やあ、いらっしゃい。
今夜は麦茶を淹れて、お待ちしていたよ。
今度こそ、きっちり人数分だ。
さぁ席に着いて、楽にしてくれ給え。
妖精の起源が堕ちた土地神だったり、死者の群れだという事は、昨夜お話したね。
その為彼等は、夏至や冬至といった季節の節目が来ると、その世界の門を開いて、人前に姿を現すのだと、長く考えられていたのだよ。
古来、日本でも有った考えだ。
太陽暦と太陰暦との違いから、日本での夏至の行事は、次第にお盆へと移行したがね。
兎も角も、太陽の力が最も強まる時、弱まる時は、魔物が跳梁跋扈し易いとの考えが、世界中で有る訳だ。
さて…今夜は、そんな異界からの訪問客について話そう。
古代のイギリスに、『ヘルラ王』と呼ばれた王が居た。
或る日、王が狩に出掛けた所、山羊に乗った不思議な物がやって来た。
人間の半分の大きさしか無く、毛が生えた足の先は山羊の蹄になっていて、頭は大きく、長い赤髭を生やし、小鹿の様な斑入り毛皮を着ていた。
醜悪な姿をしていたが、非常に丁寧な言葉遣いで、王の様に振舞った。
「ヘルラ王、ようこそおいでなされた。
私は力有る国と、そこに住む数知れぬ者達を支配している王です。
その者達全ての、王への親愛の情を伝える為に、こうしてやって参りました。
貴方様が地上の世界を治めている王の内で、最も優れた方で在り、他の王より抜きん出ていらっしゃるからです。
次の年に催されます貴方様の婚礼の宴の客となります事は、私にとって実に名誉な事です。
貴方様が間も無く結婚なされる事を、貴方様御自身は御存知無いかも知れませんが、私達には判っているのです。
フランス王が美しい娘を貴方様に嫁がせる為に、使者をこちらに寄越し、もうこちらに着く事になっています。
明日の朝、一行は到着するでしょう。
私は貴方様の結婚の席に出るでしょうが、丁度1年後の同じ日に行われる私の婚礼の席に、今度は貴方様が出る事になるのです。
その年まで、さようなら。」
こう言ったかと思うと、まるで虎の様な素早さで、消えてしまった。
次の日、その小さな王が言った通り、フランス王の使者が到着し、王女の手を取りヘルラ王に差し出させた。
王女のその美と善良さは、遠い西の国でも驚く程だったという。
王は結婚に同意し、その年の内に2人は喜びに包まれ、結婚した。
婚礼の祝宴が始まり、2人がテーブルに着こうとした時、ふいにあの時の小人王が、沢山の従者を連れて現れた。
お陰で主賓席・大広間はいっぱいに埋め尽くされ、中庭の外まで溢れ出したが、彼等は光る絹のテントを幾つも立てて、そこに入った。
華やかな服を着た召使達が、次々にテントから、素晴しいワインと上等の御馳走を運んで来る。
それは、これまで呑んだ事も食べた事も無い、素晴しい物だった。
召使達は、用の有る所には何処にでも現れ、用が無ければ現れなかった。
楽士達にうっとりする様な音楽を奏でさせ、素晴しい贈物を花嫁の前に山にして積上げる。
宴会の席に居たフランス王女も招待客達も、今迄こんな素晴しい接待を受けた事は無く、全ての人々が満足を口にした。
しかし饗された物は皆、小人王達が持参して来た物で、ヘルラ王の倉庫からは何1つ運び出されはしなかった。
祝宴の最後に、小人王はヘルラ王に言った。
「優れた王よ。
私は約束を皆守りましたぞ。
今度は貴方様が約束を守る番です。
1年後の丁度この日、私が貴方様をお祝いしました様に、貴方様も私の結婚を祝って下さい。」
こう小人王が言うと、従者達は皆テントに戻ったが、次の日鶏が鳴かぬ前に、全ては消え失せてしまっていた。
ヘルラ王は約束を忘れなかった。
1年を通じて王は、この高貴な友に相応しい贈物を集めていた。
1年後のその日が来ると、再び小人王が沢山の従者を引連れ現れたので、ヘルラ王は贈物を積んだ騎士達と共に出発した。
程無くして高い崖の前まで来ると、突然、入口の扉が現れ、一行は天井高く暗い洞窟の中へと入って行った。
中には松明が灯されていた。
洞窟の中を突き進んで行くと…奥には緑の草原が広がっていた。
目の前には、大きく立派な城が聳えている。
小人王は親切な言葉でヘルラ王に挨拶をすると、王をその素晴しい宮殿へと導き入れた。
婚礼の宴が催され、それは3日3晩、楽しく続けられた。
ヘルラ王は贈物を捧げ、小人王もお返しに贈物をくれた。
祝宴が終り、王はそれらの宝物を馬に積むと、再び暗い洞窟を案内されて通って行った。
別れの時、案内した小人王は、ヘルラ王に小さな猟犬を渡した。
その犬は、馬の鞍の上に座れる程の小ささだった。
「王よ、この猟犬が馬の鞍から飛び降りるまで、馬から降りてはいけないという事を話しておきましょう。」
