何割かの人は、今こそ自然との協調の時、日本の縄文時代15000年も戦いがなく自然の恩恵に感謝して暮らしていた先祖、そういう血が我々日本人に流れている、そこから「和」を尊ぶ国づくりを始めようと行動を起こし始めている

外の国の人々が「日本人はなんであんなにのんきな顔をしているの」と在住の日本人に質問するらしい。日本人の中にも「封鎖だ、出歩くな」という首長命令におびえている人も多い。

日本人の多くは自分が感染のもとにならないようにという心がけでマスクをしたり、手を洗ったりしている。自分だけが助かりたいという人もいるけど、多くの人は人にうつさないために身を守る。という思考だ

こういう考え方は他国の人々にも今では日本人の中でも理解できない人が増えた

しかし「コロナ抑制の陰に世界一のCT普及率」という小川和久さんの一文を読んで日本人の真摯な心根の尊さと、科学と自然を強調させた考えを改めて知った

自然の一部である人間を理解していたわが祖先の遺産をまなび、これから希望をもって生きていきたい、切にそう思うコロナ騒動




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着物が繋ぐもの 308

2020年03月27日 09時34分05秒 | 日記
日本の三原色は赤、白、黒。西欧は青、黄、赤
日本の三原色の中では白が「光」
祝い事も凶事も必ず光の白がある

そして光の裏には闇があり光と闇は表裏一体両方なくてはならないもの
光と闇の間に血の通う人間がいる、それが赤。日本は平安の時代から、公式装束には必ずこの三原色を使ってきた(チャ子ちゃん先生洋服はこの三原色を定番にしている、全く関係ないね)

光と闇の間にいる人間、光に照らされたり、闇の中にもぐったりしてこの地球で生きていく。日本人の考え方はこの三原色を理解するとわかりやすい

闇に入っていくと光のある所はまぶしくて出ていけない、思いきり光を浴びると闇は消えるのだがその勇気と決断は闇の中にいると出来にくい。しかし人はみんな光の中にいたい

生まれたとき光の布にくるまれる赤ちゃんは幸せだ
死ぬとき光の布を着せられたら自分の人生を肯定できる
光の布は絹

生まれて二度目の十干十二支が回ってきたとき、再び人間になり赤い絹を身に着けて残りの人生をまた無垢な心をもって過ごすことを誓う

日本人って常に自然の知性と一緒に生活をしていたと思う
光と闇と人間の営みを自然の知性にゆだねて自然と共存共栄してきた
天の恵みに感謝し衣食住を工夫して自然を傷つけないできた
日本人はそういう民族

1200年も変わらぬ着物の形それは自然の気候の推移に順応する知恵のたまもの、草木からいただく、繊維や色は自然と協調して作り上げていく、自然を打ち負かすのではなく、協調。この考えが希薄になっている現在に対して、自然からのご褒美がコロナだと思う

人間らしい生活、すべての命を尊ぶ生活、そして分かち合う生活それを思い出させてくれている。日本人の思考がこれからの世界の中心になる

光があまねく人々のところに届きますように







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極楽の住民と地獄の住民

2020年03月26日 12時44分45秒 | 日記
東京都知事の会見で一気に不安が生じてきたようだ
不安で不安でという人と、静かに自分を見つめこれからの自分に思いをはせる人
誰かを助けなければと動きまわる人
われ関せずを決め込みじっと家にこもる人
さまざまですな
これでその方の本質がわかる。不安村に行く人、愛の村に行く人と二種類に人類は分かれるようだ。愛の村に行きたい,行く。そこは与え合って生きている。むかし地獄と極楽はどう違うの?と父に聞いた

「こういう話を聞いたことがあるよ、地獄も極楽も一緒、お互いに長い箸をもって食事をするんだって、その時極楽の人たちは自分の前にいる人の口に食べ物を入れてあげている。だからみんなニコニコ楽しい食事風景」

「地獄は?」
「自分でちょっと考えてごらん」
「おかずをそれは嫌だあちらのを頂戴っていうので食卓がバラバラになって誰も食べることが出来なくなる?」
「うんまあそれに近いんだけどね、地獄人の食卓はその長い箸で物をつかむまではいいのだけど、自分の口に入れようとして、箸が口まで来ないんだって、だからイライラして手づかみしたり喧嘩になってくるという」
「長い箸ってどれくらい?」
「食卓の向こうの人に届く箸だから1メーターぐらいはあるかな」
「そりゃあ無理だわ」

