こんな遅くに斯様な場所へようこそ。
足下暗いんで、気を付けて席に着いてくれ給え。
凄い数の蝋燭だなって?
…ははは、折角これから『百物語』をしようってんだから。
蝋燭が百本無くちゃしまらないだろう?
おっと、机は揺らさない様、気を付けてくれ給え。
蝋燭のドミノ倒しで火事起したなんて…間抜け過ぎて笑えもしないからね。
『百物語』の仕方は…説明しなくても解るかい?
そうそう、1つ話し終る毎に、1本ずつ蝋燭を吹き消して行くのさ。
そうして全ての蝋燭の火が掻き消えた後に………
………本当の怪異が現れると云う。
最初は信じてない人でも、段々と濃くなる闇の中、ひょっとしたら…もしかしたら……と考えてしまう。
昔の人は中々巧い演出を考えたと思わないかい?
『恐怖』…これは人間でも動物でも持ってる感情だ。
しかし、自ら『恐怖』に近付く心…これは人間にしか多く見られない。
人間は見えない、知らない何かを恐れ、同時にそれを見ようと、知ろうと向って行く。
恐れをも凌駕する『好奇心』こそ、人間を人間たらしめたもの。
今宵、好奇心を堪え切れずに、この場に集った酔狂な輩…貴殿の勇気を心から褒め称えたい。
さぁ、前置きは此処までだ。
第一夜は、私が今迄聞いた中で、最も驚嘆した怪奇屋敷について、語らせて貰おう……
イギリス、サフォーク州のうらぶれた田園地帯に在る『ボーリィ牧師館』。
煉瓦と石とで出来た、赤褐色のゴシック様式の建物。
所謂心霊研究家が調査した限り、此処では130年間に千回以上も怪異が起きたという事らしい。
始まりは1862年。
この年、サフォーク州のサドベリー近くに赴任して来たヘンリー・ブル牧師は、17人もの大家族を抱えていた事から、新しく教会を新築する事にした。
数ヵ月後、35も部屋の在る、瀟洒な煉瓦造りの教会が完成。
…所が、ブル牧師一家が翌年館に移り住むと、これらの部屋のあちこちに幽霊が出没するようになった。
移り住んだ当日、一家は、突然18個もの教会の鐘が、一斉に鳴り出したのを聞いている。
鳴らす者の姿等何処にも見えないのに、ガランガランと喧しく鳴り続ける鐘。
堪え切れずにブル牧師が、「誰が鳴らしているのかは知らないが、お願いだから、ちょっとでいいから鳴らすのを止めてくれ!」と訴えると、突然鐘はピタリと一斉に鳴り止み、辺りは水を打った様に静まり返ったそうだ…。
それ以降、ブル牧師一家は、数々の怪異に悩まされるようになった。
出現した幽霊は30種類にも及んだと言うから、さながらホーンテッドマンションの如しだ。
2階の客用寝室では、決まって白衣の老修道女の幽霊が出た。
此処に泊った客は夜中、傍に誰か居る様な気配を感じて、ハッとして目を覚ます。
しかし気付いた時はもう遅く…修道女の霊に、氷の様な手で全身押え付けられ、身動き出来なくなってしまう。
大抵の客はゾーッとして、そのまま気を失ってしまったらしい。
『青の部屋』と呼ばれた部屋には、青いドレスを着た、ベールを被った美しい女性の幽霊が出た。
更に館の外庭には、月夜の晩に黒い馬の牽く四輪馬車が、何百回も現れた。
四輪馬車は見ていると突然猛スピードで道を走り出し、そのまま森の中に消えてしまうのだそうだ。
この馬車の通る道は、後年調査したゴーストハンターから、『幻の馬車通り』と名付けられた。
怪異は幽霊が出現しただけでない。
不気味な事に、ブル牧師の一家が飼っている猫が、36匹も続けて怪死してしまった。
その為、庭には猫専用のお墓が作られた程だ。(36匹も死なせてしまう前に、飼うのを止めろよ、可哀想に…と思わなくも無い)
現在でも、ボーリィ牧師館に猫を連れて行くと、怯えて全身の毛を逆立て、ほうほうの体で逃げ出してしまうという。
一体何故、この館にこんなにも怪異が現れるのか?
