チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繫ぐもの 254

2019年10月30日 14時19分58秒 | 日記
髪の色の話
髪の毛を染めなくなって6カ月7ヶ月目に入った。見事に白くなっている
幸い今のところどの着物も違和感なく着られている
しかしピンクは良くない。ピンクの着物を着ると無理無理若作りをしているような、顔と着物が合わない。でも同じピンクでもオレンジがかったピンクはおーけー

昨日川邉サチコさんにカットをお願いに行ったらちょうど口紅の色の話を化粧品会社としていて
「年配の女性はピンクはだめなの、オレンジ寄りのピンクにして頂戴」
という会話を耳に挟み
電話が終わった後
「きものもそうなのよ、いわゆるピンクは合わないの」
「肌が黄色で比佐子さんの場合は色が黒いからね(もう辛口)オレンジ系にしないと肌がもっと黒く見えるね。八千草さんもそうだった、ピンクから少しずつオレンジの口紅にしていったのよーー亡くなったのよね」
「そういえば彼女も色黒い方だったわね」
「真っ直ぐな人、優しいしね」
「そこも私に似てない?」
「うんうんーーまあそういうことにしておこう」

ところでよく我慢したわねいい感じになってるし、新鮮で清潔でそれこそ優しさが内面から出てきている。とお褒めの言葉

白地、黒字、濃紺、紫。グレイ、明るいブルー、黄いろ、ゴールド、グリーンそして問題のピンク殆どのきものに白髪頭は調和できているという話になり、安藤孝子が「絶対昔の比佐子ちゃんじゃあないとだめ!」って言ってるということから

日本髪は絶対に黒でないと美しくないのでやはり花柳界の人には白髪頭は受け入れられないのでしょうねという話になる
きものは黒髪のほうが似合うという哲学をお持ちなのよーーと

昔の人も染めていたのだろうけどどうやっていたのかしら江戸時代までは黒染料のビンロウジュやコバイシ夜叉だったねと染めの話が盛り上がる。
男もちょんまげは黒でないと様にならないから植物染料での染には手間隙かかったでしょうね
近代の時代になってビゲンという染色剤、そうだこれで染めると真っ黒

最後は口紅と頬紅はしっかりつけなさいよとアドバイスを受ける
「ハイハイオレンジ寄りね」

しかしながらまだ迷いがあって安藤孝子の言うことも一理あり白髪一辺倒になりきれぬチャコちゃん先生。悩み多し
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着物が繋ぐもの 253

2019年10月28日 11時33分32秒 | 日記
帯付きの季節
このシーズンは羽織るものもいらないので帯を楽しめる
着物は紬や小紋にして帯に主張をさせる楽しさがある

着物をつくる技術者が年々減っている
いつの時代から見て年々減っているのかが問題
高度成長期、バブル期から見てそのように考える人が多いが
あの時代が異常だったと思えば技術者の数の心配はいらない
消費者も着物持ちすぎだったから

江戸時代を見ると大きな商いをしていた呉服商は何軒もない
その多くが後に百貨店になった
新しい着物を買える層はそんなには多くなかった

古着屋や担ぎ屋という商人が持っている着物を自分で修理し縫って着ていたのだ
悉皆屋という職業は業者のものを扱い、また各自の高級着物の手入れをしていた
悉皆屋を通じて刺繍、紋入れ、引き染、友禅職人、仕立て屋たちがいたのだ

着物を帯にしたり、羽織に仕立てかえたり、また布団にしたりと「くりまわし」という方法も着物ならではの特徴。みんながみんな新しいものを買い漁っていたわけではない

だから着たときの雰囲気を変えるためには帯が大活躍
帯の素材も繻子織から塩瀬、縮緬、紬、に染職人たちが腕を振るう
また織の帯も錦や綴れなどなど種類が多くそれぞれの機屋は古代からの文様の研究に精を尽くした

流石にと言おうか染めの帯は東に多く、西は織の帯を締める人が多い

帯の楽しさは季節を締めることだと思う
それは自分だけの楽しみではなく眺める人にも季節を思い起こさせて和む
どんな柄を帯にしてもよい、それはそれぞれの楽しみだから
帯付き季節だからこそみんなで楽しみたい