父はよく夜の散歩に私を誘ってお星さまを見ながらいろんな話をしてくれた
今その話を思い出している
不安にかられた人人がスーパーに急ぎ自分のために食料や日常品を調達している

買っている内容を見るとほとんどインスタントもの
いい機会だから自分で作って食べようという気はないらしい、だからお味噌とかお醤油お米は十分にある

行政が戦争状態にしてしまったからまず食べ物から確保という気持ちはわかる。戦争と違うところは衣食住すべてが焼き払われるという危険がない。幼くてもその状況に身を置いたチャ子ちゃん先生、その時、分かち合って生きていく大人たちの姿をはっきりと思い出す。

不安ではなく一人一人が愛をもってこの時期を過ごしたい
そういう話をしたらいったんはチャ子ちゃん先生のお話会をやめようとしたスポンサーいまこそやりましょうと、えらい!

奥出雲 CAFE華羅 00854-42-5887 3月29日(日)10時~12時 会費4千円
    ランチタイムはコロナで何を学ぶか
お待ちしています。飛行機が羽田から飛ぶ限りかならずまいります



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着物が繋ぐもの 307

2020年03月25日 13時44分17秒 | 日記
今年の桜は何か遠慮がち、パッと咲いていいよ。桜の木に向かって話しかけている

今日は桜の花びらだけの帯を締めている
着物は一珍染で一珍の中に桜の木を隠し、花びらだけはらりとピンクで飛ばしている
こういう技術、感性は西欧文化にはない

きものの研究を初めていや気がさしてきたころ、鬱積した思いで仕事をしていて面白くないので西欧の美術を見ようと出かけた
イタリア、スペイン、フランスの3か国を一か月ずつ滞留して美術を堪能した

そうして分かったことは、日本の美術、芸術、古典芸能はたぐいまれに文化度が高いということだった

印象派の絵画のモチーフや色は江戸時代の浮世絵からの刺激が多い、陶器も、磁器も形の良さ、色の良さ、デザインの面白さは格別。日本を見たいという思いで外遊(古い言い回し)したので、一生懸命日本を探した。あるわあるわ日本っていいよ

勿論西欧も素晴らしい、特に建築や都市計画は整然として実に見事、こういう整理された美しさはきっと住む人の分別も整頓されているのだろうなあと思いながら街を歩いた。目が合うとみんなにこっとして目で会話、そういえば最近の日本人はみんなぶすっとしているな、などと比べてみる。

パリには大内順子さんのアパートがありそこにご厄介になる
そこで案内されたのは江戸時代の打掛のコレクターのお宅、お城が住居、大広間に10領の打掛が広げてあった、衣桁まで持っているのだ!(金持ちの桁が違うな)
「柄の説明をしてあげてよ」
「わかった」(何せ一宿一飯の恩義何でも致します)

絹であること、手仕事であること、打掛の形に無駄がないこと、とにかくたぐいまれな美しさに圧倒されていると感謝された。しかも春夏秋冬の柄の説明、その色の草木の話に心底驚き、日本のすごさはこれを見るとわかると感動してくださった

「ふーーワインのみたい」(そのころは酒豪だったよチャ子ちゃん先生)
「わかったわかったー着物の仕事を辞めるなんて考えたらだめよ、異国の人が日本を一番早く理解できるのは着物よ。着物から逃げてはだめよわかった!」
とありがたい説教

またねと言っていたけど「また」はおとずれなかった
それにしても大内さんの交友関係は立派だ!彼女の人柄だわね

所で江戸時代の日本の文化は完成品。また日本は鎖国したらどうだろう。他の国と全く違うのだもの、追従することないよ
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着物が繋ぐもの 306

2020年03月24日 09時54分25秒 | 日記
今日は紐の話をしようと思う
勿論着物の紐なのだが、別の意味もあるね「ひも」「髪結いの亭主」つまり女が稼いで男は遊びまわっている。女の母性愛に乗じているのだろうが、それでも男がいないよりはいたほうがいい。という風潮も今や薄い

そう着物の紐
着物を着るのに「紐が苦しい」という言葉をよく聞く
ある時ホテルの洗面所で振り袖を着たお嬢さんが真っ青な顔をしてしゃがみ込んでいた
「どうなさいましたか?」
「苦しくて呼吸もできない」とはーはーいいながら訴える
「どれ失礼、手を入れますよ」
と胸元に手を入れると案の定固くきつく締めた紐、その紐を緩めようとするが結び目が固い、荷造りじゃあないんだからと思いながら紐をほどく。さらに帯枕の紐も緩める。そして身八つ口から手を入れて長襦袢の胸の紐もとってしまう
「どう?」
「呼吸ができます、ありがとうございました!」