近所で伝え聞く噂では、この館が建てられた場所には昔、ベネディクト派の修道院が在ったとの事だった。
遠い昔、此処でベネディクト派の修道士が尼僧と駆落ちしようとして捕えられ、2人ともその場で惨殺されてしまったという伝説を、ブル牧師は聞いていた。
ブル牧師の娘のエセルは、或る日、目が覚めた時、枕元に1人の男がスーッと立っているのを目撃し、また或る時は1人の尼僧が、祈りを唱える様な仕草をしながら、通廊を滑る様にこちらに向って歩いて来るのを目撃している。
1870年6/20、当時有名な心霊研究家として名高かったホリングスワース博士が、ブル牧師の懇願でこの館を訪れた。
博士はこの際徹底的な調査を行おうと、最新式の科学装置を手に乗り込んで来たのである。
その日の午前2時頃、ホリングスワース博士は、庭で通りの方から白い尼僧の幽霊が出現するのを見た。
幽霊は足早にこちらに向って来たが、途中でふと足を止めた。
博士がじっと目を凝らすと、白いベールを被った40歳くらいの尼僧の姿が、月光の中にボーッと浮び上がっている。
その時博士は、全身ゾーッとする様な戦慄を覚えたそうだ。
すると尼僧の幽霊はまた急に歩き出し、なんと館の煉瓦塀をスーッと向う側に摺り抜けてしまったのだ。
そして裏庭で待っていた仲間のポッター氏の目前に、今度はその尼僧が煉瓦塀の中からスーッと現れたのである。
呆気に取られている氏の前で、幽霊は月光を浴びて次第に空に舞上り、館の2階の窓の中に吸い込まれて行った。
1892年にブル牧師が急死すると、息子のハリー・ブル牧師が跡を継いだ。
このブル牧師も、やはり尼僧や四輪馬車の幽霊を何度も目撃したらしい。
或る日、ペットのゴールデン・レトリヴァー犬が、庭に何かに怯えて、盛んに吠え立てていた。
犬が吠え立ててる方向をブル牧師が見ると、果樹の下に2本の人間の脚の様な物が、ニョキッと出ているのが見えた。
すわ侵入者かとブル牧師が近付くと、2本の脚はスタスタと裏門の方へ歩いて行く。
次の瞬間ブル牧師は、その『侵入者』が脚だけで、上の胴体や頭が無い事に気が付いた。
呆然としてる間に、2本の脚はやがて門の向うに消えてしまったという。
…このペットのゴールデン・レトリヴァー犬も、後に怪死してしまったらしい。
息子のブル牧師は、父親であるヘンリー・ブル牧師の幽霊をも目撃している。
更に1928年、ブル牧師が死んでガイ・エリック・スミス牧師が跡を継ぐと、この頃から恐ろしいポルターガイスト現象が、頻繁に館を襲うようになった。
床を歩く音、壁やドアをドンドン叩く音…。
教会のオルガンが独りでに鳴り出したり、台所の食器が空中を飛回っては、粉々に砕け散る事も有った。
或る日突然、玄関のベルがけたたましく鳴ったので、スミス牧師が出てみると、誰も居ない。
暫くしてまた鳴り出したので、牧師がまた玄関に駆け付けたが、ベルは鳴り続けているのに、やはり誰の姿も無い……という様な事が続いた。
これらの騒動で、遂にスミス牧師はノイローゼになってしまったそうだ。
ボーリィ牧師館の名はイギリス中ですっかり有名になり、今度は20世紀最大のゴースト・ハンターと名を馳せていた、全英心霊研究所の設立者でもあるハリー・プライス氏が、1929年に大掛かりな調査チームを組んで、館に乗り込んで来たのである。
このプライス氏、これ以降、度々この館を大規模に調査している。
プライス氏の調査記録によると、確かにボーリィ牧師館の内外では、奇怪な心霊現象が頻繁に起り、尼僧や四輪馬車の幽霊が、彼がそこに滞在した1年間だけでも、50回以上現れたという。
突然、室内が氷を張った様に寒くなったり、瓶が空中を飛回ったり、壁に「ヘルプ・ミー!」と血塗れの字が滲み出したり、幽霊の顔が浮き出したりした。