季節のわからないようなこの時代だからこそ旬の味わいを帯で見せることができる
着物って味わい深いね
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最近感じたこと

2019年10月27日 18時29分05秒 | 日記
台風15号から始まった千葉の風水害
風、水の恐ろしさにおののく。道路が川になっていく様子。
人間はなすすべもなく、自然が怒気を収めてくれるまで忍の一字で待つしかない
自然にあがろうことなん誰もできない

平安の時代同じような風水害と疫病でで多くの人の命を失った時
ときの56代青和天皇はご自分の德が足りないからーーと強い祈りを捧げる生活に入ったとか、また江戸時代に入っても度重なる天災に対して責任を取り深く祈ったのは天皇陛下であったと歴史に残っている

古代から天皇陛下には特別に霊威があり常に国家、国民の平和を祈ることが生業でもある
その霊威を大嘗祭で日本国の祖霊からいただく
日本は基本的に祭祀民族であり、国民の殆どが霊感を持っていたのが江戸時代までなのではないかと思う。

しかし
敗戦以降天皇陛下は国民の象徴というお立場になり、「天災は自分の德がないから」とおっしゃることは憲法上できない、そのためひたすら被災者を慰めて祈るしかない

今この国のトップは国会で選ばれた総理大臣だから、総理大臣が天災の責任を取るべきなのだが霊威を備えていないので効き目はない

万世一系の日本の皇室の本当の力はあの敗戦のとき新憲法ができたと同時に剥奪されたのだろうか

千葉が水害に遇った即位の礼の日、正殿の儀が始まると同時に東京は小雨となり皇居を取り囲むように虹が出た

天が何を言いたいのかこの自然現象がすべてを物語っている

自然を蔑ろにし、祈ることを忘れた日本人に今このままでよいのか?と問われている。犠牲になった千葉の方々に私達は気づきをいただいたのだ。方々に深く感謝して、一日も早い復興のために一人ひとりが被災者に心を寄せて徳をつむ事が大事なのだと思う

日本を見直すために犠牲を強いられた方々に深く感謝し愛を注ぐこと、そしてひたすら祈ることが尊い。日本に暮らす人人みんなが祈り始めればきっと明るい未来がやってくる

気づかせていただき感謝



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着物が繋ぐもの 252

2019年10月24日 13時26分16秒 | 日記
恥ずかしさこらえ
今朝は着るものに迷った
三人に合う 皆仕事の違う相手、年齢も様々はて何を着るか

まず鼠紅の角通しの江戸小紋に黒地にもみじ柄の帯を合わせてみた
髪の毛がだいぶ白くなっているので、なにか若作りみたいで却下

お会いする相手の最後は20,30代の方々
あまりおばさんっぽくもしたくないし、若い格好も不似合いな気がする

それで最終決定が黒地の大小霰の江戸小紋に銀鼠色の地に紅葉した蔦の葉を手描きした名古屋帯、赤い帯揚げ、どんぐりの彫金帯留め紐は朱色
ふーーこんなに迷ったのは久しぶり、脱ぎ捨てている着物や帯を疊み出かける

この大小霰の江戸小紋は凝っていて八卦が千筋、袖裏には紅絹をつけている
歩くたびに千筋の裏が翻り一人悦に入っていたら後ろから
「もしもし」
と声がかかる
「はい」
「裾からなにか布がひらひら見えてますけどーーー」
ときまり悪そうに小さな声をかけてくださる初老の婦人

「エッありがとうございます」
と見ると長襦袢の裾の返しがほつれているらしく布がベロンと裾からはみ出している
着替える時間もない
何を着るかに手間取っていたのでお会いする時間ギリギリ、しかも今日は初対面の方たち
「いいわ堂々としていよう」
と決心しそのまま何事もなかったように目的地に急ぐ
(ソーイングセットを持っていない用意の悪さよ)

とにかく人の後ろを歩くようにすると言っても都会。人は後ろからやって来る
堂々としているしかない

第一部の方々にはなんとか知られなくてすんだ。ショウウインドウにうつる姿を見ると裾からヒレが出ている感じ
人目につかないように早足で歩行をする(いい運動)