こちらが着物を着てるのですがる気持ちもあるのだろう静かに手を入れるのを許してくれた
「あのー」
「はい、まだ苦しい?」
「いえ、紐とってしまっていいんですか?」
「大丈夫帯で着物は固定されているからはだけることはないわよ、安心してね、これでご馳走いただけるでしょう?」
「ハイ嬉しいです、ありがとうございました」とにこやかな笑顔を残して去った

紐について考えさせられた

着物を着始めたころ着物を着て仕事をしている着物プロの人たちの着付けを随分取材させていただいた
装束という系統は紐一本で着付けが終わる、芸者や舞妓も紐は2本で用が足りる
大御所の女流作家などは紐なし、紐を使っで着付けていくが着終わったらすべて抜く。だから24時間でも平気で原稿を書いてり動いたりしている

すぐ実行のチャ子ちゃん先生
紐で着付けて紐を抜いてしまうという着付けに挑戦した、夏は本当に涼しい。紐が空気の流れを止めていることが分かった。だから逆に寒い時は紐を使いきちんと着ると暖かい。紐三本、長じゅばん一本、着物二本というのが一般的かな?
男は無しだね(理想)そうすると腰が締まり、上半身に包容力がわき色気が出る

何事もプロの道にいる人にものは尋ねるべきだと思った



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落ち着こうよ

2020年03月23日 09時39分44秒 | 日記
崩壊が秒読みに入ったとか
世界は戦争状態とか
危機管理のない日本は情けないとか

マスコミの情報は鵜呑みにするなという一方で識者という人たちが我勝ちに自分が受け取った情報を恐ろしげに流している
その方が怖いよ

オリンピックはできない。それは当たり前でもうみんなもわかっている
オリンピックそのものの在り方を根底から考え直さなければならないこともみんな分かっている。中止にたいしての損害賠償やらも支払わなければいけない、それも国民の税金を使って、そういうこともみんな分かっている

その後に起きる経済破綻もみんな分かっている(敗戦後のようにみんなゼロから出発)
株安の中金持ちは株を買いあさっていることもみんな分かっている(大富豪の誕生だ)
目先の利いた人はお金の匂いを嗅ぎつけていることもみんな分かっている(すでに大儲けしている人もいる)

日本の政策は食糧の輸入に頼って自給生産が少ないこともみんな分かっている(大国への依存を考え直すいいチャンス)
まずは食糧難になることもみんな分かっている(ダイエットしなくて済むよ。不食の人が増えて日本人は頭がよくなるかも)

何もかも無くなってしまうこともみんな分かっている(広島は原爆にあい100年は草木も生えないといわれた)

戦後に成金がわんさと台頭したように、コロナ成金が誕生するのもみんな分かっている(そういう人たちがまたバブル経済を作るかといえば今回は無理だと思う)

敗戦後の日本を経験した人は怖がらない、落ち着いている。ゼロを体験しているから。若者の有識者がわが情報こそが正しいとあおっている

世界の裏側で何が起こっているかあなた方は知らないだろうが、おそろしいことになるよーーと、今は世界は一つにつながっているので,世界で起きることは必ず日本に来ると,有識者は世界情勢を日本に持ち込んで同じ道を辿るといっているが、西欧の文化こそが崩壊することを知らない

日本人は慌てないことだよ、違うんだから。自分にそして日本人そのものにもっと自信を持ちたい、そして自分自身を清く、人に対して優しく「和をもって尊し」の日本人を自分の中で確認しよう。礼節のある日本人に戻ろうそれが宇宙の意思だよ

外側の情報を取るより自分の内から湧いてくる思いを大切にしたいと思う
とにかく落ち着きませう
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日本人は日本人としての生き方がある

2020年03月22日 10時48分29秒 | 日記
若い友人たちから、コロナに関して様々なユーチューブを送ってきてくれる
本当にいろいろ
世界の状況を冷静に見つめている人
精神世界の立場から宇宙法則を唱える人
長い人生の経験から今後の未来を構築する人
天体の星の動きから今後を占う人
風水的な見地から今後を見る人
金融の動きから未来を想像する人
日本の過去の歴史から今を説く人