1930年にはL・A・フォイスター牧師が跡を継ぐ。
…しかし何とこの頃、最初の所有者であるブル牧師親子の亡霊までも出現するようになった。
「この館で死んだ者は、永遠にこの館で彷徨う事になる…!」
恐れをなしたフォイスター牧師が、1935年館から逃げ去ると、1936年にはヘイニング牧師が跡を継いだ。
しかしやはり堪え切れず、直ぐに逃げ出してしまう事になる…。
悪魔祓いをしようとしたベネディクト会の修道士が、空中から飛んで来た小石に頭を直撃された事も有ったそうだ。
1937年5月から再び、プライス氏が館を借り切り、48名の調査団と共に本格的な調査を行った。
そして霊魂を呼び出す降霊会が行われたが、この時霊媒師のグランヴィルは、この館に現れる幽霊の正体の1人が、マリー・レール(マリアンヌと言う説も有り)と言うフランスの修道女だと告げた。
この修道女はルアーヴルの修道院を出て、当時この地の領主だったウォルダー・グレイヴス家の男性と結婚したが、夫は1667年5月に、この館の在った場所で彼女を虐殺したのだそうだ。
1938年、グレッグソン大佐が館の新しい主になったが、その年、プライス氏の調査チームが、『プランシェット(西洋版こっくりさん)』を用いて、霊界通信を行っている。
この時、サネクス・アムレスと言う名の霊媒師は、「近い内にボーリィ牧師館が火事で焼け落ちるだろう」と告げた。
そして翌年の1939年2月、実際に原因不明の火事が起って、館の内部が焼け落ちてしまったのである。
火事が起った当時、数人の人間が、燃え盛る2階の窓に、少女の姿を目撃している。
消火活動の最中に、灰色の服を着た男が逃げ出して行くのを目撃した者も、何人か居たそうだ。
更に1943年、プライス氏の調査チームが館の地下室を掘り起すと、4mの深さの地中から、女性の頭蓋骨やその他の骨の破片や、修道会のペンダントが発見されている。
…これがあのマリー・レールの物だったのか…今となっては誰にも解らない。
ボーリィ牧師館は、1938年にグレッグソン大佐が買い取って以降も、何度も持ち主が変ったが、それからも様々な怪奇現象に悩まされ、現在は誰も住む人は居ないらしい。
最近では1975年2月、クルーム博士がBBC放送の協力で、大規模な科学的調査を行っている。
調査団はそれこそ赤外線撮影カメラや録音装置や磁力計等、館の室内や庭の隅々まで、あらゆる最新の科学実験装置を配置した。
この時も、火事で焼けた後の褐色の煉瓦壁を激しく叩く音がしたり、部屋のドアが独りでに開閉したり、尼僧の幽霊が2階の窓から空高く浮遊して、庭の芝生を彷徨ったりという怪現象が起きている。
更に或る番、月光を浴びてキラキラと輝く幻の馬車が、調査団の目前に現れたそうだ。
2頭の黒い馬が牽く四輪馬車が、猛スピードで外庭を通り抜け、煉瓦壁を通過して消え去るまでの約3分間、設置した録音テープが突然止まり、磁力計は狂い、温度計は10度も急降下してしまった。
しかも自動シャッターの赤外線カメラは激しいハレーションを起し、そこに異常なまでの磁力が働いてる事を証明したのである。
…今夜の話はこれでお終い。
さあ…1本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…
……有難う……また次の夜の訪問を、楽しみにしているよ。
道中気を付けて帰ってくれ給え。
ああそうそう……異界の話をした後は、絶対に後ろを振り返っちゃ駄目だよ。
………話に惹き付けられ、貴殿の背後に、べったりと貼り付いていた連中と、顔を合せてしまうだろうからね……。
『ヨークシャーの幽霊屋敷 ―イギリス世にも恐ろしいお話―(桐生操 著、PHP研究所 刊)』より、主に記事抜粋。
足下暗いんで、気を付けて席に着いてくれ給え。
凄い数の蝋燭だなって?