この忠告を残して、小人王は行ってしまった。
一行は扉を通り馬を進めた。
扉は一行の背後で、ガタンと重々しく音を立てて、閉じられてしまった…
久し振りに出た外界は、何もかもすっかり変ってしまっていた。
何より、自分達の城が何処にも見えない。
困惑して馬を進めて行く内……一行は1人の農夫に出会った。
ヘルラ王は彼を呼ぶと、自分の王妃の名を出し、行方を尋ねた。
農夫は、暫く考えてから、こう答えた。
「…旦那、何だか良く判らないけど、あんたさんは古いウェールズ語を話していなさる…。
しかし、その言葉は彼此200年も前に使われなくなった物さ。
あんたさんが言いなさる王妃の名前を、わしも聞いた覚えは有るけど…ずっと昔に、この国を支配していたヘルラ王と結婚した方だったとか。
伝えられてる話じゃ、王はあの高い崖から洞窟入って行ったままで、それっきり消息を聞かないそうだ…。」
農夫の話を聞いて、驚愕した王の騎士達の幾人かが、地面に飛び降りた。
その足が地面に着いた途端――長い年の重みで、直ぐに体は塵と成り果て、崩れてしまった。
王は他の騎士達に馬から飛び降りるなと叫ぶと、馬を進めて行った。
今でも、ヘルラ王と騎士達の一行が、気狂いの様になって馬を駆けさせているのを、人々は目にする事が有ると云う。
一行は猟犬が鞍から飛び降りるのを待っているのに、犬は決して降りようとしないからだ。
犬は最後の審判の日まで降りないだろうと云われている……
…異界では時の流れ方が違うらしい。
もしも呼ばれたとしても、決して行かないようにした方が良いだろう。
彼等が死者であると言うなら、その世界は恐ろしい『冥界』である訳だからね……
…今夜の話はこれでお終い。
さぁ…それでは9本目の蝋燭を吹き消してくれ給え…
……有難う……また次の御訪問を、お待ちしているよ。
ああ、待ち給え…
…また、お茶を残しているよ…。
…え?そんな筈は無い…?
ちゃんと飲み干した筈だって……?
全くおかしな話だ……確かに、この場に居る人数を確認して、淹れてるのだがね……
まぁ、いいだろう…。
それでは、道中気を付けて帰ってくれ給え。
いいかい?……くれぐれも……
……絶対に後ろを振り返らないようにね…。
『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より。
今夜は麦茶を淹れて、お待ちしていたよ。
今度こそ、きっちり人数分だ。
さぁ席に着いて、楽にしてくれ給え。
妖精の起源が堕ちた土地神だったり、死者の群れだという事は、昨夜お話したね。
その為彼等は、夏至や冬至といった季節の節目が来ると、その世界の門を開いて、人前に姿を現すのだと、長く考えられていたのだよ。
古来、日本でも有った考えだ。
太陽暦と太陰暦との違いから、日本での夏至の行事は、次第にお盆へと移行したがね。
兎も角も、太陽の力が最も強まる時、弱まる時は、魔物が跳梁跋扈し易いとの考えが、世界中で有る訳だ。
さて…今夜は、そんな異界からの訪問客について話そう。
古代のイギリスに、『ヘルラ王』と呼ばれた王が居た。
或る日、王が狩に出掛けた所、山羊に乗った不思議な物がやって来た。
人間の半分の大きさしか無く、毛が生えた足の先は山羊の蹄になっていて、頭は大きく、長い赤髭を生やし、小鹿の様な斑入り毛皮を着ていた。
醜悪な姿をしていたが、非常に丁寧な言葉遣いで、王の様に振舞った。
「ヘルラ王、ようこそおいでなされた。
私は力有る国と、そこに住む数知れぬ者達を支配している王です。
その者達全ての、王への親愛の情を伝える為に、こうしてやって参りました。
貴方様が地上の世界を治めている王の内で、最も優れた方で在り、他の王より抜きん出ていらっしゃるからです。
次の年に催されます貴方様の婚礼の宴の客となります事は、私にとって実に名誉な事です。
貴方様が間も無く結婚なされる事を、貴方様御自身は御存知無いかも知れませんが、私達には判っているのです。
フランス王が美しい娘を貴方様に嫁がせる為に、使者をこちらに寄越し、もうこちらに着く事になっています。
明日の朝、一行は到着するでしょう。
私は貴方様の結婚の席に出るでしょうが、丁度1年後の同じ日に行われる私の婚礼の席に、今度は貴方様が出る事になるのです。
その年まで、さようなら。」
こう言ったかと思うと、まるで虎の様な素早さで、消えてしまった。
次の日、その小さな王が言った通り、フランス王の使者が到着し、王女の手を取りヘルラ王に差し出させた。
王女のその美と善良さは、遠い西の国でも驚く程だったという。
王は結婚に同意し、その年の内に2人は喜びに包まれ、結婚した。