イヤー日本人ってこんなに論客がいたのですねえ
しかしもっと読みたかったら、聞きたかったらお金払えという人も多いので、不安をあおって商売にしているのかなあと悲しむ

しかしだからどう生活をしていけばいいかという指針は示せない
それはそうだろう。日本人を理解していないんだもの

イタリアで50年近く生活し今は日本に戻ってきている友人から電話があった
「比佐子さん日本人はハグもしないし、キスもしないし、スキンシップが苦手という風習は今回のコロナにプラスになっているわね」
「濃厚接触(笑)がない?」
「イタリア人はフレンドリーだから頭触ったりほほを触ったり腕組んで歩いたり、感染するのが当たり前みたいな感じね、其れにおとなしくないし。日本人はおとなしくて、マスクをつけましょう、手を洗いましょう、うがいをしましょうとみんな実行するものね、感染率低いわよ、でも気を付けてね」

そうか確かに、それに口角泡を飛ばして議論するという人もあまりいない
日本人の食生活も日常の生活態度も他の国の人と大きく違う
最も西欧化された生活者は数多いと思うけど
手作りしたものをあたたかいうちに食べ、自然素材の物を身に着け、体をあたため、10時には休み早起きするという日本人がやってきた生活をしていれば何の心配もない。それだけで免疫は上がっている

さらに日本人は困った人をみんなで助けるという心を持っている人も多い。ボランテイアという上から目線の手助けではなく、人も喜び自分も楽しいことをするというのも免疫が上がる

古事記に現れる神様たちは楽しい、うれしい、幸せといって生活をしていた。これが日本人の底の底にある性癖だと思う
ウイールスというのは免疫さえ上がっていれば怖くとも何ともない。今からでも遅くない、免疫を上げる衣食住、免疫を上げる考え方行動、そのうえで油断大敵、気を付けることはきちんとする。日本人の血を信じてコロナからの学びを受け取ろうぜ
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桜が咲いた

2020年03月21日 09時37分33秒 | 日記
新宿西口中央公園は大改造をしていて、このお花見に間に合わせようと庭師たちが張り切っている
ここは農薬を散布していないので木々はのびやか、花も美しい勿論空気もいい
歩きながら自然に浮かぶ思考に身をゆだねる

この公園の傍に住んで53年になる。高度成長期を迎えたとき、淀橋浄水場の後に京王ホテルが建ち、高速道が出来、広場で野球やサッカーをしていた少年たちも行き場を失いそのあとに都庁舎の建築が始まった

しかし十二社通りを隔てた西側(元温泉街)は色街と下町が溶け合って都会というより人情味あふれた片田舎だった。畳や、おでん屋、八百屋、魚や、豆腐や、酒屋、果物や、たばこや、悉皆屋、蕎麦屋、お茶屋、団子や、肉や、クスリャ、カメラ屋(ヨドバシカメラの前身)が方南町通りの両脇にひしめき合っていて、まだ御用聞き制度があったから、注文は電話でという時代。魚屋では切り身など売っていないので、一匹をどう調理するかを大将が教えてくれていた

鎮守様の熊野神社の祭りでは総出で町内の人がみこしを担ぎ、花街からも女神輿が出て華やかに町内を練り歩いていた。身近に鳶たちの活躍を見たり、まだ新内流しもいたり

新宿駅までは歩くのが交通手段、バスはあったが十二社通りから青梅街道に迂回していくので歩く方が早かった。のちに淀橋浄水場の土手が切り崩され新宿駅までの一本道が通ったとき、住民大はしゃぎだった。そこにバス停もできて、用もないのにバスに乗り新宿に出かける。顔見知りばかりなのでバスの中は宴会気分 ものの5分の旅。小田急や京王デパートもこのころできた

そのバス停は家から7分くらいのとこころ、バス停に行くまで知った顔ばかりでずーーと頭を下げて歩く

その後バブル時代にこの町は一変。地上げ屋にやられて古い店はほとんど立ち退き道幅も広がり、地下鉄も通り、今も残っているのは薬屋、蕎麦屋、中華屋。住人も土地の人はほとんどいない。今はこの西新宿はマンションが乱立。部屋代ばかりが高騰している

公園を歩きながらこのコロナ騒動を機に自分の生活も変えたほうがいいなあと考える、消費で成り立っていた社会経済もこれからは自分自身の内側を見て何をしたいか、どう生きたたいか、自分が何ができるか、そういうことにお金を使う経済になっていくのだなあーーと。

着物を通して学んだ日本人の深くて優しい愛に満ちた知恵をもっと生かした生き方をしようーーなんちゃってね!




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