…ははは、折角これから『百物語』をしようってんだから。
蝋燭が百本無くちゃしまらないだろう?
おっと、机は揺らさない様、気を付けてくれ給え。
蝋燭のドミノ倒しで火事起したなんて…間抜け過ぎて笑えもしないからね。
『百物語』の仕方は…説明しなくても解るかい?
そうそう、1つ話し終る毎に、1本ずつ蝋燭を吹き消して行くのさ。
そうして全ての蝋燭の火が掻き消えた後に………
………本当の怪異が現れると云う。
最初は信じてない人でも、段々と濃くなる闇の中、ひょっとしたら…もしかしたら……と考えてしまう。
昔の人は中々巧い演出を考えたと思わないかい?
『恐怖』…これは人間でも動物でも持ってる感情だ。
しかし、自ら『恐怖』に近付く心…これは人間にしか多く見られない。
人間は見えない、知らない何かを恐れ、同時にそれを見ようと、知ろうと向って行く。
恐れをも凌駕する『好奇心』こそ、人間を人間たらしめたもの。
今宵、好奇心を堪え切れずに、この場に集った酔狂な輩…貴殿の勇気を心から褒め称えたい。
さぁ、前置きは此処までだ。
第一夜は、私が今迄聞いた中で、最も驚嘆した怪奇屋敷について、語らせて貰おう……
イギリス、サフォーク州のうらぶれた田園地帯に在る『ボーリィ牧師館』。
煉瓦と石とで出来た、赤褐色のゴシック様式の建物。
所謂心霊研究家が調査した限り、此処では130年間に千回以上も怪異が起きたという事らしい。
始まりは1862年。
この年、サフォーク州のサドベリー近くに赴任して来たヘンリー・ブル牧師は、17人もの大家族を抱えていた事から、新しく教会を新築する事にした。
数ヵ月後、35も部屋の在る、瀟洒な煉瓦造りの教会が完成。
…所が、ブル牧師一家が翌年館に移り住むと、これらの部屋のあちこちに幽霊が出没するようになった。
移り住んだ当日、一家は、突然18個もの教会の鐘が、一斉に鳴り出したのを聞いている。
鳴らす者の姿等何処にも見えないのに、ガランガランと喧しく鳴り続ける鐘。
堪え切れずにブル牧師が、「誰が鳴らしているのかは知らないが、お願いだから、ちょっとでいいから鳴らすのを止めてくれ!」と訴えると、突然鐘はピタリと一斉に鳴り止み、辺りは水を打った様に静まり返ったそうだ…。
それ以降、ブル牧師一家は、数々の怪異に悩まされるようになった。
出現した幽霊は30種類にも及んだと言うから、さながらホーンテッドマンションの如しだ。
2階の客用寝室では、決まって白衣の老修道女の幽霊が出た。
此処に泊った客は夜中、傍に誰か居る様な気配を感じて、ハッとして目を覚ます。
しかし気付いた時はもう遅く…修道女の霊に、氷の様な手で全身押え付けられ、身動き出来なくなってしまう。
大抵の客はゾーッとして、そのまま気を失ってしまったらしい。
『青の部屋』と呼ばれた部屋には、青いドレスを着た、ベールを被った美しい女性の幽霊が出た。
更に館の外庭には、月夜の晩に黒い馬の牽く四輪馬車が、何百回も現れた。
四輪馬車は見ていると突然猛スピードで道を走り出し、そのまま森の中に消えてしまうのだそうだ。
この馬車の通る道は、後年調査したゴーストハンターから、『幻の馬車通り』と名付けられた。
怪異は幽霊が出現しただけでない。
不気味な事に、ブル牧師の一家が飼っている猫が、36匹も続けて怪死してしまった。
その為、庭には猫専用のお墓が作られた程だ。(36匹も死なせてしまう前に、飼うのを止めろよ、可哀想に…と思わなくも無い)
現在でも、ボーリィ牧師館に猫を連れて行くと、怯えて全身の毛を逆立て、ほうほうの体で逃げ出してしまうという。
一体何故、この館にこんなにも怪異が現れるのか?