なんとか会社にたどり着き手早く裾を直す。やれやれ


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着物が繋ぐもの 252

2019年10月23日 11時35分27秒 | 日記
生まれてはじめての経験
神麻注連縄奉納の会に参列し、注連縄を上げるまでの行程をともにした
場所は浅草神社
神麻注連縄奉納にたいして並々ならず努力をしている方をかねてから存じ上げていたが、今回はじめてその現場に伺った〔途中で直会のお弁当を頂いて帰ったが)

なぜ?
それは理由がある深い理由がある
浅草神社に祀られていらっしゃる三社様、これぞ江戸解模様の発祥に関わっておられる。こんなチャンスは二度とないと大雨のなかいそいそとでかけた

三社様は
土師真中知命(はじのまつちのみこと)
檜前浜成命(ひのくまのはまなりのみこと)
檜前竹成命(ひのくまのたけなりのみこと)
のご三柱

時代は推古天皇36年、3月18日
檜前の二人の兄弟漁師は浅草浦(現隅田川)で漁業を生業にしていた
この日に限り魚が網にかからず、木彫りの人形だけが網にかかる。海に戻し場所を変えて網を打ってもまたその人形が網にかかる。数回繰り返してついにその日は一匹の魚が取れず、文化人であった土師真中知にその木像を見せると「聖観世音菩薩」であると告げられ、兄弟はその功徳を知って毎日祈念していたところ、大量の魚をとることができるようになったという

土師氏はその後寺を造り観音様をまつり、僧侶として周りの人を救済することに生涯をかけたという、寒村だったその村は観音様のご利益で有名になり村も発展、兄弟も私財を観音寺に寄贈。その後土師氏の子孫が三人の徳をたたえて観音寺の隣に浅草神社を建立。それが鎌倉初期のころのよう。

説明が長くなったが浅草の取材をしていた頃浅草神社の役員さんたちの着物の柄に目がいき、柄の由来の説明を以上のように受けたのが今から40年以上も前(写真を探したが出てこない)

その後熊谷好博子さんにおあいし、その柄が「江戸解模様」という名前であることを知る(フー長いなあ)模様の特徴は、三社様なので三本の魚網に千鳥、葦が必ず友禅で描かれている

「どなたが考案したのでしょう」
「いやー聞いてないね江戸時代には大奥でも着られていたようだよ、ここに江戸五彩の朱・黄・紫・緑・藍で仕上げる」

江戸の職人たちが考案した江戸観音信仰の模様が江戸解模様であった

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着物が繫ぐもの 250

2019年10月21日 10時53分06秒 | 日記
最近帯留めが大流行のようだ

現在のような「お太鼓結び」というのは近年にできた形で
だいたい帯の結び方は自由気まま女の数だけ帯の形があると言われたものである
古い浮世絵なんかを見ると本当にいろんな帯結びが描かれているし、帯の幅も長さも様々である
ここまで自由に帯を結んでいたのは、やはり着物が日常着であったからこその話

今は標準の結び方として「お太鼓結び」が一般的、この結び方を巡って人々は苦労している。後ろで形を作ることが難しいのだ

昔の人は肩甲骨をよく使い、動かしていたので、後ろで結ぶなんて平気
今は肩甲骨が固まって動かない人が多いので後ろで作業することはとても困難
そのために「前結び」という帯結びも開発された

というより「前結び」のほうが歴史的には古い結び方だ、後家さんとか遊女が前結びをしていたという絵画がたくさん残っている。

花魁はどうして前結びなのかと取材をしたことがある。なるほどという回答を得た。差し障りがあるので公には書かない。聞きたい人は毎月第2,3,4火曜日に行われる「日本人だったら着物でしょう?」のおはなし会にどうぞ

さて
帯留めの話だった
明治維新で「帯刀禁止令」が発令されて、刀の装飾を引き受けていた彫金師たちの仕事がなくなり、知恵者の発案で帯留め、かんざしの装飾品製造に精を出した。その頃に作られた帯留めは芸術品だ。

当時帯締めはほとんどが丸ぐけだったが、手組みの組紐ができ帯留めとの対で大流行。彫金師は腕を競い季節のもの、動物、植物、昆虫、気象、目に映るありとあらゆるものが帯留めに反映された。彫金だけでなく、珊瑚、塗、宝石、木彫りと発展していく