婚礼の祝宴が始まり、2人がテーブルに着こうとした時、ふいにあの時の小人王が、沢山の従者を連れて現れた。
お陰で主賓席・大広間はいっぱいに埋め尽くされ、中庭の外まで溢れ出したが、彼等は光る絹のテントを幾つも立てて、そこに入った。
華やかな服を着た召使達が、次々にテントから、素晴しいワインと上等の御馳走を運んで来る。
それは、これまで呑んだ事も食べた事も無い、素晴しい物だった。
召使達は、用の有る所には何処にでも現れ、用が無ければ現れなかった。
楽士達にうっとりする様な音楽を奏でさせ、素晴しい贈物を花嫁の前に山にして積上げる。
宴会の席に居たフランス王女も招待客達も、今迄こんな素晴しい接待を受けた事は無く、全ての人々が満足を口にした。
しかし饗された物は皆、小人王達が持参して来た物で、ヘルラ王の倉庫からは何1つ運び出されはしなかった。
祝宴の最後に、小人王はヘルラ王に言った。
「優れた王よ。
私は約束を皆守りましたぞ。
今度は貴方様が約束を守る番です。
1年後の丁度この日、私が貴方様をお祝いしました様に、貴方様も私の結婚を祝って下さい。」
こう小人王が言うと、従者達は皆テントに戻ったが、次の日鶏が鳴かぬ前に、全ては消え失せてしまっていた。
ヘルラ王は約束を忘れなかった。
1年を通じて王は、この高貴な友に相応しい贈物を集めていた。
1年後のその日が来ると、再び小人王が沢山の従者を引連れ現れたので、ヘルラ王は贈物を積んだ騎士達と共に出発した。
程無くして高い崖の前まで来ると、突然、入口の扉が現れ、一行は天井高く暗い洞窟の中へと入って行った。
中には松明が灯されていた。
洞窟の中を突き進んで行くと…奥には緑の草原が広がっていた。
目の前には、大きく立派な城が聳えている。
小人王は親切な言葉でヘルラ王に挨拶をすると、王をその素晴しい宮殿へと導き入れた。
婚礼の宴が催され、それは3日3晩、楽しく続けられた。
ヘルラ王は贈物を捧げ、小人王もお返しに贈物をくれた。
祝宴が終り、王はそれらの宝物を馬に積むと、再び暗い洞窟を案内されて通って行った。
別れの時、案内した小人王は、ヘルラ王に小さな猟犬を渡した。
その犬は、馬の鞍の上に座れる程の小ささだった。
「王よ、この猟犬が馬の鞍から飛び降りるまで、馬から降りてはいけないという事を話しておきましょう。」
この忠告を残して、小人王は行ってしまった。
一行は扉を通り馬を進めた。
扉は一行の背後で、ガタンと重々しく音を立てて、閉じられてしまった…
久し振りに出た外界は、何もかもすっかり変ってしまっていた。
何より、自分達の城が何処にも見えない。
困惑して馬を進めて行く内……一行は1人の農夫に出会った。
ヘルラ王は彼を呼ぶと、自分の王妃の名を出し、行方を尋ねた。
農夫は、暫く考えてから、こう答えた。
「…旦那、何だか良く判らないけど、あんたさんは古いウェールズ語を話していなさる…。
しかし、その言葉は彼此200年も前に使われなくなった物さ。
あんたさんが言いなさる王妃の名前を、わしも聞いた覚えは有るけど…ずっと昔に、この国を支配していたヘルラ王と結婚した方だったとか。
伝えられてる話じゃ、王はあの高い崖から洞窟入って行ったままで、それっきり消息を聞かないそうだ…。」
農夫の話を聞いて、驚愕した王の騎士達の幾人かが、地面に飛び降りた。
その足が地面に着いた途端――長い年の重みで、直ぐに体は塵と成り果て、崩れてしまった。
王は他の騎士達に馬から飛び降りるなと叫ぶと、馬を進めて行った。
今でも、ヘルラ王と騎士達の一行が、気狂いの様になって馬を駆けさせているのを、人々は目にする事が有ると云う。
一行は猟犬が鞍から飛び降りるのを待っているのに、犬は決して降りようとしないからだ。
犬は最後の審判の日まで降りないだろうと云われている……
…異界では時の流れ方が違うらしい。
もしも呼ばれたとしても、決して行かないようにした方が良いだろう。
彼等が死者であると言うなら、その世界は恐ろしい『冥界』である訳だからね……
…今夜の話はこれでお終い。
さぁ…それでは9本目の蝋燭を吹き消してくれ給え…
……有難う……また次の御訪問を、お待ちしているよ。
ああ、待ち給え…
…また、お茶を残しているよ…。
…え?そんな筈は無い…?
ちゃんと飲み干した筈だって……?
全くおかしな話だ……確かに、この場に居る人数を確認して、淹れてるのだがね……
まぁ、いいだろう…。
それでは、道中気を付けて帰ってくれ給え。
いいかい?……くれぐれも……
……絶対に後ろを振り返らないようにね…。
『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より。