近所で伝え聞く噂では、この館が建てられた場所には昔、ベネディクト派の修道院が在ったとの事だった。
遠い昔、此処でベネディクト派の修道士が尼僧と駆落ちしようとして捕えられ、2人ともその場で惨殺されてしまったという伝説を、ブル牧師は聞いていた。
ブル牧師の娘のエセルは、或る日、目が覚めた時、枕元に1人の男がスーッと立っているのを目撃し、また或る時は1人の尼僧が、祈りを唱える様な仕草をしながら、通廊を滑る様にこちらに向って歩いて来るのを目撃している。
1870年6/20、当時有名な心霊研究家として名高かったホリングスワース博士が、ブル牧師の懇願でこの館を訪れた。
博士はこの際徹底的な調査を行おうと、最新式の科学装置を手に乗り込んで来たのである。
その日の午前2時頃、ホリングスワース博士は、庭で通りの方から白い尼僧の幽霊が出現するのを見た。
幽霊は足早にこちらに向って来たが、途中でふと足を止めた。
博士がじっと目を凝らすと、白いベールを被った40歳くらいの尼僧の姿が、月光の中にボーッと浮び上がっている。
その時博士は、全身ゾーッとする様な戦慄を覚えたそうだ。
すると尼僧の幽霊はまた急に歩き出し、なんと館の煉瓦塀をスーッと向う側に摺り抜けてしまったのだ。
そして裏庭で待っていた仲間のポッター氏の目前に、今度はその尼僧が煉瓦塀の中からスーッと現れたのである。
呆気に取られている氏の前で、幽霊は月光を浴びて次第に空に舞上り、館の2階の窓の中に吸い込まれて行った。
1892年にブル牧師が急死すると、息子のハリー・ブル牧師が跡を継いだ。
このブル牧師も、やはり尼僧や四輪馬車の幽霊を何度も目撃したらしい。
或る日、ペットのゴールデン・レトリヴァー犬が、庭に何かに怯えて、盛んに吠え立てていた。
犬が吠え立ててる方向をブル牧師が見ると、果樹の下に2本の人間の脚の様な物が、ニョキッと出ているのが見えた。
すわ侵入者かとブル牧師が近付くと、2本の脚はスタスタと裏門の方へ歩いて行く。
次の瞬間ブル牧師は、その『侵入者』が脚だけで、上の胴体や頭が無い事に気が付いた。
呆然としてる間に、2本の脚はやがて門の向うに消えてしまったという。
…このペットのゴールデン・レトリヴァー犬も、後に怪死してしまったらしい。
息子のブル牧師は、父親であるヘンリー・ブル牧師の幽霊をも目撃している。
更に1928年、ブル牧師が死んでガイ・エリック・スミス牧師が跡を継ぐと、この頃から恐ろしいポルターガイスト現象が、頻繁に館を襲うようになった。
床を歩く音、壁やドアをドンドン叩く音…。
教会のオルガンが独りでに鳴り出したり、台所の食器が空中を飛回っては、粉々に砕け散る事も有った。
或る日突然、玄関のベルがけたたましく鳴ったので、スミス牧師が出てみると、誰も居ない。
暫くしてまた鳴り出したので、牧師がまた玄関に駆け付けたが、ベルは鳴り続けているのに、やはり誰の姿も無い……という様な事が続いた。
これらの騒動で、遂にスミス牧師はノイローゼになってしまったそうだ。
ボーリィ牧師館の名はイギリス中ですっかり有名になり、今度は20世紀最大のゴースト・ハンターと名を馳せていた、全英心霊研究所の設立者でもあるハリー・プライス氏が、1929年に大掛かりな調査チームを組んで、館に乗り込んで来たのである。
このプライス氏、これ以降、度々この館を大規模に調査している。
プライス氏の調査記録によると、確かにボーリィ牧師館の内外では、奇怪な心霊現象が頻繁に起り、尼僧や四輪馬車の幽霊が、彼がそこに滞在した1年間だけでも、50回以上現れたという。
突然、室内が氷を張った様に寒くなったり、瓶が空中を飛回ったり、壁に「ヘルプ・ミー!」と血塗れの字が滲み出したり、幽霊の顔が浮き出したりした。