帯留めは主張が強いので合わせる帯は限定される。この2つのしのぎ合いが着る人の美意識を高めることにもなったのだと思う。

宝石などで財を競うか、美意識を主張するか、狭い面積の中での思い入れも着物を着る人の醍醐味かもしれない
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制服って人を数段よく見せる

2019年10月20日 17時23分36秒 | 日記

友人との待ち合わせでホテルのロビーに座る

そこへ外国の航空会社の乗組員たちが、サンサンゴゴ集まってきて、出発前の立ち話。彼らはまず姿勢がいい、立ち姿に華がある。それは制服姿が凛々しいからだと後でわかる。今日の東京は25度あり、歩くと汗ばむ。しかもホテルはもう冷房入れていない。

暫くして立ち話も佳境に入ると何人かが制服の上着を脱いだ

なーーんだ

唯のおじさん!

よく入院中看護師さんに惚れてしまう殿方も多いが、その気持ちわからぬものでものない。白衣の天使だもの

 

制服ではないが野球選手のユニホーム。よく考えられている。足の形がとてもよく見える。ふくらはぎあたりで絞った形がいいのかもしれない。

 

チャコちゃん先生が学生の頃、早稲田の座布団帽と、慶應の丸型帽子で好き嫌いが分かれていたが、最近の大学生は学生服すら着ていない。学生服も賢く見える。

 

制服ではないが、タキシード姿も中々。最近流行の黒スーツに白ネクタイはどなたがお召しになっても格好は良くない。誰があのスタイルを礼装と決めたのだろう。

そういうところまで想いが行ったら、黒スーツ黒ネクタイの団体さんが入り口から登場、その後ろに我が友人の着物姿が見えてほっとした

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着物が繫ぐもの 249

2019年10月19日 11時11分50秒 | 日記
大嘗祭の本を執筆するので今までの取材を整理したり
折口信夫先生や柳田国男先生の書を引っ張り出して読み返してみたり
図書館にいって資料を探したり(ほとんど空振り)
大きな本屋で立ち読みしたり(着物姿なのでめだって長居ができない)
などなど結構真面目に動いている

そして今回大きくわかったことがある
古代から神衣として重要視された大麻の布、絹布今日本から姿を消しつつある
この2つの布が大嘗祭にどれだけ必要なものであるかを多くの学者は記していない
男の学者は着るものにはあまり興味がないらしく
他の学者の論をああでもないこうでもないと論じていて
それはそれで面白いのだけど、どんな偉い先生でも所詮は男、論争が好き
今はその論争に付き合う時間がないのですっ飛ばしているが、この男の姿勢は日常の中でもあらゆるところで見聞きできる

大麻も絹布も男にかかってはそれが何に使われるのかではなく、品質がどうか、効率を良くするためにはどうするかという方向に行く
だから品質改良は当たり前、効率をよくする農薬は必然、遺伝子組み換えもぜひやらねばならない(なんのため?だれのため?)

着物の着付けに必要な小物も男の知識の中で作られたものは着物のためにも、着る人の体や心に沿ってはいない。だから苦しくていらぬものを使うので着物も痛むし着るのに手間隙かかってしまう

こういう男を量産した日本はこれから先どうなるのだろう?誰がこういう男を作ったのか?母親だね

母親の愛し方が足りなかったのではないかと思う。しっかり抱きしめて常に愛をささやき、あなたがこの世で一番好き。と。どれだけの母親が言えただろうか?

話は飛ぶがパンダの子育てを見ていてつくづく思う。母親の子に注ぐ愛の姿はすごい、子パンダは1歳半で自立させるようだが、当初は母と子は寂しさを出しているが、双方すぐ自立して自分らしく生きていく。

大嘗祭執筆からとんでもないことに気が散ってしまった私ーートホホ
しかし男が世界を動かしているのも事実




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幼子のお空の話

2019年10月18日 12時35分15秒 | 日記
生まれ落ちたときから
いえ生まれる前から私達は瞬時の選択と未来を見据えた選択の中で生きている
最近「胎内記憶」が医学的に証明され、またそちらの分野の研究も発展して、私達は生まれる前に
自分の性別
両親
国や市町村などを選択いているということも判明している

大きな使命がまずあり、その使命の達成に至るまでの様々な選択もすべて生まれる前に自分自身で決めてくるらしい

ある時知人のお孫さん(三才)をあやしていたら
「チャコちゃん先生をお空の上からみていたのよ」
「えっ」
「おばあちゃんと二人で聖徳太子さんのお話していた」
「えええーっ」 (そのお子さんが生まれる前、赤穂のお寺に聖徳太子の子供の頃の珍しい肖像画を差し上げようという話を夜通ししていたことがある)

「おばあちゃんの肝っ玉が気に入ってこの家に生まれることを選択したの、しばらくすると跡取りの男の子がやってくるよ」
三つの子が言う会話か?(4年後本当に跡取りが生まれた)

びっくりしておばあちゃんを呼ぶと、そこは祖母に甘える幼子の姿

事の次第をはなすと
「そうなの言葉が喋れるようになったら真っ先におばあちゃんを選んでこの家に来た。といったのよそれからはただの幼児なんだけどーーーチャコちゃん先生も選ばれていたんですね」

その子は5歳までおばあちゃんに、お空でのお話をあれこれ話して聞かせていたらしい。それをすぎるとピタリとお空の話は消えたという

その後友人たちに話しをしてできるだけ小さいうちに(お空の記憶があるうちに)話を聞きだしたら?とけしかけたら、多くの人が「子供は両親を選び家族を作る」事がわかった。

親や兄弟、職業や自分自身の生き方や使命を生まれる前に自分で決めてきたのだと思えば、人と競争をしたり依存したりなどせず自分の道をただ極めることが第一と気づく

昨夜「ドクターX」のドラマを見ていて「わたし意味ないことはいたしません」というセリフ何かやけに胸に刺さった。あちこちいろんなことに興味を持ったり、やったり、トコトコあれこれに顔を出している私の姿を諌められた感じ

天の声は耳を傾ければいつでも聞くことができる
久しぶりにお空の話を思い出し身を正した
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着物が繫ぐもの  248

2019年10月17日 10時37分40秒 | 日記
大嘗祭の本を出版する事になった12月末
事の起こりは
池本敬子さんと仰る日本の古代史や伝統文化に詳しい方から
「斎服を調達していただけないでしょうか?」
というメールをいきなり頂き「なぜこの私」と思いとにかくおあいした

話を聞いて納得。今から2年前のこと
上皇陛下が譲位を表明された年の9月だった
徳島の美馬市木屋平に植えられる大麻の繊維で織った「あらたえ」が、大嘗祭に使われる。その布の管理と布を調進する御殿人(みあらかんど)が古代からこの地を統括する三木家(忌部)であり、当主の三木信夫氏が「あらたえ」を持って宮中に上がるまでの数々の神事にお召しになる「斎服」を作るということであった

平成の大嘗祭の時、昭和の「あらたえ」を調進した三木さんの祖父が着用した「斎服」が見当たらず、急遽三木さんはモーニングを着用して神事を行ったが、釈然としないものがあり、今回は伝統に則ってきちんとしたいと思われたようだ

その話が来るまで私は無知に等しかった
「三木さんのところで大麻を作り忌部神社の巫女さんたちが機織りして宮中に調進なさるらしい」
この程度の知識でしかなく、三木さんのオタクには何回かお邪魔をしていて、大麻が植えられたという畑に降りて足袋を脱ぎみんなで踊ったりしていた(無知にまさるものなし)

改めて大役をいたいた時、「本来の桑、蚕、糸取り、機織り、砧うち」をやり遂げて、絹の伝統をしっかり後世に残すことに専念しようと思った
この本来の布づくりのできる方は私の知っている範疇では一人しかいない。一世一代の口説きをし、品質改良をしていない桑、江戸時代の蚕、糸取り、機織り、近代国家になった明治以降の手法はすべて却下

つまり天皇陛下は万世一系、布も古代から続く手法で作ることを目的とした

布は完成度の高いものができる予想はついたが、なぜ徳島の美馬市木屋の三木家の畑でなかればいけないのか、それはこの場所が「高天原だから」という研究に2年かかって納得。今回の一連の神事の全てに立ち会われた「安間信裕」氏と共著

10月31日 大阪中央公会堂で二人の講演がある 14時から 参加費5000円
申込み 06-6781-2815 丸十呉服店


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