1930年にはL・A・フォイスター牧師が跡を継ぐ。
…しかし何とこの頃、最初の所有者であるブル牧師親子の亡霊までも出現するようになった。
「この館で死んだ者は、永遠にこの館で彷徨う事になる…!」
恐れをなしたフォイスター牧師が、1935年館から逃げ去ると、1936年にはヘイニング牧師が跡を継いだ。
しかしやはり堪え切れず、直ぐに逃げ出してしまう事になる…。
悪魔祓いをしようとしたベネディクト会の修道士が、空中から飛んで来た小石に頭を直撃された事も有ったそうだ。
1937年5月から再び、プライス氏が館を借り切り、48名の調査団と共に本格的な調査を行った。
そして霊魂を呼び出す降霊会が行われたが、この時霊媒師のグランヴィルは、この館に現れる幽霊の正体の1人が、マリー・レール(マリアンヌと言う説も有り)と言うフランスの修道女だと告げた。
この修道女はルアーヴルの修道院を出て、当時この地の領主だったウォルダー・グレイヴス家の男性と結婚したが、夫は1667年5月に、この館の在った場所で彼女を虐殺したのだそうだ。
1938年、グレッグソン大佐が館の新しい主になったが、その年、プライス氏の調査チームが、『プランシェット(西洋版こっくりさん)』を用いて、霊界通信を行っている。
この時、サネクス・アムレスと言う名の霊媒師は、「近い内にボーリィ牧師館が火事で焼け落ちるだろう」と告げた。
そして翌年の1939年2月、実際に原因不明の火事が起って、館の内部が焼け落ちてしまったのである。
火事が起った当時、数人の人間が、燃え盛る2階の窓に、少女の姿を目撃している。
消火活動の最中に、灰色の服を着た男が逃げ出して行くのを目撃した者も、何人か居たそうだ。
更に1943年、プライス氏の調査チームが館の地下室を掘り起すと、4mの深さの地中から、女性の頭蓋骨やその他の骨の破片や、修道会のペンダントが発見されている。
…これがあのマリー・レールの物だったのか…今となっては誰にも解らない。
ボーリィ牧師館は、1938年にグレッグソン大佐が買い取って以降も、何度も持ち主が変ったが、それからも様々な怪奇現象に悩まされ、現在は誰も住む人は居ないらしい。
最近では1975年2月、クルーム博士がBBC放送の協力で、大規模な科学的調査を行っている。
調査団はそれこそ赤外線撮影カメラや録音装置や磁力計等、館の室内や庭の隅々まで、あらゆる最新の科学実験装置を配置した。
この時も、火事で焼けた後の褐色の煉瓦壁を激しく叩く音がしたり、部屋のドアが独りでに開閉したり、尼僧の幽霊が2階の窓から空高く浮遊して、庭の芝生を彷徨ったりという怪現象が起きている。
更に或る番、月光を浴びてキラキラと輝く幻の馬車が、調査団の目前に現れたそうだ。
2頭の黒い馬が牽く四輪馬車が、猛スピードで外庭を通り抜け、煉瓦壁を通過して消え去るまでの約3分間、設置した録音テープが突然止まり、磁力計は狂い、温度計は10度も急降下してしまった。
しかも自動シャッターの赤外線カメラは激しいハレーションを起し、そこに異常なまでの磁力が働いてる事を証明したのである。
…今夜の話はこれでお終い。
さあ…1本目の蝋燭を吹き消して貰おうか…
……有難う……また次の夜の訪問を、楽しみにしているよ。
道中気を付けて帰ってくれ給え。
ああそうそう……異界の話をした後は、絶対に後ろを振り返っちゃ駄目だよ。
………話に惹き付けられ、貴殿の背後に、べったりと貼り付いていた連中と、顔を合せてしまうだろうからね……。
『ヨークシャーの幽霊屋敷 ―イギリス世にも恐ろしいお話―(桐生操 著、PHP研究所 刊)』より、主に記事抜粋。